見出し画像

「読書」がもつイメージ=私のイメージとされるのが苦手なことに気が付きました。

「趣味はなに?」と聞かれることが割と苦手です。
昔から自分の好きなものを誰かに語ることは得意ではないし、いつも自分の感情をうまく伝えられない気がしてモヤモヤしてしまいます。本当は読書が趣味です。本が好きで毎日読んでいます。でも、対面で「趣味はなに?」と聞かれると、「いや~特にないんですよね。どんなご趣味があるんですか?」と言ってしまいます。

これには理由があって、そのひとつが「読書って伝えるとおとなしいと思われそうだな…」ということなのです。

読書は、ほかの趣味、例えば音楽や、ゲームよりも、それ自体のハードルが高いものという認識が薄っすら世の中に広がっているような気がします。「読書=まじめな人」「読書=おとなしい人」のように思われている感覚が強いのです。学校で図書室によく行く人は、まじめでおとなしそうなイメージがありませんでしたか?何となく勉強ができそうで、眼鏡のイメージがありませんでしたか? それです。

「趣味はなに?」という質問は、単にコミュニケーションのきっかけだということは理解しています。ただ、「読書が好き」と答えることで、自分のイメージを薄っすらつけられてしまうことが何となく苦手なのかもしれません。私は活発なタイプではないけれど、特におとなしいわけではないし、旅行したり、友達と飲んだり、お笑いも好きなのに!

考えてみると、好きなものそれ自体についているイメージで、勝手にその人を判断していることが自分にもあると感じました。サーフィンが好きと言われたら「チャラいのかな」と感じてしまうし、生け花が好きと言われたら「お上品な方なんだな」と思ってしまう。本当は、サーフィン自体はチャラさと関係がないし、生け花が好きな活発な方だってたくさんいるはずなのに。

フラットな目線で物事をみることはすごく難しくて、刷り込まれている感覚を無かったことにするのも至難の業です。いま、この文章を書いていて「物事をフラットにみよう」とか「決めつけないようにしよう」というまとめをしたいわけではありません。ただ、「もしかすると、色々なことが勝手に判断されるし、自分も勝手に判断しているのかも」という備忘録でした。

(全然まとまらない……!)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?