純粋すぎたあのひとは -オノ・ヨーコ『どんぐり』
オノ・ヨーコの詩集『どんぐり』に出会ったのは、図書館の棚だった。
彼女の詩集では、ジョン・レノンのイマジンにインスピレーションを与えた『グレープフルーツ・ジュース』のほうが有名かもしれない。でも、私が最初に出会ったのは『どんぐり』だった。
『どんぐり』はオノ・ヨーコが82歳のときの詩集で、『グレープフルーツ・ジュース』がまさにセンセーショナル、簡潔で洗練された作品集であるのに対し、『どんぐり』の作品は、ひとつひとつ、あたたかくやさしく語りかけてくるような作品だった。
あたたかい言葉のなかに、鋭い感性と豊かな感受性、そして人生へのいつくしみが感じられる作品がたくさんあった。うまく言えないけれど、こんな優しい言葉なのに、どきりとするような感性で切り込まれていて。。おこがましすぎるけど、ジョンレノンが彼女にインスパイアされたのも納得、なんて思ったり。
長くなってしまったけれど、その『どんぐり』の中から一つ、好きな作品を紹介します。
何もしないセングと、入念な準備をするスングは、いるいる、そういう人〜と思うし、のんびり散歩だけをしていたサングが美しい歌を歌うのもなんだか納得ができる。サングみたいな人が、才能のある人とか賢い人だよな〜と思ったりする。
さらにシング、歌えと言われてるのに歌わないで人の心を動かすなんて・・その発想に驚く。そんな笑顔をできる人の人生はどんなものだったんだろう。きっと慈しみ深くて、心が豊かで、たくさんの別れも悲しみも経験したうえで、生きる喜びを知っている人なのかなと思ったり。でも、反対に、もしかしたら何も知らない無垢な少女の微笑みかもしれない。
そして、私がこの詩を好きなのは、ソングの存在によるものが大きい。
純粋すぎるソングが、ある日空の一部になった箇所を読むたびに、なんだか泣きそうになる。純粋すぎる人ってきっといるよなって思う。ふらっといなくなってしまうような人。
中学の時、学校をやめてしまった子を思い出す。すごく絵がうまくて、ちょっと変わったものの見方をして、尖ってもいて、すごく綺麗な目をしていた。オノ・ヨーコさんの「純粋すぎる」という言葉に気付かされる。「純粋すぎる」って心が綺麗とか何も知らないとかそういうのではなく、もしかしたら自分自身に対して純粋すぎるってことなんじゃないだろうか。
だから、効率だとか合理的なことが求められる世の中や、他の人が決めたルールに彼らはあまり馴染まないのだ。
そんな人を空の一部にしてくれるオノ・ヨーコさんが好きだ。
空のように透き通った人、純粋な人、すーっと空の一部になったなんて、素敵じゃないか。