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WDA限定研究会「ワールド・カフェの何が面白いのか?」(ゲスト・古瀬正也 さん)

なぜ、他にも多様な対話の手法があるにも関わらず、筆者はワールド・カフェに着目しているのか。それは、ワールド・カフェは、その席替えの仕組みと深い問いによって短時間で多角的な視点が得られる為、対話をしていく上で最も重要だと思われる対話の基礎姿勢、言い換えるならば、「対話の基礎体力」のようなものを育む場として機能すると考えているからである。

『ワールド・カフェ・デザインの可能性-対話による社会構築に向けて- 
第3章 対話による社会構築とワールド・カフェの社会的価値(古瀬, 2013)』より

2018年2月28日、WDA限定研究会「ワールド・カフェの何が面白いのか?」が開催されました。東京大学本郷キャンパス福武ホールを会場として、ゲストには古瀬正也さん(古瀬ワークショップデザイン事務所代表)をお迎えし、会場には参加者として約30名のWORKSHOP DESIGN ACADEMIAメンバーにお越しいただきました。また過去にワールド・カフェに関する講座研究会を担当してきたミミクリデザインの和泉裕之が司会・進行を務めました。

そもそもワールド・カフェの面白さとは何か?

ワールド・カフェが対話の手法として提唱されたのは、1995年のアメリカのこと。アニータ・ブラウンとデイビッド・アイザックスが「どうすればゲストがリラックスしてオープンに生成的な話し合いを行えるのか?」という問題を抱えるなかで試行錯誤を繰り返し、その原型を“発見”したことが発端とされています。

ゲストの古瀬さんは、大学・大学院と一貫してワールド・カフェの研究を行うと同時に、古瀬ワークショップデザイン事務所の代表として、様々な企業や団体との場でワールド・カフェを企画・運営してきました。今回の研究会では、まず古瀬さんから、これまで10年の歳月をかけて収集・体系化してきた知見をもとに「そもそもワールド・カフェの面白さとは何か?」というテーマで、約1時間ほどお話し頂きました。その後古瀬さんのお話を切り口として、参加者も交えたパネルディスカッションを行い、ワールド・カフェが持つ魅力の根幹へと迫っていきました。

「ミルクとコーヒーが混ざり合うような体験だった」

古瀬さんがワールド・カフェに出会ったのはまだ10代の頃でした。
大学入学直後に社会貢献活動に熱心に取り組むも、次第に「結局自分の自己満足なのではないか?」という疑念に囚われるようになった、と古瀬さんは当時を述懐します。そして「社会問題の根底には何があるのだろうか?」という問いを強く抱くようになっていったのだそう。

そんななか、古瀬さんは「ダイアログbar」という対話の場に参加し、人生初のワールド・カフェを体験することになります。この時の体験を、「ミルクとコーヒーが混ざり合うように、異なる価値観が混ざり合っていくよう」だったと話す古瀬さんは、ダイアログbarでの体験を通じて、先ほどの問いに対する二つの仮説を立てました。

仮説1.
「あらゆる問題の根底には、異なる価値観のズレがあるのではないか?」
仮説2.
「異なる価値観のズレが擦りあわされないから(対話できないから)いろんな問題が発生するのではないか?」

初めてのワールド・カフェ実践:「自由とは何か?」

ダイアログbarでの体験からわずか2週間後、古瀬さんは仲間内でワールド・カフェを開催しました。「『何か新しいゲームを見つけたからやろうよ!』というようなテンション」で、とりあえず開いてみた、と。その時の問いは、「自由とは何か?」。ただし、この抽象的で大きな問いはあくまで出発点として、そこから参加者の興味・関心に基づいて、小さく考えやすい問い(例えば「自由/不自由を感じるときはどんな時ですか?」や「自由から不自由に変わる瞬間、何があったのでしょうか?」など)に派生していったのだと、当時の様子が語られていました。

▼途中、古瀬さんによる参加者とのミニ・ダイアローグも行われていました。

ワールド・カフェが顕在化させる<流動的な秩序>

初めての実践を終えてから、古瀬さんはますますワールド・カフェにのめり込んでいきました。10年に渡りワールド・カフェの研究と実践を往復する日々を送るなかで、近年以下のような独自の定義にたどり着きました。

“(ワールド・カフェとは)我々の根底に潜在化している<流動的な秩序>を顕在化させるための生命システム(である)”

それからは、このやや難解な定義を丁寧に紐解いていくかたちで、話が展開されていきました。まず「潜在化している<流動的な秩序>」とは一体どのような秩序なのか、解説されました。

古瀬 例えば3人で集まった時に、「お昼ご飯になにを食べるか」と話し合うとしますね。3人にとって一番良いお昼ご飯を探るために、会話を通して「きのう何食べたか」や「好みは何か」といった個人の好みや、「今何時か?」や「どこまで遠くにいけるか?」など、状況的な“縛り”も同時に考慮されることになります。また、もし3人の中に肉が苦手な人がいて、他の2人がそれを知っていたなら、その2人はお肉を食べようとは言わないでしょう。「距離があるからあのお店には行けない」や「この人はお肉が苦手だからそれ以外のお店を選ぶ必要がある」など、行動に変化を起こすような秩序が、目の前の人や状況に応じて形成されていきます。”

普段の生活で、私たちがこうした秩序にわざわざ注意を払うことはほとんどありません。しかし、そのような場に眠る秩序をあえて表出させ、意識化させることがワールド・カフェの大きな役割の一つであると古瀬さんは言います。

古瀬 ワールド・カフェでは、複数のグループがそれぞれで対話を行い、同時多発的にこうした秩序の顕在化が起こります。そしてその後それぞれのグループの結果や過程を見せ合い、統合していく中で、場全体に眠っていたさらに大きな秩序が顕在化されていきます。”

ワールド・カフェは、人間が本来的に持ち合わせている力が相互に関わり合いながら営まれるものであり、その構造全体を古瀬さんは「生命システム」と呼んでいました。そして、<流動的な秩序>が顕在化していくのも、生命システムの働きによるものだとして語られていました。

またワールド・カフェの提唱者であるアニータやデイビットも「ワールド・カフェのプロセスが人間の本質に関する2つの基本的な信念を呼び覚ます」として、ワールド・カフェを生命論の視点から捉えていることに触れ、アニータらが繰り返し引用するマトゥラーナヴァレラという二人の生物学者や、彼らが提唱するオートポイエーシスという概念を紹介しながら、アニータらの主張の要点をわかりやすく解説していきました。

▼ワールド・カフェのプロセスが呼び覚ます2つの基本的な信念

ワールド・カフェにおける良い問いとは?

良い質問、すなわち私たちが真に気にかけていて、答えを見出したいというような質問は、私たちの意識の方向を外に、あるいはお互いに向かわせます。
良い質問は、探求し、冒険に踏み出し、リスクを取り、耳を傾け、自分の立場を捨てることへ私たちを誘うのです。

ーー「ワールド・カフェ-カフェ的会話が未来を創る」より

古瀬さんはワールド・カフェにおける問いについて「いつでも誰にでもどこでも通用する『良い問い』はありません」と前置きながら、それでも「その時々の状況と目的に応じた『良い問い』は存在します」と話します。そしてワールド・カフェを生命システムとして捉えたときに「ワールド・カフェにおける良い問い」についても別の見方が生まれてくる、と古瀬さんは言います。

その解説として古瀬さんは、科学者・清水博氏が提唱する「(生命には)存在し続けようとする能動的な動きがある」という主張や、『カウンセリングの祖』ともいわれるカール・ロジャーズ氏の『実現傾向 (actualizing tendency):生命体が自らをよりよく実現していこうとする潜在的な力』という概念を引き合いに出しながら、それらを混ぜあわせるかたちで、「<いのち>と「実現傾向」を活性化させるような問いが『(ワールド・カフェにおける)良い問い』である」といった主張を展開していきました。

ワールド・カフェをこれから開くあなたへ

話題提供の終盤、古瀬さんからこんなメッセージがワールド・カフェをこれから開く人たちに向けて話されました。

本当に話し合いたい(合うべき)人たちで
本当に話し合いたい(合うべき)ことを
本当に話し合ったらいいのです

またこの他にも、ワールド・カフェを目的と状況に応じてデザインする姿勢が重要なのだと、一貫して主張されていたのが印象的でした。

まとめ:ワールド・カフェの何が面白いのか

最後に、今回の話題提供のまとめを3つのポイントで提示してくれました。

(ワールド・カフェを用いることで)
1.「本当に知りたい、けど、一人では発見できない知恵(集合知)」を発見できる。
2.お互いの価値観をさらけ出し合うことで、仲良くなれる。つながれる。
3.会話は「世界」を構築する。会話を通してそれぞれの「世界」がその都度編み直させる。

ワールド・カフェに適した目的や状況とは?

そのあと、ミミクリデザインの和泉裕之を司会として、参加者も交えたパネルディスカッションへと入っていきました。

まず最初の参加者からの質問で出てきたのは、ワールド・カフェの得意とする目的やワールド・カフェが有効なシチュエーションは何か?という質問について。

参加者 ワールド・カフェをやって、今日の場は成功だったという感覚はあるのでしょうか?あるとしたら、何をもって成功と言えるのでしょうか?また、様々な手法があるなかで、ワールド・カフェが向いている目的というものもあるのでしょうか?

古瀬 成功の基準はその場の目的の設定によると思います。目的がワールド・カフェによって達成できたら成功です。(もう少し詳しく言うなら)様々な方面の要望を聞き出した上で、目指すところを互いに確認しながら、主催者が設定した目的を達成できていそうな場であれば、良しとしていますね。

向いているのは「1人では見つけられないことを『発見』しよう」という場合です。私たちが共通して大事にしてるものを見出していきたいなど、他の人と知恵を集めて発見したいことがあるのなら向いてるのではないでしょうか。

創発型ワークショップとワールド・カフェのシステムを比較して

また中盤からは、安斎も話に加わり、安斎が専門とする創発を目的としたワークショップとワールド・カフェの比較へと焦点が移っていきました。

安斎 まさかマトゥラーナとヴァレラが出てくるとは思わなかったので、面白かったです。背景理論がオートポイエーシスなんだ!と思いました。生命システムというのは、例えば、皮膚が傷ついても時間が経てば勝手に血が止まって新たな皮膚がつくられるように、身体が身体を創造するシステムを指しているのですが、対になる概念として、アロポイエーシスという考え方もありますよね。オートポイエーシスは自己生成的であるのに対して、アロポイエーシスは、例えば工場がプロダクトを作るような、自己とは異なるものを生み出すシステムのこと。

プログラムが作り込まれた構成的なワークショップは、どちらかというとアロポイエーシス的な場なのかもしれない。ファシリテーターが外側からシステムを構築したり刺激を与えたりすることで、システムから異種の成果を創発させていく。他方でオートポイエーシスとしてのワールド・カフェでは、ファシリテーターが問いを場に投げかけたとして、それを触媒にしながらその問いの枠から飛び出そうとすることもあるし、問いが自発的に変わることもある。……ワールド・カフェが一つの生命システムだとして、ファシリテーターや問いは、生命システムの内部の要素として捉えているんですか?

古瀬  内部の時もあれば、外部の時もありますね。

和泉  生命システムが一つのセル(細胞)だとしたら、ファシリテーターはその表皮に位置している存在のように感じる。

安斎  境界にいる?

和泉  そう。境界にいる。中でもあり、外でもある存在。ファシリテーターが境界にいて、呼吸を手助けしながら空気を循環させることで、生命システムが機能していく。もし空気が入らないと、生体として死ぬ、みたいな。

古瀬  問いはただの入り口だという感じがしています。これはひとつの入り口なんですと、ファシリテーターから最初に一言でもあれば、参加者は探求したくなった時に勝手に探求し始めます。問いをきっかけとしながらも、そこから派生したり、問い自体が作り直されるところに、作り直しっていうのも許されるっていうような雰囲気も含めて、面白さがある。

安斎  工場の製造ラインに、おかしな部品を混ぜたらエラーが起きる。だけど、小さい子にばっちいものを食べさせてしまったとして、それで体調を崩すかといえば、かえってお腹が丈夫になることもある。プログラムが作り込まれたワークショップとワールド・カフェの違いは、なんか、そんな感じ。構成的なワークショップだと、重要な場面で問いの設定を間違えたら大変なことになる。だけど、ワールド・カフェの場合は、生命システムの構成要素であることを一人ひとりが合意したなら、この問いはちょっと臭うけれど、あえて口に入れてみようとか、やっぱり不味いから火を通して食べてみようかとか、プロセスを自己生成しながら、プロセスを味わっていく場なのかもしれないですね。

研究会を終えて

和泉  問いの立て方ももちろん重要。だけど、その周辺の、最初のエチケットや想定の保留という態度をどう理解してもらうかとか、個人の洞察を回収して場に還元するハーベストのやり方とか、ワールド・カフェは一見単純なんだけど、本質はとても深い。開催しやすいんだけども、難しい。だからこそ今後も探求していきたいなと個人的には思いました。

古瀬  (ワールド・カフェを)一つの試合のようなものなんだと捉えているんですよね。だから、エチケットや最初のカフェ・ルールは場の前提として、このフィールドで今日は戦いますよというアナウンスでもある。ファシリテーターはまず参加者にルールを示すんだけど、その時に場に合わせて毎回変えるように意識しています。ワールド・カフェの目的や意図に合わせてデザインしていく。

それからワールド・カフェでは、参加して終わる場ではないというか、参加よりも貢献を促しましょうと(参加者には)伝えています。一人一人にしか出せないものがあるので、それを惜しみ出すことによってコミュニティに貢献してほしい、と。言い忘れていたなと思って、最後に言いました。まとめではありませんけれども、今日は長い時間、聞き浴びて頂いて、本当にありがとうございました。

執筆・写真 水波洸

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