家の女に対する価値観。コッテリとしたお婆さんから見た家族感情。ジャーナリストさん。
昔本を一冊読んだ。
大正時代の大家族を題材にする娯楽本だ
その中で
女に対して何人かの登場人物と共に
描かれていた。
4人の女性の紹介
冷酷冷淡な幸の薄いまるで感情がナイフか無いものに出来れば良いのに、と。
女Aさんの決め台詞。
女は少し頭が悪いか病気の方がやり易い、と。
女Bさんの決め台詞。
私は中庸で健全なる肉体と精神の方が良いと思うけれどな、と。
女Cさんの決め台詞。
お願いだから、私を家の外に出さないで。勉学や芸術に人一倍たけ、努力しますから、と。
女Dさんの決め台詞。
AかDさんは、
それぞれ腹違いや年齢のまちまちな
姉妹
どうして片方のDNAが一緒なのに、
これだけ違いが出るのか。
この小説のおもしろいところは、
似ている!
ではなく、
違い過ぎている!!
ってところなのである。
Aさんのように、
周りの風貌に流され自分を創られるのは
まっぴら!
感情なんて押し殺し、私を取り巻く空気さえ
なけりゃえーのに。
って女。
Bさんのように、
病気で彼や誰かしらに依存して意地悪という名の牙を相手に向けて密かに嫌い、大好きになってやり、そして限りなく弱りたい。
って女。
Cさんのように、
男の人や自分より年上の人とでも時にゃー肩並べ馬鹿でも健気に、懸命に、自分の精神と身体に気を遣いたい。
って女。
Dさんのように、
この世は成り上がり勝ち。あたしは誰にも負けやしないんだから!と野心満々。
って女。
この4人は、冒頭どれも違い
けれど共通点が有る。
自分に置き換えても、
全部見事に己に置き換えられる。
そして、毎日を徒然書いてる文章は。
実はどれもやっぱり片方が同じDNAだ、と。
どこかで認識している情緒がそこにはある。
外面も内面も違うが、一家の血が混じり合う様に一つ屋根の下に落ち合い暮らす日もあれば、各々帰る場もあり、何と賑やかな家族なんだ、と。1番の年配者が話す。
昔の大家族はそうそう珍しくなく、
昔から人は華やかなモノなのだと10代に読んだ時にむさぶり読んだ。
答えは全て、本に閉ざされる。
時の流れに身を乗せ、時に本を読める時。
他の人がどんな事を思い、
どんな世界を見ているのか。
作者も人隣の人生。
対して変わるもんじゃない。
私が知り合った人生の中で一番最初に仲良くなった元新聞記者のフリージャーナリストさんが、毒舌なのか、新聞誌や週刊誌に塗れ生きていたからなのか、それは渋く実直で。
私はその人を何となく、とても好きになった。
この人との未来を、まだ見ぬ未来を
懸命に一緒に紡ぐんだと思うと
底の見えないくらい深い渓谷と
恋愛ほどのガサガサと逆立つ肌でもなく
そこには人が未来を信じると言う
恐怖以外の何物でもない感情が私を襲った。
現実のそんな脳のスリルと、
書物の過去を見返す脳の動作は。
アンビバレントに
ダイレクトに胸を打った
ジャーナリストと本。
とてもアンビバレント!
私は心にそう、その本を読んだ1日を
日記に書き記している。
この本を読んだ後、
ジャーナリストさんと話す機会を頂き
私は細胞が沸々と溢れ出して、
次から次へと
物を書きたい気持ちが込み上げた。
散文でも何でも、その時鮮明に強烈な思いを味わってしまうと。人はそのことを後世に伝えたい一心になると。その人は教授して下さった。
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