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嘘のような本当の話

自転車の写真をアップしようとしたら、ふいに思い出した。
わたしが自転車に乗れるようになったきっかけは、
「夢」だったということを。

まだ浅い春の、日曜日の朝のこと。
起きがけの夢の中で、わたしは自転車に乗っていた。
自転車に乗って、小さな庭をくるくると回り、
(まるでサーカスのクマみたいに)
ペダルをすいすいとこぎながら、
乗れた、
と思っているのだった。

目覚めても、夢の気配が残っていた。
服を着替え、顔を洗っているあいだも、
夢の名残を、からだの隅々で感じていた。

わたしはタオルで顔を拭くと、ふらふらと茶の間を通り過ぎ、
窓をあけて、庭に出た。
物置から母の自転車をひっぱりだし、ひょいとまたがる。
そして、ゆっくりとペダルを踏んだ。

と。
乗れたのだ。
すいすい、と。

そのまま狭い庭を、くるくると回った。
(まるでサーカスのピエロみたいに)
縁側に突っ立ったまま呆気にとられている母に向かって、
わたしはにっこり笑いかけた。
笑いながら、乗れた、と言った。
夢の中のことのように、淡々と嬉しかった。

あの時、母はさぞ驚いたことだろう。
起きてすぐに庭に出て行ったわたしを見て、
きっと、寝ぼけているのだと思ったに違いない。
いや、もしかしたら頭がおかしくなったのでは、と、心配していたかも。

自分で思い出してみても、そうとうに変な光景だったと思う。
しかも、その時のあたしは、もう幼子ではなく、
11歳だったのだから。

幼い頃に、補助輪付きの自転車に乗っていた覚えはある。
でも、ちょうどその頃、熱をだして寝込んでばかりいたものだから、
たぶん、補助輪を外す練習をしそこねてしまったのだろう。
し損ねたまま、小学校にあがってしまった。

それでも何の不都合もなかった。
なぜか友人たちも、自転車で遊ぼうとは誰も言わなかったし、
もう少し大きくなって皆で連れだってどこかに行くときも、
たいていは「徒歩」か「たま電」だったから、
自転車に乗らなければならない、という状況にならなかったのだ。

それでも自転車に乗れないというのは、
やっぱり恥ずかしいことだと、どこかで思っていたのだろう。
それで、あんな夢を見た。

だから、もし、
「初めて自転車に乗ったのは、いつ、どこで?」と訊かれたなら、
わたしはこう答えなければならない。
11歳の春の日に。
夢の中で。


嘘のような、本当のおはなし。


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