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時空を超えたおばあちゃん

もう15年も前になる。私のおばあちゃんが亡くなった時、夢の中で私の枕元に来てくれた。なぜそう言い切れるかというと、2歳離れた妹も「夢でおばあちゃん見た」と言ったからだ。偶然にしては出来すぎたシンクロだった。

おばあちゃんは私が高校生の時に膵臓癌で亡くなった。朝方に伯父さんからおばあちゃんが亡くなったと連絡が入ったのだ。

その数ヶ月前に鳥取の病院までお見舞いに行った時から痩せ細り、頬も目もこけてかつてのふくよかな面影は全くなくなっていた。

父と伯父さんと叔母さんの計らいで本人には癌であることは伝えていなかった。
しかし、もう10年近く会っていなかった孫や息子がこぞって遠くから会いに来るのだから、おそらく大病だと勘付かせてしまっていたと思う。

か細くなった声と鳥取弁でほとんど何を言っているのかわからなかったが、化粧をしていないことに照れながらも辛い体を起こして私たちを歓迎してくれた。

「元気そうだね」

父がおばあちゃんに言った。おばあちゃんは笑わなかった。体が辛そうなことが伝わってきた。

何を話したかは覚えていないけれど、本当にたわいもない話をしたと思う。

覚えているのは私と妹が大きくなったことにとても喜んでくれたこと。素直に嬉しかった。そして意外だった。

この10年間、母方の祖父と祖母とは交流があったが、父方の祖母とは全く交流がなかった。だから、おばあちゃんはきっとあまりそういうことが好きじゃないんだろうと思っていた。

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「手伝いもしないでゴロゴロと!」

亡くなる7年前に私と父のみでおばあちゃんの家に行ったときに掛けられた言葉だ。私が10歳の時だった。

私が楽しそうにすることがおばあちゃんを不機嫌にしてしまうようだった。当時の私はおばあちゃんのことを怖いと思い、早く家に帰りたいと思っていた。

しかし思い返すと、父と浜辺で釣ったキスを天ぷらにしてくれて、人生初めて塩で食べさせてくれた。人生で食べた天ぷらの中で一番美味しかった。
おばあちゃん特製の子アジの南蛮漬けは母にリクエストして作ってもらうほど気に入った。

おいしい、おいしいと食べる私に笑顔は向けないが、海の幸のご馳走を次々と作ってくれた。

そんなおばあちゃんだった。

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父は祖母を喜ばそうと考えるタイプではなかった。母は色々な理由をつけて祖母の家には行きたがらなかった。私も7年以上会っておらず、妹に至っては10年以上会っていなかった。

祖母からすればなかなかに親不孝な息子家族だったのではないかと思う。

それでも、会うととても嬉しそうにしてくれた。

私たちが帰る素振りを見せると、なんとも寂しそうな、引き留めたそうな表情が忘れられない。

おばあちゃんにはそれが最期になると分かっていたのかもしれない。

いや、わかっていたと思う。

癌だと知らないと思っていたかったのは私たちの方だ。
癌のおばあちゃんとしっかり向き合って一緒に最期について考えようとしなかったんだと今さら気付く。

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亡くなった朝方に見た夢に、おばあちゃんは現れた。

私は全体が白く光る部屋に寝そべり、薄目で寝ている。そこにおばあちゃんが顔をのぞきに来ていた。

まるで夜、子供の寝顔をこっそり覗き見しにくる親のようだった。

相変わらず笑顔のない顔で、起こさないように、さりげなくといった感じに愛情を感じた。

「あ…おばあちゃんだ…」と思ったその時、家の電話が鳴った。伯父さんからおばあちゃんが亡くなったと知らせが入った。

それを聞いた時「夢でおばあちゃん見た」と口からついて出た。妹が「私もおばあちゃん見た」と言った。

「そっか」父が少し笑って言った。

ああ、きっと本当に会いに来てくれたんだと思った。
魂だけになると一瞬で移動できると聞いたことがあるし、鳥取から埼玉にワープしてきてくれたんだと感じた。

胸があったかくなった。

それ以来、実家の神棚におばあちゃんの顔写真が置かれている。おばあちゃんは我が家の神様になった。

その神棚に向かって今、2歳の息子が手を合わす真似事をする。なんとも微笑ましい光景だ。

「あれ、〇〇のひいばぁばだよ」

知ってか知らずか、ニシッと笑う息子。きっとおばあちゃんは真顔でさりげなく見守ってくれているに違いない。


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今回はあいみやんさんの記事を読んで思い出したことをここに書き残しました。人生には不思議なことが起こりますね。


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