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Newコタまり第13号「人ができることは、私にもできる」

(以前に書き溜めたものを、再構成してお送りしています)

人ができることは、私にもできる

基本的にはこうなんじゃないかな?と私は思います。

新聞で読んだんですが…。ちょっと捨てちゃってはっきりと覚えてないん
ですが、今度目と耳が不自由な方が、大学の教授になったそうです。
これだけだって、そうとうすごいことですよね。
小さいころに失明し、それから聴力も高校生の時に失ったということです。
自分の存在がなくなってしまうんじゃないか?というくらいショックな
出来事ですよね。これは。
※検索してみたら出てきました。東京大学の福島智教授のようです。インタビュー記事を貼っておきます。

でも、彼の母親が、指で点字を伝える方法を考え出し、意思疎通を必死に
図ったそうです。

彼は、目も見えず、耳も聞こえなくなった時のことを、後々に、
「見えず、聞こえずはつらく寂しい。でもだからこそ、他人とのコミュニ
ケーションが、奇跡のような輝きを放って感じられる」
と言っています。

そして、教授にまでなるんですよね。彼の苦労なんか、ほとんどその
記事には書かれてませんが、ものすごいものだったんだろうなぁ…。と感じ
ます。

そして、彼は結婚もしてるんです。もちろん相手の顔なんてわからないし、声すらわからない。でも、
「君は日なたに干した毛布みたいだね。ふわっとして…」と言って、口説いたそうです。
これは絶対に目が見えたり、声が聞こえたりする人には言えないセリフです
よね。普通は、見た目から入るじゃないですか。
こんな風に言われた奥さんって…。とってもうれしかったんじゃないでしょうか。

…。これはひとつの例なんですがね。

どんな分野でも、信じられないようなものすごい人を見かけることがあります。勉強もそうですし、仕事だってそう。
自分では、ものすごくよい結果が出せた!と思っても、平気でその上を行く人が必ずいます。
「すげ〜。この人。自分じゃここまでとってもじゃないけどできねえよぉ。」って尊敬しちゃう人は誰でも何人か見たり、聞いたりしてると思います。

で、二言目には
「でも、自分にはムリだなぁ…」
ってついつい言っちゃうんですよ。私もそうですけどね。
そこまではできないなぁ〜。という発想で見てしまうことって、さみしい
ですよね。

人ができることは、必ず自分でもできると思うんです。もちろん、その人に比べて、時間や手間がかかるかもしれないです。でも不可能ということはあり得ないと思うんです。
自らその可能性を捨ててしまってるんじゃないだろうか??

常に自分に可能性を持ち続ける、確かにそれは辛いことでもあるんです。
時にそれは、自分の才能のなさを痛感させることにつながったりするわけだし、耐えられないことだってあるんだと思うんです。
でもそんな時こそが、自分の可能性を伸ばす大きなチャンスなんだと思います。

本当にその人の真価が問われるのは、追い込まれた時かもしれませんね。
伸びしろは誰にでもあるのです。


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