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『明日食べられるのだ、と牛は言った』


もし自分が、死んだあと誰かに食べられるさだめなら。
最後には誰かに食べられる命だとしたら。
どんな心持ちで生きていくのだろう。
まあ、たぶん。
たいていの牛や豚や鶏は、
そんなさだめなど知らずに生きているのだろうけれど。
でも自然界には、
喰うか喰われるかで生きているもの達もいるのだから、
そんなイキモノたちは、
自分もいつか喰われるのだろうと知っているのかもしれない。

いつ、どんなふうに、命を終えるのか。
無になるのか、どこにいくのか、生まれ変わるのか。
そんなふうに思い巡らしたことはあっても、
「明日食べられる」
なんていう生を、考えたことはなかった。
そんなさだめのもとに生まれたら、自分はどう生きるのか。
この詩を読むまで、考えたこともなかった。
考えたこともなかったなあ、
と、驚いてしまった。

考えてみよう、と思う。


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