日々差分を生きる(後編)

自分が何者か分からないとき、旅したり、移動することは、体験を通じて知る機会を得ることもできる。

それは、『ぼくを探しに』のように、当てはまる場所を巡る旅のようだ。

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しかし、移動しすぎると刺激が多く、かえって、何らかの蓄積が生みにくく、生活の差分を感じられにくい側面もあるように思う。

このあたり、千葉雅也さんの『動きすぎてはいけない』を読んでみたい。

動きすぎてはいけない: ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学 (河出文庫)

そんなことを考えながら"異動した"新しい部署での順応と、"移動しない"最近の生活を振り返っていた。

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