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昇日

令和2年1月25日。

今日は旧暦の元日。


大晦日にあたる昨日、わたしにとっての大きな転機が訪れた。

この投稿をしてから、本気でやろうと決めて、グダグダになりながら吐くように自分の気持ちを顕わにしてみた。

ずっと逃げてきたこと、避けてきたこと、目を向けないようにしていたこと、に向き合って、自分の一番苦手なことをやることに、決めた。

それはまさに、人生の棚下ろしだった。


古いわたしを滅して、新しいわたしをはじめる。


そうして決めて腹の底から本当の気持ちを晒してみたら、わたしを包む世界はとてつもなく大きくて優しかった。

ひとりでぐるぐると同じところを回り続けたまんま、勝手に傷ついたような気になって、この世界をまだ信じられずにいただけだった。


お前のやるべきことを、ただやれ。

そう神様に言われたような気が、した。

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わたしは落ち着きがなくて、計画的に物事を進めたり、じっくり考えたりすることが苦手だ。『コツコツと』とか『着々と』ということからは、できるだけ逃げていたい。

まるで、階段を1段とばし、2段とばし、必死で登り、足がじいんと痛くなりながらも、ほうら!やればできたでしょ!って自慢している、小さなこどもみたい。

できたように見えて、確実にそのことによって受けたダメージが、後からじわじわじわじわ、響いてくるのに。

そうして休まなくてはいけなくなって、結局コツコツと着実に、一段ずつ登ってきたひとに抜かされてゆく。ばかだなぁ。


毎日、コツコツとなにかを続けることができるひとは、やっぱり強い。

その強さには、自らによって裏付けられた確信がある。

自らを信頼してやる、そのためには、遠回りに思えても地道に努力する必要がある。


いまわたしに必要なのは、わたし自身と、わたしが愛するものを信頼する、という強さだ。

そのことに気づけたから、わたしは努力を自分に課することに決めた。

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すごく月並みなのだけれど、まずは早起きをして、自らの心と身体を強くするための鍛錬に勤しむ。

あえて苦手でやらずにいたこと、に向き合う時間をつくる。

この2つを、まずはやると決めた。

決めたのが1月の23日、元日の2日前だった。


元日、これほどなにかをはじめるのに良い機はない。

ということで、まずは旧暦元旦に初日の出を見にゆく、と決めた。

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前日の夜、遅くまで夜更かしをしてしまい、寝たのは2時を回っていた。

タブレットの充電も忘れて寝てしまったわたし。


出発時刻は6時半。

目覚ましを5分刻みで3回セットしておく。

いつものわたしなら何回鳴ろうが目覚ましを止めてまた寝てしまい、確実に起きられないパターンだ。


でも、今朝1回目に目覚めたら、絶対にできる!という自信が湧いてきた。

準備をして、家を出る。

気配で起きてきてしまった娘も一緒に、初日の出を見に行くことになった。


長い階段を登り、見晴らしの良い高台に出る。

辺りはまだ薄暗く、広い空はひつじ雲に覆われていて朝日は見えそうにない。


「ここからじゃ、ちょっと無理かもしれないね。」

あきらめかけて戻ろうとしたその時、遠くの空にうっすらと金色の光が射すのが見えた。

ゆっくりと昇りはじめている、太陽の光。


娘とふたりで興奮しながら、タブレットを構えてシャッターを切る。

電源がなくなる!というそのまさに一瞬前に、一枚だけ、その姿をとらえることができた。

まさに奇跡の一枚。


なんだか、神様に大きなチャンスをもらえた気がした。

やっぱり、やるべきことをやれば、おのずと恵みは与えられる。

そんな風に思ってもいいような気が、した。

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うちに帰って娘とぬくぬくのベッドに入り、また少しだけ眠った。(そこがやっぱりダメなわたしのまんま、なところが笑える!)

起きて充電しておいたタブレットを開いたら、そこに今のわたしの心の中を表してくれているようなことばたちが、そっと置かれていた。 

自立とは、愛して傷つくことを自分に許せる勇気だと思う。

そう、傷つくのが怖くていつも逃げていたのが、わたし。


さみしさとは、愛することを自分に禁止したときに、芽生える感情だと思う。愛したいものを、愛したいように愛せないとき、さみしさは募る。諦めにも似たさみしさは、心、体を冷やす。

愛したいものがあるのに、自分で自分を縛り付けてしまって、勝手にさみしさをどんどん大きくしていただけ、なんだ。


破綻しないように自分を守るのではなく、破綻したとしても構わないと思わせる力が『愛』だと思う。

破綻を恐れず進むことでしか、愛は見いだせない。


本当にこのひとは、なんだってこんな風にこんなすごい真実を、さらりと言語化してしまえるのだろう。


渦巻く激流へおもむろに手を差し入れ、掬い取った小さくひかる欠片たちを、岸辺の石の上にそっと置いてあるような、大切なことばたち。

いつも、いつも、わたしはこのひとのことばに心を掬われてきた。


自分に制限をかけているのは、ただ、自分だけだということ。傷つかないために、嫌われないために深く愛することを避ける日々は、終わりにしたい。愛さないことより、思い切り愛して傷つく方が、ずっといい。

ひととして、わたしたちがこの世の中に生まれてきたことの本質がここにすべて込められているような気が、する。

ことばというコミュニケーションの手段を持った人間として、この世界に在る意味はそれしかないのではないか、と思えた。

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だからわたしは、今日も書くことを選んで、わたしのことば、をここに置く。

毎日、やれることをコツコツと。

わたしがわたしに課せる、わたしであることの証。


あのひとにも、あのひとにも、わたしがなにかを伝えたいと思うすべてのひとに届きますように。

小さな願いを込めて。


We are blessed…


サポートというかたちの愛が嬉しいです。素直に受け取って、大切なひとや届けたい気持ちのために、循環させてもらいますね。読んでくださったあなたに、幸ありますよう。