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育児のヒントは幼少期の自分の中にある

こんばんはmimariです。今日は金木犀さんの記事から自分の育児について考える機会をいただいたのでシェアします。

金木犀さんは吃音をお持ちのようですが、記事の中に「そんな中で、本当に自分が分かるまで根気よく聞いてくれる存在は、私の場合もやはり母でした。」という一説に驚きを感じている自分がいました。

というのも、私の母は「そんなグズグズ言ったってしょうがないでしょ!」と尻を叩くタイプだったので、そんな包み込んでくれるお母さんがいるんだ…(°_°)と衝撃でした。

私の母

私の母は今で言うワンオペで育児と家事に毎日頑張っていた人です。いつもせっせとなにか仕事をしており疲れている印象で、あまり遊んでもらった記憶がありません。

私と妹が喧嘩をしようものなら母は「おねえちゃんなんだから妹に譲りなさい」「下の子を大切にしなきゃだめでしょ」と、いくら妹に非があろうと長女の私に我慢させて丸く収めさせるという方法を取っていました。

「でも」とか「違うよ、そうじゃなくて」と反論しようものなら「いい加減にしなさい」「お母さんは忙しいの」とすまされてしまう。おそらく母は、やんちゃ盛りの子供二人の意見を聞いてあげる余裕もなかったのだと思います。

母の思い子知らず

そんな母の状況がわからない当時の私は「なぜ姉というだけでこんなに我慢しなくちゃいけないんだろう」「好きでお姉ちゃんに生まれたわけじゃない」と、若干5歳にして怒りに近い不満を抱えて生きていました。

そうしてだんだんと「お母さんなんか嫌い」「なんで私を産んだのだろう?」「私はいるだけでお母さんの機嫌を損なう迷惑な存在」と思い込むようになってしまいました。

これが大爆発して中学の頃、けり合いの喧嘩になりました(笑)あれでお互いだいぶスッキリしたんじゃないかと思います。言葉で表現できない気持ちを体でぶつけ合ったというかなんというか…

思えば、幼少期のころというのは色んな要因が重なって
自分の気持ちをうまく言葉にできなかったり、親の顔を伺って言いたいことが言えなくなったり、思うように自分の気持ちをうまく言葉にできない時期だったよなぁと感じます。

大人になった今でも自分の気持ちを伝えることに難しさを覚えることがあるのに、子供というのは、自己主張するのに意外と高い壁を感じるものではないのかなぁと思います。

そんな自分を受け入れる

子供の時の私は母の対応の意味がわからずただただ嫌だったけれど、親となった今は理解することができます。

「あーあの時は悔しかったよね」
「そうやってお母さんも私も自分を守ってきたということね」
「それが母なりの愛情ということねー」

母の育児の仕方もありだけど、私の息子の話には私が一番に耳を傾けてあげたいと思いました。

息子がどんなことに喜んで、怒って、悲しんで、楽しいと感じるのか。
それを共有していく中で共感したり驚いたり、息子に安心感を与えてあげたいなぁ。

そして私も世界を広げていく。
そんな子育てが楽しそう!と思えるきっかけは紛れもなく母からもらいました。

全ての経験に無駄なことはないと実感した今日でした。


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