井上ひさしさんと、2023年8月15日

「闇に咲く花」を観劇した。
(終戦の日にこの作品を観れたのは運命だったとしか言いようがない)
こまつ座の作品を観るのはこれで3作目、か
日本人のへそ、きらめく星座、闇に咲く花
どれも本当によく覚えているし、どれも自分にとって強烈な観劇体験だったということは間違いない。

実は学生の頃に一時期、井上ひさしさんの「箱根強羅ホテル」を演ろうか、という話が進んでいた。とっきー(現在も舞台美術業界で頑張っている素晴らしい演劇人/仕事人/りんごアレルギーの林檎のくに生まれの人)が企画、自分が演出で、同期を集めての自主企画を立ち上げようと画策していた。まぁ結局それは時期的・物理的・人選的にも難しかったので実現には至らなかったけど、自分にとってはその時が「井上ひさし」さんを認識する決定的な機会となった。

井上ひさしさんとはなんだ、誰なんだ。
当時は名前だけ知っている状態だった。その「箱根強羅ホテル」だって、とっきーが話を持ちかけてくれなかったら読んでなかったと思う。
で、ちょうどその作品を掘り下げている時期に、大阪で井上ひさしさん作の公演があると知り…!迷う事なくチケットを取って観に行ったのが「日本人のへそ」だった。


その年の自分の手帳に、見開き2ページ丸ごと使ってデカデカと書き込んだ井上ひさしさんの言葉がある。

「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」

この言葉、あの時はあの時なりに響くものがあったから急いで書き記したんだけども
昨日もらった記念グッズのエコファイルにもこれの一部が書かれてあって。
なんかあの時とは違う感覚が襲ってきた。
あぁ、これは確かに井上ひさしさんそのものだなと。
今まで作品を通して感じた井上ひさしさん、そのもの。
相変わらず自分は彼のことを何も知らないけど、でも作品の中に彼は確かに生きている。不思議だけど、こまつ座の作品を観るときってまるで井上さんに会いに行っているみたいな感覚がするんよなぁ。

昨日は特にそうだった。
あの劇場空間の中に
役者の発する言葉の一つ一つに
観客の祈りと想いの中に
その全体の中に井上ひさしさんが存在していた。

作者や演出家を感じる舞台はこれまでも色々観てきたけど、井上ひさしさんの存在感はちょっと特異な気がする。
「私はこういう人間です!」という主張は感じない。
ただただ、人間そのものだったり、世界そのものだったり、それを井上さんの瞳を通して見させてもらってるみたいな感覚がする。だからいつも、自分の心の奥底に沈み込みかけていた大切な何かを思い出せる。

井上ひさしさんの作品は、言葉に力が宿っている。
俳優の体を通してこちらに届くとき、それは時に想像を絶するほどのエネルギーを纏っていて、自分たちが「人間」であることの喜びが呼び覚まされる。
人間が人間であるためには、多分「演劇」が必要なんだな。
そんなことすら思える彼の作品に力一杯の敬意を払うことが自分なりの誠意かなと。


井上ひさしさんの作品こそ、出自に関わらずたくさんの人に触れてもらうべき宝だと思う。演劇に精通しているとかいないとか、もうそんなの全く関係ない。人が集まって、一つの時間と空間を共有する、それがどんなに素晴らしいものかを思い出させてくれる。
人間とは何か、世界とは何か。
自分は「人間」なんだ、そして隣に座っているのもまた「人間」なんだ。
そんな当たり前みたいなこと、どうして日々を過ごす中で忘れてしまうんだろうな。
次の「連鎖街のひとびと」も楽しみ、本当に!



2023.8.16 深夜に書いてたやつでした🗒


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