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三島を読む。『 葉隠入門 』

若い時代の心の伴侶としては、友だちと書物とがある。
しかし、友だちは生き身のからだを持っていて、絶えず変わっていく。ある一時期の感激も時とともにさめ、また別の友だちと、また別の感激が産まれてくる。
( 中略 )
しかし、友だちと書物との一番の差は、友だち自身は変わるが書物自体は変わらないことである。
( 中略 )
われわれはそれに近づくか、遠ざかるか、自分の態度決定によってその書物を変化させていくことができるだけである。

もう…プロローグから、やられた。

右傾化した政治思想を持ち、自ら作った楯の会の会員 4 人とともに総監部に押し入り、益田総監を縛り上げたうえ、自衛隊員に決起を促す演説を行った直後、東京・市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部で、割腹自殺を行った最期とは対象的に…
美しく整った文章が特徴。
日常的には使わない言葉や詩的な表現を織り交ぜることで、独特な世界観を表現した 三島由紀夫。

そして 三島を語る上で、共に時代を代表する作家でありながら、対局にいる文豪として太宰治がいる。
三島由紀夫に「 嫌い 」と言われ、エッセイの中でも以下のように酷評される程。

太宰のもっていた性格的欠陥は、少くともその半分が、冷水摩擦や器械体操や規則的な生活で治される筈だった。生活で解決すべきことに芸術を煩わしてはならないのだ。いささか逆説を弄すると、治りたがらない病人などには本当の病人の資格がない。

『 小説家の休暇 』

裕福な家に生まれ、幼い頃から成績優秀。
しかし、愛情には恵まれず人間不信。
お金と、女性関係にだらしなく…
人生で 5 度の自殺未遂、心中未遂事件を起こし、薬物中毒を繰り返しながらも、最期は、妻ではない女性と入水心中をし 38 年の生涯を閉じた太宰。
私は、そんな太宰の駄目さ、弱さ、はかなさ、人間臭さ、女々しさが好きだ。
そんな自己や痛みを、恥ずかしげもなく作品にぶつけた 太宰が好きだ。

ストイックで漢らしい 三島と、意志薄弱で不安定な 太宰。

だからなのか、これまでなんとなく、三島由紀夫という人間を 食わず嫌いしてきた。

そんな三島が、戦中から折に触れて感銘かんめいして読み、「 わたしのただ 1 冊の本 」と心酔しんすいした『 葉隠 』

「 武士道といふは、死ぬ事と見付けたり 」の一文が 余りにも有名であるがゆえ、過激思想として認識されることが多いが…
その本質は、死の存在こそが自由・情熱・生への活力を生み出すという「 生の哲学 」だった。
三島は、『 葉隠入門 』の中で、こう述べている。
「 葉隠のいっている死は、何も特別なものではない。毎日死を心に当てることは、毎日生を心に当てることと、いわば同じだということを葉隠は主張している。われわれはきょう死ぬと思って仕事をするときに、その仕事が急にいきいきとした光を放ち出すのを認めざるをえない 」
つまり、毎日、死を想い過ごすことにより、現実の生活・仕事もまた輝きを帯びたものになる。ということなのだ。

' 死 ' と向き合うことは、すなわち、' 生 ' と向き合うことに通ずる。

三島もまた、太宰と同じ様、生まれながらの華奢きゃしゃさ、病弱さを自覚していた。
己の弱さを恥じていた。
だが彼は、それらの弱さを、自ら克服していった。

『 葉隠入門 』とは、三島自身の人生論、道徳観、死生観、文学的思想的自伝としても、様々な読み方が出来…
武士道を貫き気高く生き、この本あってこその、あの 最期だったのかもしれないと思わざるを得ない。


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