距離感の近い人ほど、”それ”には敏感だ。
3番です。おはよう。
今日、同居している家族に
「もう今では私が表に出てメインであなたと毎日話すことが普通になってしまっているけど、ついこの間までは10番が3年半くらいの時間はメインで表に出る役をしていたわけじゃない?
結構、違いは感じる?」
と、ふと聞いてみた。すると、
「全然違うよ。何もかも違う」
と、即答な返答があっさり返ってきた。
そう、私と10番、いや、私と他の人格たちは、何もかもが違うのだ。
使用する肉体が同じなだけで、感性も、性格も、喋り口調も、癖も、表情の作り方も、行動も、何もかもが違う。
でもそれは距離感の近い人間だからこそ気づきに至りやすいものであり、
ほどほどな距離感、まだ数回ほどしか対面したことの無い人、あまり肉声で話すことの無い人には伝わりにくい感覚であろうと思う。
実際、ほどほどにしか会話をしない人には、
「まだあまりほかの人格との違いが明確に掴めていません」
等のことをよく言われる。
そりゃまあ、そうだ。
私たちは交代の頻度もそんなに多い方ではないし、滅多に出てこない人格も多数存在する。
同居している家族も、一度も会ったことのない人格も何人もいる。
”友人”の距離感の人相手にだと、必然的に何人もの人格と会わせていたりするのだが、
「やっぱり、みんな全然違うね」
と言われる。
そして私は誰かから「違う」という言葉を聞く度に、
「そうか、私は解離者なのだな」
と、何度も自覚する。
もうわかりきっていることだ。自覚もしきっていることだ。
でも、明確に、そうなのだ。と、度々に実感する。
解離が発覚した当初は、「まさか自分が解離者だなんて?」と思った。
感覚を受け入れきることができず、戸惑った。
一体これから先どう生きていけばいいのだろう、と困惑した。
だが、時が経つほど、何度も実感する瞬間が訪れる。
「そうか。私は解離者でしかないんだ」
そう何度も思う。
そして、次第に慣れがくる。
慣れがきて、また戸惑うような出来事が何かしら起きて、それに適応するように心がけ行動し、その戸惑いにもいつしか慣れる。
解離者は、自身の解離に慣れるまで数年単位の時を要するという。
同じく解離者の大切な友人がそう言っていた。
人格が交代するだけでそれまで何度薬を飲んでも治らなかった重い頭痛が途端に治ったり。
嘘みたいに重かった身体が急に羽が生えたように軽くなったり。
拒食症のような症状を患う人格から健康的な体質の人格に交代しただけで食欲がみるみると湧いてきたり。
身体に対する嫌悪感に酷く悩まされていてストレスの感覚に苦しんでいたと思ったら、交代した途端それがパッと消え去ったり。
本当に、不思議なことばかりだ。
私は今日も、この不思議な感覚をいくつも纏った身体で、生きている。
朝日と共にやってくる、気温の上昇を、この不思議な身体で感じている。
そんな毎日だ。
戸惑うこともあるけれど、プラスに考えれば、ひたすら面白おかしくて楽しさもある。
私は、解離者として、今日を歩む。
現実を見つめながら、非現実の文化を楽しみながら、今日という二度と来ない日を、私なりに謳歌する。
なんだか最近は友達に会いたくて仕方がない。
コロナ禍で誰かに会いたくても気軽に会えない今の状況にとてももやもやする。
早く顔を見て、笑い合いたい人たちが沢山いるのに。
みんな、元気にしているかな。こんな世の中だけど、楽しさや希望、嬉しいことや素敵なことを見失わずに生きていられているだろうか。
みんなにまた会えますように。
無事に大切な人たちの顔がまた見れますように。
うーん。完全に”日記”だ。笑
近いうち、またためになりそうな記事でも書くね。
よかったら読んでください!
それでは、またね。
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