友人、それは俺の唯一無二の宝物だ。



少し前、友人と電話で真剣なことを話していた時、ふと俺は「俺はこうして時々内面的な話を誰かと真剣にすることで、自分の姿を確認しているんだ。」と言った。



すると「なんだ、今、すごく良いことを言ったな?!」

と友人がやたら俺を褒めてくれた。



続けて、本当に今の言葉は良かっただとか、文学的だとか、5時間くらい続けて褒められるだとか、あんたは才能があるなぁだとか、そんなに言ってもらっていいのかよ?と思ってしまうくらい勿体ない素敵な褒め言葉を沢山くれた。



俺としてはふと発した言の葉だったし、「そんなに良いことも何も言ったつもりは無かったんだけど?!」と自分の発言にあまり自信は無かったし、正直な気持ちをぽろっともらしただけだった。



俺から言わせてもらえば、そんなにも褒めてくれる友人を持てたことこそ俺の人生の中での唯一無二の宝物のような出来事だと思うし、友人は代わりが誰もいない何にも替え難いこの上ない宝のような存在だ。



俺の言葉なんて、俺が生きている限り無限に生まれ発され続けていくし、俺にとっては大切ではあるけれどごく当たり前の存在で。今俺と繋がってくれる友人のほうがよっぽど自分にとって貴重で大事に思える。



この人と知り合えてよかった。友達になれてよかった。大切な感情を語り合える仲になれてよかった。
俺の言葉よりも、あなたの存在の方がよほど俺にとって大事だ、と思った。



人と出会い、話が出来て、さらには何度も話し合えることが出来て、心を通い合わせることが出来る。それは、本当に奇跡的なことだと感じる。



人生の時間を過ごす中で、一秒に一人と出会っていたとしても、地球上にいる全ての人には出会えないという。

つまり、世の中には絶対に一生出会えない人がものすごい沢山いるんだ。

だから、誰かと出会える。それだけでもう奇跡が起きているんだよ。
いずれ別れてしまうことになったとしても、出会えただけでものすごく奇跡的なことなんだ。



ましてや友達になれるだとか、何度も話し合えるだとか、パートナーになれるだとか、家族になれるだとか、そんなのもう本当の本当の本当に低い確率の超奇跡的な出来事だ。


ソシャゲでいうなら確定でSSRかURだ。毎秒感謝したとてし足りなく感じる。



ふと発した言葉にも勿体ないくらいのとびきりの褒め言葉をくれる。そんなあなたに出会えてよかった。俺はこれからもあなたを飽きることなく大切に、大事にし続ける。
勿論、他のかけがえのない友人たちにも同じ気持ちを抱いている。



俺と出会ってくれてありがとう。感じ足りない奇跡を感じさせてくれてありがとう。遊んでくれてありがとう。話してくれてありがとう。大切なものをくれてありがとう。
友達になってくれて、ありがとう。



本当に大切で、大好きだ。

これからもよろしくね。







読んでくれて本当にありがとう!

また会おうね。









10

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?