ロックアイスとあいつとジントニックと

俺にとってここはちょっと特別な場所だ。


Bar owlのリナ。

彼女はいまやここの看板といってもいいだろう。


もともと彼女が入る前から、オーナーと知り合いだったアウルにはよく来ていた。駅から近いが入り組んだ路地の奥にあるため、静かに落ち着いて飲める店。

それが今では、明らかにリナ目当てであろう男性客が訪れるようになり、週末ともなると狭い店内は空席を見つけるのもひと苦労、といった繁盛ぶり。

おかげですっかり足が遠のき、俺はアウルへはほぼ平日しか行かなくなった。


「同じの、もうひとつ。」

グラスを差し出すと、カランと気持ちのいい音を立てて氷が回った。

鮮やかなライムのグリーンが目に涼しさを感じさせる。


ちょっと薬草を思わせる独特のクセと香り。少し苦味が効いててキンキンに冷えてて、こんな暑い日にはまずグッとひとくちふたくち、それからしばらく氷が溶けてゆく爽やかさを楽しんだら、立て続けにまた、あの新鮮な苦味を味わいたくなる。

リナはそんな、ジントニックみたいな女だ。

ーーーーー

「あー、シンジくん、来てたんだぁー!寄り道してないで早く来ればよかったぁ。」

背後から大きな声がした。

ふわっとバニラの香りとともにミカが現れる。


「あたしカシオレで。あ、隣いいよね?」

有無を言わさずミカはもう、俺の右隣に収まっている。


「はい、かんぱーい!今日もお疲れー!!」

いつもの弾丸トークがはじまった。


俺はミカみたいにひとりでよく喋る女が苦手だ。母さんを思い出すから。


「ねぇ、シンちゃん、聞いてー。おとうさんったらね…」

今日角のおばさんがね、こないだ塾の先生にこう言われてね、それでね、それで…


ハッと気づくとグラスが空になっていた。


「リナ!お代わり、頼むわ。」

「はい。ピッチずいぶん早いね?」

笑いながらカウンターの向こうでリナが意味ありげな目線をチラッとよこしたのが見えた。


あいつ、たぶんなんか誤解してんな。

ーーーーー

ミカの話に適当に相槌を打ちながら、結局ジントニックを3杯空けたところで俺は早々に退散した。

まったく、せっかく平日の空いた時間帯を狙って行ったのに、リナとはほんの少し言葉を交わしただけで終わってしまった。今日こそリナの好きなものをなんとか聞き出したかったのに。


店で見ている限りあいつは、服もバッグもアクセサリーにも興味がなさそうだ。

俺はあのカウンターの隅で、見当違いなプレゼントを持ってきては玉砕している男たちを何人も見てきた。だからこそ、なんとかヒントを見つけてあいつに刺さるものを用意したい。


リナの誕生日は「ハロウィンが終わって、クリスマスまで特になんにもない時期」だと言っていたからたぶん、11月の初旬あたりだろう。


リナは、どうやら休みの日もそんなに遊びに出かけたりしている様子はない。

男がいそうな気配もなければ、友達とどこかに出かけた、といった話も全く聞かない。本人いわく、休みといえども自己研鑽に忙しく、レシピの研究に余念がないらしい。

いまどき珍しいくらいにストイックな女だ。

まあ、そこに惹かれているんだけど。

ーーーーー

いつだったか、店に入ってくるなり、リナに向かって得意げに両手で抱えるほど大きな花束を差し出した男がいたっけ。

ありがとう、と笑顔で受け取ったあいつはすぐに、それをカウンターの奥にあった花瓶に無造作に活けてから、店の入口に置いてある花瓶と差し替えた。

「ここならアウルに来てくれるみんなに、見てもらえるから。あたしが独り占めするよりお花も喜ぶでしょ。」とまっすぐに男の目を見ながら言ったリナの顔は、『あたしは誰のものにもならない』と高らかに宣言しているかのようだった。

すごすごと帰っていった男に俺は少しだけ、同情した。


その後、リナは奥でこっそりとオーナーに言ったんだ。

「ブーケなんて寄越すくらいなら、5000円分の図書カードでももらった方がよっぽど役に立つし、ありがたいのに。」


まったく、可愛げのない女。

こいつ、最高だな。


そう思ったらつい、口に出てしまった。

「お前ほんと可愛くねーの。」


何事もなかったかのようにしれっとカウンターに戻るリナの後ろ姿を見ながら、俺は絶対に外さないぞ、と心に誓った。

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決戦まで残り3ヶ月弱、といったところだろうか。

俺はここでリナの作るカクテルをいったいあと何杯飲むことになるのだろう。


あいつの手は魔法のように、訪れる相手に合わせて色とりどりのカクテルを作り出す。

時に甘く、時にビターな、まるで物語のはじまりのような一杯を。


目の前に座る誰かの顔を見ながら、その表情や気持ちに合わせて切り取った瞬間をグラスに流し入れ、静かにスッと差し出す。

それはリナの手から紡ぎ出される、そのひとだけの世界を彩る物語のページで、思わず開かずにはいられない魔法の扉なんだ。



氷が溶けるまでのほんの短い間の魔法。


俺にはその魔法の解き方が、まだ全然わからない。



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