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【創作大賞感想】孫になりたい


私には祖父母との思い出が(あまり)ありません。

私が3歳の時点で存命だったのは父方の祖母だけで、
その祖母とも離れて暮らしていたので、
「おばあちゃんとの触れ合い」のようなものを知らずに大人になりました。

友人たちから聞く、
おじいちゃん、おばあちゃんの話は
私にはどう頑張っても手の届かない、
「羨ましい」のかたまりでした。

しかし、
結婚をしたら、
「おばあちゃん」が出来ました。
夫の祖母です。
お盆と年末年始、夫の田舎に帰ると、
「おばあちゃん」に会えました。

おばあちゃんは小さくて、優しくて、可愛くて、ちょっとだけ頑固な、
私のイメージ通りの「おばあちゃん」でした。

祖母からしてみれば、
「孫のお嫁さん」である私に遠慮があったと思いますが、
私はおばあちゃんの存在が嬉しくて、
年に2回やってくる「孫チャンス」を堪能しました。

私なりにおばあちゃんに甘えました。
おばあちゃんが作ってくれるものがおいしくて、
おばあちゃんが持たせてくれる野菜が嬉しくて、
あまりおしゃべりとはいえないタイプのおばあちゃんが、
こたつであれこれ話をしてくれた時は嬉しかったなぁ。

そんな私が、
読むたびにたまらなく羨ましい気持ちになる
素敵なエッセイがこちらです。


コッシーさん

『ばあちゃんと僕と金ちゃんヌードル』

僕が小学2年生の時だった。父親の両親、つまり僕にとってじいちゃんとばあちゃんと同居することになった。
当時中学生だった姉はばあちゃんたちに甘えることは少なかったが、もともと二人が大好きだった僕はそれはもうベタベタに甘えさせてもらった。

「ばあちゃんと僕と金ちゃんヌードル」より引用

冒頭部分を読んだだけで、
私はやられました。

そもそも、おばあちゃんのことを
「ばあちゃん」って呼ぶのに憧れていたので。
タイトルでやられちゃって。

私も呼んでみたかったんですよね。
「ばあちゃん」って。

両親が共働きだったこともあって、学校から帰宅するとすぐにばあちゃんたちの部屋を訪ねてはお菓子をもらったりカップ麺を作ってもらったりしていた。
その頃、僕が1番好きだったカップ麵が金ちゃんヌードルだった。

勝手に自分が「ばあちゃん」になった目線で読んでしまったのですが、

途中から息子家族と同居することになるというのは、
いくら血が繋がっているとはいえ、
少し緊張することだったと思うんです。
それも息子夫婦は共働きで不在。

「ちゃんとみてなきゃ」
「寂しくないようにしてあげないと」
「おなかすかせてないかしら」

学校から帰ってくる孫を迎えるのは、
もちろん、嬉しかったり楽しみだったりの気持ちが大きかったと思いますが、
やっぱり少しの緊張感や使命感があったと思うんですよね。

まず、無事に帰ってきてくれたことが嬉しくて、
そこでホッとして、
「学校おつかれさま。おなかすいたでしょう。おやつでもどうぞ」と。

コッシー少年が「金ちゃんヌードル」を選んで食べている姿、
可愛かっただろうな~。

毎日帰宅したら部屋に遊びにきてくれて、
元気でおいしそうに金ちゃんヌードルを食べる姿を見ているだけで、
ものすごく幸せだったんじゃないかな、と
もうそれだけで胸がいっぱいに。

この『ばあちゃんと僕と金ちゃんヌードル』の中では、
コッシーさんの後悔についても書かれていますが、

可愛い孫のために、
「あっ!コッシーの金ちゃんヌードル買っておかなきゃ」と、
いくつになっても、
いつまでも、
金ちゃんヌードルを買い続けた「ばあちゃん」は、
その時間も幸せだっただろうなぁと思うんです。

だから私にはコッシーさんの後悔も全部、
羨ましい。
コッシーさんが羨ましい。
「ばあちゃん」の孫になりたい。
ばあちゃんに「ばあちゃん」って言いたい。

そう思いながら、
記事が投稿されてから、
何度も何度も読んでいます。

『ばあちゃんと僕と金ちゃんヌードル』
大好きな作品です。
未読の方は是非一度!!!
一度読めば(食べれば)、二度、三度、といきたくなる良さは金ちゃんヌードルと同じかもしれませんね。

https://note.com/kossiy/n/n14e172480c21?sub_rt=share_pw


コッシーさん、素敵なお話をありがとうございました。







こんなところまで読んでいただけていることがまず嬉しいです。そのうえサポート!!ひいいっ!!嬉しくて舞い上がって大変なことになりそうです。