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「わからなさ」は、あたらしい世界への道

先日、コンテンポラリーダンスのワークショップで知り合った、バレエを3歳からやっているという女の子が主催したワークショップ&お話し会に行ってきた。

そこには、その女の子の高校時代のバレエの先生もいて、話を聞いた。

2種類の「プロ」

その先生は、10代のころミュージカル系の表現をしていて、21歳くらいのときにプロのバレエダンサーになろうと決意して、23歳でバレエ団に入って、10年はバレエ以外はやらないと決めて続けてきたと言っていた。

男性だからその年齢からバレエを本格的に始めて、プロを目指せた。もし自分が女性だったら競争が激しいこともあり、その選択は不可能だったと。男性か女性かの違いでそんなに状況が異なる世界をわたしは知らなかったから驚いた。

踊りでプロとしてやっていくには2通りあって、一つはいわゆる自分の踊りを見せて、それに対して観客から対価をもらうこと。もう一つは、レッスンのように踊る場を提供して、自分が提供したい価値と、参加者のニーズを満たすようなことをすること。

たしかに、上の二つの「お客さん」のニーズって全く違うよなぁ。観て楽しみたい人と、自分自身も踊って楽しみたい人。

それぞれ違うやり方じゃないと、相手を満足させられない。

静かに話す人

「あなたもプロになれる」という文脈で話してくれて嬉しかったし、自分の表現をしながら生計を立てるという部分でもよく考えていて、小商いっぽいというか、その先生もお店をやっている感じだと言っていて、本当にまるでカフェを経営している人みたいだと思った。

9.11の時や、東日本大震災、コロナの時期など、何度も、自分は踊っている場合なのか、レッスンを震災の2日後にやるべきなのか、と悩んだりした時のことを聞いた。

被災地に行くことだけがすべてじゃなくて、いつものレッスンを心の支えにしている人たちがいる。その場を求めている人がいる、自分のやっていることが他人のためになっているとその時強く実感したのだと。

静かに話す人だったけれど、何度か内側にある熱が火を噴き、当時の感情が伝わってきて心が震えた。この人は、一人じゃなくて周りの人と共に生きているんだな、彼の使命を果たすことが人生そのものなんだと感じた。

わからない、ついていけないもどかしさ


自分が生み出したいもの(output)と、他人が求めているもの(他人にとってのinput)が重なる部分で、生計を立てること。シンプルなんだと思った。

彼の話しは、すごくおもしろくてずっと聞いていられると思った。聞きたいことがたくさんあるような気がした。

でも、決して難しい言葉や専門的なことを口にしているわけではなかったけれど、「わからない」と感じる部分もあった。捕まえようとしても、指の間からこぼれていってしまってすぐに消えていくようなもどかしさがあった。残念。

でも、その感覚はひさしぶりだったからちょっと嬉しくもあった。

タイトルがおもしろそうでなんとなく読んだ本に、著者がこんなことを書いていた。

わからないという悔しさ、ついていけないというもどかしさが素晴らしい。それによって刺激を受け、なんとか近づこうと背伸びしているうちに、いつのまにか本当に背が伸びると信じている

『僕の好きな男のタイプ -58通りのパートナー選び-』松浦弥太郎

今まで全くと言っていいほど触れてこなかった踊りの世界にいま惹かれていて、いろんなワークショップに行っているけれど、私なんかが参加して大丈夫なんだろうか…と心配で参加しようか迷っているものもある。

勉強している英語とドイツ語も、わかんない、ついてけない!って感じだけど、なんだかんだ希望に満ちているというか。わかんない、楽しい!という感覚でもある。

私が新しい道に進むために必要な武器で、これがなければ異なる場所への道は開けない。だから、そのための武器なんだと今は信じている。すでに持っている武器だけじゃ広がっていかないから。


※メイン画像は、三好愛さんの『さみしくはないけれど』から。

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