あったまろ
このところちょっと空が多すぎる。
自分の投稿がずらっと並んだマイページを見て、ふと思った。
最近なんだかふわっとしたことば、ばかり書いているような気がして、足元が覚束無いような変な気持ちになった。
そうだ、こんな時は食いしん坊な私の話でも書いてみようかな。
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私にとって、生きることはイコール食べることで、たとえば食べることに重心を置かない男とは、絶対に寄り添えない気がしている。
食に対してはちょっと自分の『たが』がはずれている、という自信がある。
はたから見た私は、オーガニックとか自然派、みたいなカテゴリに分類されているのかもしれない。確かに子どもが生まれてから食材にはかなりこだわりを持っているし、できるだけ作ってくれたひとの顔がわかるものを選ぶようにはしている。
けれど、それ以外の物を一切受け入れないかというと、全然そんなことはない。
基本的に身体が、舌が喜ぶものを摂り入れているだけで、自分が食べたい!と思えばいわゆるジャンクフードも迷わず食べるし、お祭りやイベントなどであまり食べさせたくないような食べ物をこどもが欲しがる時には、それが彼女の心の栄養になるかどうか、で判断するようにしている。
身体に良くないから、と無理やり我慢することで誰かの景色が色あせてしまうのなら、その節制に何の意味があるのだろう、そんな風に思うから。
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私は食べるために生まれてきたひと、なんです。
人生のモットーは?と聞かれたら、迷わず『くう、ねる、あそぶ』と答える。
順番もまったくもって、この通りなのだ。
なんて素敵なことばなんだろう。
私は生活において食べることにもっとも重きをおいている。
美味しいものを見つけたら、俄然周りのひとにも食べてもらいたくなってしまう。
きっといつかどこかで、おせっかいな食堂のおばちゃん、になっているんじゃないかなぁ…なんて、漠然とした未来予想図を描きながら、日々暮らしている。
人生において、何を摂り入れて身体の一部とするのかはとても重要だと思っていて、その時心が動いたものを食べたいと思ったタイミングで食べるようにしている。
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起きたら文章がここまでで途切れて、下書きに入っていた。
noteさんマジありがとう。自動保存!文明ってなんてすばらしい。
でもなんか、つけてた題名がしっくりこなくなったので、そこだけ書き換える。
今朝は身体がなんとなく重い感じで、いつものわたし、ではないなと感じた。こどもに朝ご飯を食べさせて送り出して、ゴミ出しに行ってひと息ついて、身体が求めているものを素直につくったら、こんなものができた。
ゆうべの残りのスープに冷凍しておいたすりおろし生姜とご飯を入れて、卵でとじただけのおじや。
たぶん、はるさんのこのnoteを読んだからかもしれない。
生姜は凍ったまんま、鍋に放り込む。たっぷりと。
ぐつぐつしてきたら、卵を溶いて回し入れて。
冷蔵庫にネギがあるのが見えたけど、刻むのがめんどうだったから具はなんもなしでいいや。
仕上げにお塩をパラリ。
私の身体がきょうは岩塩がいいと言ってる。ピンクの、ガリっと削るやつ。
料理屋さんのぞうすいみたいに、さらっと仕上げたりしない。ご飯を一度洗っておくとか、そういう工夫をしたりしない。なにも気にしない。適当に煮込んで、米も具もグダグダなのがいい。
だからうちのコレはお粥でもぞうすいでもなくって、ただのおじや。
しみるなぁ。
身体があったまってきた。
さて、今日はお仕事。
あったかいお茶をマイポットに入れて、準備OK!
今日も佳い一日になあれ。
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