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ハッピーチューズデー

昨日は火曜日でした。
というわけでもくそもありませんが、映画を一本観てきました。
「ほつれる」という作品です。

どうやってこの作品を知ったのか今では全く覚えていませんが、間違いなく昨日何かしらのSNSを通してその存在を知り、勢いそのままに劇場へと足を運びました。


何というか、僕はこういう体験をするためにわざわざ映画館に足を運び映画を観ているんだなあと改めて感じられるほどに素晴らしい映画でした。
まず、エンドロールが無音だったので非常に新鮮でしたね。没入感がすごかったので、職員の人が扉を開けるまでぼけーっと画面を観てました。

内容としては、とある夫婦の不倫がメインテーマです。

僕も気付いたら今年で22歳を迎え、周囲からは結婚の話題がちらほら耳に入ってくるようになってきました。そのせいなのか、こういった不倫を題材にした作品に対する解像度が昔より上がったなと今回はっきり感じました。

「結婚は勢いだ」なんて言葉もありますが、僕は半分賛成で半分反対です。結婚ってものすごく重い決断で、とてもじゃないけど勢いに任せて相手を決める事はできないなと。しかしながら、どれだけ長い時間を共にしてから自信をもって判断を下した結婚だとしても本作のようなすれ違いや不倫は起きうるし、そんな可能性を冷静に考え始めたらもう勢いに頼らないと結婚には踏み込めないんじゃないかなと。

この映画を観終わってからはそんな事をぐるぐる考えています。つまり結婚なんて自分にはまだまだ想像もつかないなあという感想。


話は変わりますが、僕は本編が始まるまでに流れる映画の予告が小さい頃から大好きです。その日の目当ての映画を今か今かと待ちわびているにもかかわらず、思わずのめり込んでしまうほど惹きつけられるような予告がいつも僕を待ち構えています。世の中には面白い映画が本当にたくさんあるもんだな~といつも思わされます。今回やと「市子」とか「ダンサー・イン・Paris」でしたね。


そんなわけで就活始めたての頃は、自分も映画業界に入ってこんな風に人を魅了する映画予告を作りたいなんて思ったりもしました。が、やめました。

僕の人生において非常に大きな役割を担っている趣味は、そのまま趣味として留めておきたいなという結論に至ったからです。

音楽も同じ理由です。今までたくさん僕を助けてくれた音楽業界にどうにか貢献したいなんて燃えていた時期もあったんですが、仕事として関わる事で自分にとっての音楽の位置づけが変わってしまう事に怖さを感じたんですよね。

あくまでも自分はこれらの趣味を享受する側でいたいんやな~と再確認しました。


その代わり、将来やりたい仕事が一つ見えました。ガイドです。

留学中にこの職に就いていた大人の方たちに親切にしてもらったのが大きいです。特にその中の一人には本当に本当にお世話になって、自分もこんな風にホスピタリティ精神に溢れた人間になりたいと思えました。誰かにここまで純粋な尊敬とあこがれを抱いたのは初めてな気がします。

去年までは考えもしなかった職種だったので、この選択肢を手に入れられただけでも留学に行ってよかったなと心底感じてます。ガイドというのはフリーランスかつ年を取ってからでもなれるそうなので、とりあえず気が変わるまでは実現に向けてせこせこと準備を進めていきます。ちなみに新卒でフリーランスは怖いのでいきなりガイドは止めました。


良い映画を観るといつも「明日から日々を大切に生きよう」とか「あの登場人物みたいになりたいな」みたいな事をしみじみと感じます。特に帰り道。

この余韻に浸れる量の差だけでも、家で観るのと映画館で観るのとではやはり大きな違いがあるなと思っています。みなぎった決意も次の日には大抵消えてしまっているんですけども。


またまた話が変わりますが、先日とある企業のインターンに行ってきました。今のところ一番惹かれている会社なんですが、プログラムの中に社長座談会なるものがありました。

社長や企業の生い立ちを聞いた後に学生側から質問をする時間があったんですが、その中の一つにこんな質問がありました。

「もし御社に内定を頂けた場合、残りの学生生活でどういった取り組みをすれば入社後に活躍できると思いますか」

これに対して社長は「勉強をしてください」と答えました。「自分が専攻している事でも、興味がある事でもなんでもいいです。とにかく必死に勉強をしてください。それがこの先のあなたをきっと助けてくれます。」と。


てっきり「大学生のうちにしかできない経験をしてください」みたいな回答が来るもんやと予想していたのでこれには驚きましたね。ただ同時に「その通りやなあ」と心の中で納得してました。

ワーホリ留学で社会人の生活を体験するうちに「大学生ってほんまに時間があるんやな」という事を強く感じました。仕事の合間を縫って、生活の中に遊びでも寝るでもなく「勉強」の時間を確保するのは本当に大変だし、めんどうだし、相当な精神力と習慣化が必要だからです。「学生の本分は学業」という聞き飽きた言葉の意味が初めて理解出来たし、これに気付けたのが今でまだ良かったなとも思いました。

なので残り一年半の学生生活はもちろん遊びつつ、語学と歴史の勉強に力を入れたいな~なんて。こんな事を定期的に感じて、noteに書いて、忘れてを繰り返してるという自覚もあるんですが、まあ人間らしくて別にいいかなとか思いつつまた書いてます。


つくづく思いますが、人が誰かの価値観や行動を意図的に変えられる事なんて本当にわずかです。ましてや言葉を投げかけてすぐにその人の変化を期待してもあまり成功率は高くないと僕は思ってます。

自分がどれだけ熱い気持ちをもって話したり、至極真っ当と思われる事を言ったとしても、それがその場で聴き手に届く事なんてほとんど無いのではないかなと。むしろ熱意や正論の度合いが強ければ強いほど心に響かない、なんて事すらありえます。逆にさらっと言った誰かの一言に一生影響を受ける人もいると思います。

誰かに惹かれたり嫌になったりする時も似てるんじゃないでしょうか。何気ない言動ほど大切なものが垣間見える気がします。


僕も留学を始めて3カ月が経った頃に先輩から「どんなけ生活が忙しくてもスペイン語の勉強はやった方が良い」と電話で言われました。自分の過去の後悔をもとにアドバイスをしてくれ、僕もそれを聞いた時は勉強の熱に燃え上がりました。その時は本当にモチベが上がったし危機感も覚えたんです。ただ数日もすれば忘れてしまいました。


だらだらと書いてますが、こういった「誰かに変わってほしい」という願いが込められた言葉が無意味だと言いたいんじゃありません。先輩のやつに関しては変わってほしいというよりただの助言なんですけどね。

自分の言葉がその場で相手に理解してもらえなかったり、行動が変わったりしなくてもそれは仕方がない事であり、その人にはまだ必要のない言葉だっただけだという事。そして、もしその人に「あの時あの人が言ってはったのはこういう事だったんだ」と腑に落ちて思い出す瞬間が訪れた際にはその言葉がその人の支えとなるんじゃないかという事です。

相手への諦めとも取れますし気楽な姿勢とも取れますが、相手は自分と違う人間なのでしょうがないです。「いつかこの言葉が届けば良いな~」くらいの方がお互い気楽です。


僕は大学に入ってからスペイン語を勉強したいという漠然とした気持ちを常に持ちつつも気持ちがのり切らず、自主的な勉強が続きませんでした。単位を落とさないために最低限の勉強をしていただけの気がします。

ただ、ガイドになりたいという「目的」が出来た事で、スペイン語が「手段」に変わりました。そしたら勉強が気楽になったしさらっと習慣になりました。よく聞く「目的と手段」の理論ですね。

留学を終えた今振り返ると、あの時先輩が言ってた「勉強はしといた方が良い」もこの前社長が言ってた「勉強はしといた方が良い」も全て心から納得できます。そしてこの二人の言葉は、今の「勉強は学生の間にしといた方が良さそうやな~」という僕の考えをこのまま信じても大丈夫なんだという支えとして残ってくれています。

やっぱり人が変わるためには、本人の自発的な納得感が無いとどうしようもないという結論です。


自分のメモ代わりに書きますが、最近好きな役者さんは池松壮亮さんと西島秀俊さんです。去年観た「ちょっと思いだしただけ」とか「ドライブ・マイ・カー」の影響が大きいですね。ちなみに、次に観たい映画は「首」か「愛にイナズマ」です。


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