魚だった。#金魚鉢
『 金魚鉢の金魚は、
もう、海に帰ることを諦めたのかなぁ… 』
また おかしな事を言うものだと思いながら、僕は、忙しくしていた仕事の手を止める。
『 金魚は 淡水魚だからね…
海では、生きていけないよ 』
小さい子を諭すでもするように、彼女の隣にしゃがみ、そして、彼女が覗く金魚鉢を覗き込んだ。
『 私…
昔は、魚だった気がする。
それも、金魚。
朱い尾鰭を ゆらゆら揺らしながら、静かで穏やかな浅瀬の海を 自由に泳いでいたの。
口から吐いた泡が、キラキラしながら上に昇っていってね…
他の魚の口からも、同じようにキラキラした泡が出て、まるで、シャボンのようで綺麗だった。
ある日、人間の口から吐いた泡は音がして、それが とっても羨ましくって、人間にしてくださいって願ったの。
気付いたら 尾鰭は失くなっていて、代わりに足が生えて…
声も出せるようになってた。
でも、どうしてかな…
人間の泡は、綺麗なものばかりじゃないね。
浅瀬しか泳げなかったけど…
あの頃の方が、もっと 自由だった。
金魚だった頃は、溺れなかったのに
地上では、息苦しくって 溺れちゃう。
今は、海に帰りたいな、って思いながら…
海の色に似た 空を見上げるの 』
さもありげに そう言うと、彼女は視線を空へとやった。
僕も釣られて空を見ようとした時、仕事のスマホが けたたましく鳴って 現実に引き戻される。
『 飼い慣らされた 金魚は、もう、海へは帰れないよ 』
それは、すっかり人間になってしまった、自分に言い放った言葉に似ていた。
『 そっかぁ…
可哀想… 』
そして、侘しげに憐れむ顔をした 彼女は、紛れもなく、透き通るような朱の尾鰭をたなびかせながら優美に泳ぐ 金魚そのものだった。
昔々、金魚は本当に、海にいたのかもしれない。
人間に憧れて陸に上がり、人間になるか、人間に金魚鉢で飼われるかを 選んだのかもしれない。
それならば 僕は…
いつか、海へ帰れるだろうか…
空を見上げると、軒下に吊られた風鈴が、風に呼応して チリーンと鳴いた。
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