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読書は人何を与えるのか〜芦田愛菜さんの「信じること」の答えから考えてみた〜

突然だけど、私はすごい量の本を読む子供だった。
その私もびっくりしたのが、マルマルモリモリや泣きの演技で一世を風靡した芦田愛菜ちゃん(いや今はもうさん付けの方がふさわしいのだろうか)の読書量だ。

私の読書の始まりはただの受け身だった。父が単身赴任していて、週末帰る度に岩波少年文庫を買ってくるので、それを片っ端から読み、ついには話題だからと自分のために買っておいたハリーポッターまで奪って読んだ。

ハリーポッターは8歳から読める。私がそうだったから。「賢者」という漢字は読めなかったので、我が家のハリーポッターの表紙には、マステに「けんじゃ」と書かれたルビシールが貼ってある。

大人は子どもの「読める本」を決めつけすぎだし、難しい漢字以外に障害などない。長い、分厚いなど、本当に面白ければ全く問題ないのだ。

本の虫すぎて、小学校の昼休みにどうしても続きが気になる本を必死で読んでいたら、担任が私が仲間外れにされたと早とちりし、学級会が開かれたことがある。

私に今日のドッジボール参加を断られていた同級生は困惑し、「読みかけの本が気になった」を嘘扱いされた私はもっと困惑し、多分担任の先生も困惑した。

小学校までは、読書をする友だちが少なかったし、わざわざみんなと会える時間にすることではないという扱いだった。

こういう感じで、暗いとか真面目とか言うイメージがつきまとい、読書をあまりしない子が増えているとすれば本当に残念だ。

とはいえ当時は、本に夢中になる私がおかしいのかと思っていた。


受験して入った私立の中学校では、それが当たり前だった。電車でも、授業中も(コラ!)、本の続きに支配された同級生が続出した。

もちろん、漫画も読むし、流行りの音楽も聞くんだけど、そういったものと同列で、小説にのめり込む子が多かった。

中1のみんなは、村上春樹さんやアガサ・クリスティさんや星新一さんや宮部みゆきさんや司馬遼太郎さんの本を持ち歩き、何がいいのか聞くと数冊見繕って貸してくれ、面白いところや魅力や持ってきた本の魅力を語った。

この辺から、私の読書は主体的なものになり、本は自分で選び、むしろ親が私の本を借りるようになった。宮部みゆきさんに親子でハマり、お互い同じタイミングで買ったために2冊ある本もある。


ここで私は、読書力は学力だと思っている。
芦田愛菜さんが偏差値の高い学校に進学したことも、読書の習慣が役に立った部分もあるかもしれない。

読書を良くする子は読むのが早い。また、慣れで日本語構文のポイントを掴んでいる。段落で大事なことはどこにかかれているか、この接続詞の働きはなにか。もちろん国語で教えてもらうけど、教えて貰ったことを意識して探すのではなく、経験からサラッと自然に「言いたいこと」を読み取る。

現代文の勉強をしなくても点数がいい子は多かったし、なぜその選択肢を選んだのかも上手く言えなかったけど、なんかとけてしまう、これは私の経験でもある。

さらに、文字の羅列に対してのアレルギーが全くない。むしろ活字中毒気味なので、新聞から製品の注意書きまで、目の前にあれば読んでしまう。

つまり、教科書や参考書のびっしりした文字を、読むこと自体が苦ではないのだ。(もちろん教科や分野の得意不得意もあるので、完全に理解した訳では無い文章もある)

これらは全て、受験勉強や定期試験の勉強において強みになる。


ところで、先日芦田愛菜さんのインタビューに衝撃を受けた。「信じるということはどういうことか」を聞かれ、
「その人自身を信じているのではなくて、自分が理想とするその人の人物像に期待してしまっているということなのかな」
「裏切られたとか期待してたとか言うけど、その人が裏切ったわけではなく、その人の見えなかった部分が見えただけ。それもその人なんだと受け入れられる、揺るがない自分がいること、それが信じることだと思います」
と答えたのだ。

私もこれが高校生の発言だとは思えない。途中何度かなんだろう、と考えこむところもあったので、その場で考えながらの発言と思うが、ここまで人の感情の本質を見抜いて、適切な言葉にし、自分より経験は豊かな大人たちをその実体験を思い浮かべて納得させてしまう答えを出してしまうとは。

私たちは友達や家族や恋人や、色んな人を信じて、それを裏切られたつもりで、距離を置いたり修復したりして生きてきた。

それは芦田愛菜さんに言わせると、本人を信じたのではなく、理想の人物像と離れた現実を見せられた時に勝手に幻滅しただけだったのだ。

そこで幻滅しない自分でいられるような相手こそが信じられる人ということになるのだ。

深い、深すぎる。

芦田愛菜さんは演技を通して色んな人生を体験してきた、それと、私が思うに豊富な読書で様々な感情に共感したり考えたりしてきた結果の、信じることとはがこの答えなのだと思う。

私はそういう読書ができてきただろうか。結末に一喜一憂し、登場人物を好きになったり嫌いになったりしていただけではないだろうか、せっかくの他の人の感情の疑似体験を、こうやって自分の人生や信念に活かせられているだろうか。

今後の人生を豊かにするためにも、こんな風に考えて、自分をしっかり持てる大人になりたいと、アラサーながら女子高生に学んだインタビューでした。

※インタビュー動画はこちらから見られます

https://www.oricon.co.jp/news/2170996/full/

#読書 #信じること #芦田愛菜 #人生 #裏切り