私は、赦すことが出来るか。
理不尽や困難は多い。
かくいう私も、先週…
もっといえば、先月から、弱り目に祟り目の様な日を送っています。
正に、踏んだり蹴ったり。
ただ、それに、どんな対応をするかによって、真価が問われるのだと思います。
これまでも、数々の事柄を ゆるしてきました。
飲み込めないことだって、奥歯でぎゅっと噛んで、無理矢理に飲み干して…
そうして、ゆるしてきました。
言葉とは、本当に面白いもので…
『 許す 』と書くと、どこか 上からのような事後承諾を与える意になりますが…
『 赦す 』と表記すると、怒りや恨み、復讐心や許せない思いなどの様々な感情を手放すこと。
又、英語ならば…
『 許す = PERMIT 』 許可する
『 赦す= FORGIVE 』 放免する
と、顕著にその違いが分かります。
つまり、許すことは出来なくても、赦すことなら出来るのではないかと。
これこそが、苦を脱却する為の哲理だと思うのです。
但し、私は、思想家でなければ 宗教家でもない。
ましてや、スピリチュアルには懐疑的であり、高尚な人間でもないので…
日増しに、とても苦しいです。とても。
本当は、泣き言や不安や怒り、ドロドロした嫌な感情を吐き出してしまいたいけれど、どうやらそれは 出来そうにない。
又、意に反して、周りは一斉に『 大丈夫? 』とばかり聞くものだから、心配をかけたくない私は、平気な風を装って『 大丈夫だよ 』と返すしかない。
それは、言えば言う程、自らの首を締めていくかの様、逃げ場を失くしていきます。
周りに風潮したのは、この為でしょう。
私の気い使いな性格を掌握した、見事なまでに組まれたロジックだと思います。
そして、こんな時にも道化てしまう自分の性格を恨めしく感じながら、浴室で一人、声を殺して泣く日々です。
なんだか、八方塞がりだな( 苦笑 )
いつか、この想いたちが昇華を経て、赦すことが出来る日まで…
備忘録に。
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