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朝井リョウの「正欲」を読んだんだけど(微ネタバレ)

先週末、友達に「朝井リョウの"正欲"という小説が面白い」と聞いた。

朝井リョウ。
オードリーのANNリスナーなら一度は耳にしたことがあるその名前。
もちろんそうでなかったとしても映像化された原作をたくさん書いていることもあって名前と代表作いくつかは言えるのだが…

オードリー若林の口からその名前が出るたびに「あぁ一回ぐらいは執筆する小説を読んでみたいなー読まないとなー」と思いながら、なかなか踏ん切りがつかなかった。

というのも小説があまり得意ではない。
厳密に言うと「小説を読んでいる時間と次に読む時間の間の"読んでいない時間"」が苦手である。

俺にとって活字は映像よりもその世界に入り込むのが難しく、相当な精神力を使う。
なので一度世界に入り込んだ後、そこから抜け出そう、さらにもう一度入ろう、という積み重ねが続くと途端に億劫になる。

"通勤電車での読書"がまさにそれである。
活字の世界に飛び込み、数十分で飛び出したと思ったら、現実の辛い仕事を8時間こなし、帰り道また数十分の為に活字の世界へ飛び込み直す。
どうやらこの工程が苦手なのだ。

しかしまあ、唯一無二の友人が勧めるのだから…と初めてKindleをダウンロードし、実に5年以上ぶりぐらいに小説を読んだ。

作品の詳細は省略する。
言ってもまあ去年の出版だし、映像化が決定するぐらい人気の作品だ。
ネタバレを含むあらすじはいくらでもネットの海に不法投棄かのように浮いていることだろうから勝手に調べてくれ。

読んだ人、またネタバレを恐れないこれから読む人含めて、俺が気になった点があるのでここに書き置きたい。
それは「なぜ彼らは"少年の近くの水"を好んだのか」である。

物語のキーとなる、検事の息子のYouTubeチャンネル。
彼らがなぜここに集ったのかがあまりにも描かれなさすぎる。

「なんとなく」「たまたま」と言われればそれまでだし、議論のしようがないのだが
(文中で語られない「たまたま」を作ることが小説の倫理としてどうなのかとも思うが)
単純に「水に性的欲求を感じる」というだけならば、そんなに人気のない少年のチャンネルである必然性を感じないのだ。

試しに実際のYouTubeで「水風船」と検索してみる。
すると人気YouTuberフィッシャーズの水風船動画で埋め尽くされる。
本当に水が勢いよく弾け飛ぶところに興奮するならば、こういう「成人男性が水遊びする」動画でも良かったのではないか。

まあ確かに、女性に性欲を感じる俺が見るAVについても、一つのAVじゃ飽き足らずこれまでに数えきれないAVを見てきている訳で、
そういう意味で彼らもいろんな「水動画」を見てきた結果、その場所に"たまたま"居合わせただけなのかもしれないが。

そうだったとしても、そこまで固執してこのチャンネルにリクエストしてまで、水要素を求める理由がよくわからない。
そして上司の子供を水遊びさせて写真を撮る理由も。

いっそ「"水×少年"という構図に性的欲求を感じるんだ」と言われた方がすとんと落ちる。
それを描きすぎると「結局は少年愛者じゃねえか」という意見を持つ読者が増え作品のテーマがブレてしまうことを危惧してか、あるいは児童買春をしていた奴との対比を表す為なのか、あえて避けたのかもしれない。

ただこの作品が厄介なのは、そういう意見すらも「それはあなたが思う"正欲"の中に当てはめようとしているからだ」と突き返されてしまう点だ。
作中、覚えたての英単語を使う中学生かのように"無敵の人"というフレーズが繰り返し使われていたが、まさにこの作品は"無敵の小説"だと思う。

「読む前の自分に戻れない」と言われているこの作品、確かにそれはそうであった。
間違いなく日常の視野や自分の価値観を揺さぶる作品ではある。

来年映像化される際は、俺が抱いたモヤモヤを脚本家がすっかり取り払ってくれているといいのだが。

(あとKindleは想像以上に便利だった。ハマるかも)

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