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どんな理不尽もコメディーに

今日は久しぶりにPCの前に座っています。
いやー、やっぱりキーボードで入力するの、めっちゃ楽!!
筆が進むとはこのことやなって実感しています。

そして、わたしの文章でよく言われる独特のリズム感は、やっぱりすんなり思考と文字化のスピードが合っててはじめて、全開でいけるんやな!って、つくづく思いました。
うん、わたしもしかしたら、バンド組むならドラマーなんかもしれん。

さて、今日はこの方へのアンサーnoteです。
深澤佑介/yusuke fukazawa さん。

わたしのnoteをたくさん、たくさん丁寧に読んで、これを書いてくださって。

さらっと書いてはるけど、noteを毎日更新!(それだけで大尊敬!!)されてて、昨年からMr.Childrenの曲をあなたに捧げますという企画を立ち上げて、フォロワーさんのnoteをじっくり読み込み、その人にピッタリの一曲を贈る、という素敵な取り組みをされています。

深澤さんとはどの辺で仲良くなったのか、もう覚えてないんだけど、初めての企画やります!というnoteを読んで、これは応援せねば!と思ったことは覚えてる。

その頃のわたしは、自分で初めて企画した『あなたの神戸をおしえて』という私設賞を通して、たくさんの人から大きな力をもらうことができて、今度はそれを同じように初めてのことをやろうとしている他の誰かに循環させたいと思っていて。

それで上記の深澤さんのnoteを読んで、わたしにも応援させてもらいたい!と思ったんだったな。

深澤さんと言えば音楽に造詣が深く、そのnoteは好きなアーティストに対していつも熱い気持ちを綴られているのが印象的で。

これとか。

えっと…20歳くらいまでの遍歴が全部一緒!!
歳ばれるから言いたくないけど、完全に同世代です。
てか、一学年わたしが上ですな。

通ってきた音楽が一緒なので、めちゃめちゃ親近感。
ドリカムはeyesから、安室ちゃんはマスカットから知ってんでー!←そんなとこでしょうもないマウント取るなw

あと、ZARD愛でも盛り上がったよね、たしか。
あの頃わたしZARDで知らん曲ないんちゃう?ってくらい、カラオケで唄いまくってたから。

え、ちょっと待って?
これ初めて読んだけど、深澤さんマッキーも好きなん?

わたしはCDじゃなくてカセットテープでしたなw
マッキーのアルバム、友達のお兄ちゃんにダビング(!!)してもらって。
ちゃんとしたJPOP聴き始めたの、あれが初めての想い出。

あとKANて!
なんやいうたら、マッキーとKANが週替わりでパーソナリティーやってたFM802の『MUSIC GAMBO』毎週聴いてたし!

ふたりが毎週即興で作ったメロディーに、リスナーから募集した歌詞のせて一曲仕上げるっていう、夢のような番組やってんでー。歌詞応募したかったけど勇気がなくて。今思えば送っときゃよかった。

あれ?そういえばそのあと、同じこと桜井さんとKANでもやってたような。
あれ、なにげにものすごい豪華企画やったんちゃうかな。

あ、ちょうど桜井さんの名前出たからミスチルに話戻すね。

これこれ。
もうね、ミスチル愛が溢れすぎてる。

当時のライブの電話予約とか、わかりみがすぎて時代を感じるw
友達と手分けしてね、朝からチケットぴあに並ぶ子と、家で待機してピッチ(!!)や携帯で電話予約にかける子と。
固定電話からの方がつながりやすいってホンマなんかな?って、両耳ダブルで当てながらリダイヤル押しまくって。いやもう、必死やったなぁ…

はっ、そんなドン引きされそな昔話はええねんて。


わたしのミスチルとの出逢いは『君がいた夏』。
衝撃やったん、もう。
デビュー曲からしてこれは売れるしかないバンドやなって確信したもんね。

そのあと『抱きしめたい』『Replay』『CROSS ROAD』と来て、ミリオン獲って。ミスチルはあっという間に完全なるトップスターになってた。

あの頃カラオケに行ったら男子はみんな我先にミスチル入れててね、もうさあ『抱きしめたい』とか何百回聞いたよ?ってくらい聞かされたよね。
そして女子、全員一回はあの桜井さんの笑顔にズキューン!ってやられたやろ。

まだテレビ全盛期のわたしら世代のあの頃は、音楽番組がいっぱいあって、どこに行ってもヒット曲が流れてて。ミスチルを聴かない日はなかったんちゃうかなってくらい、どっぷり青春を彼らの音楽と共に過ごしてきたんです。

だから、そんな風に同じ時代を生きてきた深澤さんが、いったいどんな曲を選んでくれるのか、ものすごく楽しみにしてました。

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わたしに贈られたその曲は。

『もっと』  
※アルバム『HOME』収録
https://www.youtube.com/watch?v=6iGH9OK1R4M

実はこのアルバムはあんまり知らなくて。
はじめて聴くその曲。

悲しみの場所に灯された裸電球に似た光

この最初の歌詞を見た時、真っ先に浮かんだのはルミナリエの灯りでした。

華やぐ季節がそこまで来てるのに 相変わらず心をどこかに置いたまま

どういう背景で書かれたのかは知らないけど、この表現は間違いなくわたしにとってはあの年の、第1回目のルミナリエの光を思い出させました。

白熱灯のやわらかなひかり。
あの年の、祈りそのものだった時間が蘇ってくるようで。

あの灯りは、確かに神戸の人々の心を温かく照らして、見えない未来へと足を踏み出すための勇気となってくれたような気がしています。

そして記事の中で彼がこんなふうに表現してくれたことが、とても心に響きました。

裸電球って猛烈に光をまっすぐに放ちますよね。ヒトミさんのエネルギーみたいだなって思えて。しっかりとその光で大切な人を照らしている。LEDじゃないんですよ、しっかりと自分の力で発行している感じ。そんなイメージを感じました。

わたしの光で誰かを照らす、か…
できているのかな。
いまはまだ、頼りないほのかな灯りでしかなくて。

でももし本当にいつか、そうやって白熱球みたいにあったかくやわらかく、どこかで力強く光っていられたなら。それはとっても素敵な未来で。

これまでの人生で、わたしを照らしてくれたすべての光をあつめて大切にあたためて、少しずつでも周りに照らし返すことができるようになりたいな。

ありがとう、深澤さん。

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理不尽、か…。

そんなん、いっつもや。


思えばそれはいつもわたしの人生においてすぐ傍にあって。

なんでやねん。
どないやねん。

いつだって考えられへんような事件が次々に起きて。

わたしかってなにも、こんな波乱万丈に生まれたかったわけやないで。
無理やりにでも笑いに変えな、前に進めんこともようけあった。

だけど、幼い頃からいろんなことがあったおかげで、わたしは理不尽をコメディーやってとらえることができるしなやかさ、を手に入れることができたんかな。

それは、ただ理不尽を黙って受け入れるのではなく、いつも闘う姿勢を忘れないでいられたあの日のわたしのおかげで。

そのわたしを思い出させるきっかけとなった『キナリ杯』というチャンスをくれた岸田奈美さんも、理不尽をコメディーにしながら生きている代表みたいなひとで。

そしてそのキナリ杯があったからこそ、わたしのnoteを読んでくれたひとがたくさんいる。


一般的なひと、よりもちょっと事件が起こりがちな人生を歩んでいるひとって、なにもわたしだけじゃない。もっともっと、それこそ到底笑えへんくらい大変な思いをしているひとだっていっぱい、いっぱいいて。

世の中ってなんやねん。
理不尽ってなんやねん。

言い出したら、考え出したら、ほんまにキリがない。

だけど、どんなにしんどくっても、理不尽でも、生きてる限り明日は来てしまう。
苦しみの中にいるひとには酷なほど、どんなに来てほしくない明日でも。

わたしは、同じ来る明日なら、笑って生きるためにどないしたらいいか、を考えたい。


そして、もし突然明日がやって来なくなっても後悔しないように、今日、いま、食べたいものを食べて、おいしいねって、誰かと笑ってたい。

いつか明日が来なくなる日まで。毎日、毎日。

だからこうしてタダノ食いしんぼのつぶやき、をここでこうして書いているのかもしれない。
今日も、わたしが生きた証として。

もし近くに、しんどくて辛くて、もうどないしたらいいかわからへんようになってる人がいたら、一緒に考えたい。
なにかおいしいものでも食べながら。

考えたって何にも浮かばんかもしれん。
たいして役に立たへんかもしれん。

けど、しんどいことを笑いに変えるのはちょっとだけ、ひとより慣れてると思うから。
ひとりで考えるよりも一緒に考えた方が、いいアイデアが浮かぶかもしれんから。

そして、おいしいものは身体と心を一時でも、必ず満たしてくれるから。

特別なものはなんにもないけど、一緒にごはん食べようって声をかけることくらいなら、わたしにもできる。
満たされた気持ちで誰かと一緒に話しながら考えた時に、さっきまでは見えなかった道がちょっと見えたり、思わぬところからヒントがもらえたりすることがある。

だからわたしは、こういう場所があったらいいなあって思いついて『よばれや』をはじめました。

そうそう、深澤さん!
このいちまいごはんをやってる六間道商店街の中にね、平和レコードっていう古いお店があんねんけど。もうね、わたしがこどもの時から佇まいがずっと変わらん、むかーしのレコード屋さん。

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ここ、なんとね、数年前に桜井さんが来て、すごい話題になっててんよ。
ミスチルのツアー先で、現地のCDショップをサプライズ訪問するって企画でね。
なんでここが選ばれたんか知らんけど、やっぱり桜井さんの震災に対する想い、みたいなものがあったんちゃうかなって、わたしは勝手に思ってる。

ろっけん。
めっちゃええとこやで。
昭和レトロがいまも息づくまち。きっと懐かしくてたまらんと思うわ。
いつか遊びに来てね。ごはん食べに。

神戸じゅうのB級グルメも、お腹はちきれるまで案内するし。
あちこち下見しつつ(お前が行きたいだけちゃうんか!)待ってます。

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あら、気づいたらもうこんな時間。むっちゃ長なったやん!
どう〆よかな。
最後くらいはちゃんとせなね。

今回、深澤さんの企画を通して、自分の発信をひとに読んでもらうこと、ひとの書いたものをじっくり読み込むことの、何とも言えないあったかさを思い出しました。

それこそ、混みあったランチのお店で、たまたま一緒のテーブルに案内されて相席になった時みたいな。それまでは見知らぬひとどうしだったけど「あ、それ美味しいですよね」ってちょっと声を掛けあって笑顔になる、みたいな。そんなあったかさ。

ソーシャルディスタンスってことばが生まれて、ひととひととの距離がずいぶん遠くなってしまって。それにすっかり慣れたわたしたちは、noteでまで無意識にやってしまってないだろうか。

踏み込んではいけないのかもしれない。
距離を取らなくてはいけないのだろう。

マスクをつけて。会話は最小限で。
おそるおそる。おっかなびっくり。

そうなのかもしれんけど、でもそれ、ほんまにそうなん?
ここで、ほんまにそのマスクいる?

おせっかいかもしれんけど、わたしでよかったら話きくで。
もっとちかくで話そうよ。
もっともっと、一緒に遊ぼうよ。

ここは現実とは違って、思い切って近づいてもきっと大丈夫。
ちゃんと相手のことばを聴いて、自分の気持ちに嘘をつかず、そのまんまの想いを素直に出していけば、お互いにとって心地よい距離がわかるはず。

ここは、もともと出逢うはずのなかったひとと、こころをひらいて、自分ひとりでは見れなかった景色を見ることができる世界。
ことば、を使ってまるで手をつないだり、ハグをしたりすることができるような、そんな世界。

ここんとこ、ちょっと実生活が忙しくてnoteから距離を置きがちになっててんけど。やっぱりnoteってええな、わたしはこのnoteの海でずっと遊んでたいなって、再確認できました。

回遊魚族のわたしにとって春はいつもバタバタの季節ですが、ちょっと落ち着いたらnoteの中で、みんなで遊べる企画を考えてやっていこうと思います。

もしわたしのnoteを読んでちょっとでも面白いと思ってくれたなら、誰でもいつでも遠慮なく、声をかけてください。

noteの海で泳ぎたいひと、砂浜でぼーっとしていたいひと、海の家で乾杯したいひと。一緒になんかしたい!というひとなら、どんな遊び方でも大歓迎。いつでもお待ちしています。

新しい季節に、新しい気持ちで。
新しい自分を見つけにいこう。

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