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憧れが成仏したとき


私の通っている大学は卒論が10単位なので、これが書けなかったら10単位を残して留年なのですが、いつも通りギリギリでいつも生きてしまい、本当にしんどい先週一週間でした。

けど思ったよりも卒論が自分にとって財産となって、この感情を書いておきたいなーと思ったのでバンタン関係ないけど書いておきます。


テーマはざっくりいうとバレエについて書いた。


私は小さい時から美しいものが大好きで、バレエも本当に大好きだった。歌舞伎、宝塚が好きだったこともあったし、いまはバンタンが好きだけど、結局共通して美しいものや美しい人たちが大好きです。逆に美しいんの嫌いな人いる?

綺麗な音楽にこの世の人とは思えないほど美しい踊りがあって、またこの世のものとは思えないほど美しい非現実世界を見せてくれるのが古典バレエです。長く習ってもいたけど、当然美しいバレリーナのように踊ることもできず、大好きだからこそ、その違いにどうしても耐えられなかった。努力の世界でもあるけど、正直生まれ持った骨格の世界でもある。それからは見るだけになっていたのだけど、ずっと好きな気持ちを形にしたいとは思っていた。違いに耐えられなくなったからと言ってすっきりと諦められていたわけではなくて、バレエでなくても違うジャンルのダンスにすればよかったのかな、とか考えてむしろフラストレーションは溜まっていっていた。学生最後に自由に何かを書くことができるタイミングで「何を書きたいか」と考えたらやっぱりバレエについて書きたかった。バレエに対する情熱を、自分はもう演じることはないにしても論文という形でなら、4年間学んできたことを生かしたら、自分の考えや情熱を人に伝わる形で表現できるのではないかと思った。完成させて感じたのはものすごい達成感。


なんというか、私はバンタンに対して「好き」と言っても、(返事が欲しいから好きと言っているわけではないけど)メンバー誰かからその返事が来るわけでもない。そんな人は世界にほんの数人いるかいないかだけど、絵がうまかったり、文章が上手だったりで、「好き」をうまく表現できて共感をたくさんもらえる人はそんな気持ちにならないのかな、なんて考えたりもする。感情が一方通行なのは寂しい。誰かを好きな気持ちさえ他人に認めてもらわなければいけないのか、と自分の弱さにがっかりする。


そんなヨワヨワの自分だから、バレエに対しても「自分が好き」だけでは収まらず、「この人はこんなに好きなんだ」と認めてもらいたかったのかな、と今となっては思う。バレエに対する気持ちを私は踊ることでは表現できなかったけど自分の納得できるレベルでやっと形にすることができた。ずっとバレエにしていた片思いに対してやっと返事がもらえた感覚。長い片思いだった。


なんだかんだ大学も、バレエだけではないけど芸術について学べる学校を選んでいた。好きなものは生まれてからずっと変わってなかった。卒業を前にして思うことは、好きな気持ちに嘘をつかずにやりたいことをやってきてよかったということ。周囲の凄い人たちみたいに何かを成し遂げないといけないと思って、でも何もできていない罪悪感をずっとずっと抱えていたけど、好きなことをやってきたことだけは褒めてやれるなと思う。それが例え、憧れに縛られてがんじがらめになって七転八倒しながらだったとしても、なにも達成できていなかったとしても。論文が書けたことで私の憧れは成仏した。