娘がもらった優しさの傘に入りやわらかな世界を知る
娘がまだ1才の頃のある日曜、平日の食料をそろえるための買い物帰りに3人で本屋に立ち寄った。
夫は娘を抱っこし新刊コーナーへ歩いて行った。
私は最近娘に絵本を買っていなかったと思い立ち、絵本コーナーへ向かった。最近の書店は絵本にビニールがしてあり試し読みができないところも少なくないが、この時立ち寄った書店はそういったこともなく、わたしはたっぷり時間をかけて娘の絵本を選んだ。
少しの充実感を胸にやっと店の外へ出ると、わたしたちはアスファルトの匂いと季節はずれの夕立ちに包まれた。
急な雨に気が重くなったが幸いにも、車で来ていたため夫が車をまわしてくれることになり、わたしと娘は店の軒下で雨宿りしていた。
数分経っただろうか、右手に傘をさし、左手に大きめの傘を持った60代くらいの女性が小走りに店に向かってきた。
その女性がわたしと娘の前を通り過ぎたとき、後ろから柔らかい声が聞こえた。
「お母さん大変ね。もしよかったら、この傘使って。お父さん迎えにきたんだけど、1本あれば十分だから」
はっと振り向くと、ご主人のために急いで来たのだろう、わたしと娘に傘を差し出したその笑顔は傘をさしていたにも関わらず雨に濡れていた。
少しの驚きと安堵と温かさで喉がしぼられてしまったわたしは、夫が車を回してくれていることをやっとのことで女性に伝えた。あいさつをを覚えたての娘みたいにペコペコ頭を下げて、お礼をした。
女性は心底安心した顔をしてよかったわ、そう言って店の中へ入っていった。
もしわたしがひとりで雨宿りしていたら、おそらく差し出されなかった傘。娘にかけてくれた傘。娘が生まれてから、やさしさに触れることがぐんと増えた。きっとわたしが知らないところでずっと前から確かにあった柔らかいものに、娘が触れさせてくれている。
イライラしたわたしはときどき忘れそうになる。いっぱいいっぱいになったわたしはときどき当然のようにふるまってしまう。
そんなときは、娘に少しだけ傘をかりる。この傘は目の前の世界がやさしさに満ちていることを証明するやわらかな傘だから。