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福祉のまちを取り戻せるか

福祉のまちづくりは、仙台から始まった。そう言っても過言ではない。

前に髙橋儀平さんの著書『福祉のまちづくり その思想と展開』を読んだ際も、このような記述を見かけた。

せんだいメディアテークのトイレが多種多様なレイアウトになっているのは、これらの積み重ねであるとともに、多様な人に合わせたトイレパターンをここで検証し、その後の福祉のまちづくりに活かされることが期待されている。


今、その精神は受け継がれているのか。

とくに気になってるのが、前述した髙橋儀平さんの本で、ある時、この先進的な取り組みをした福祉のまちづくりが、仙台市の中から消え、行政担当にも引き継がれていないことが、著者の事後インタビューで明らかになったこと。その経緯は、著者も分からないままになっているそうだ。

1 福祉のまちづくりの展開と組織の動向
はじめに、福祉のまちづくりがどのように展開され、組織がどのように関わったかを、福祉のまちづくりの歴史を通して概観します。
 福祉のまちづくりは、1969(昭44)年に宮城県仙台市で一人の障害者と一人のボランティアの出会いから始まりました。
当時、障害者は施設の中で生活を送ることがいわば当然のように考えていましたが、この話し合いのなかで、施設の充実も大事なことかもしれないが、ごく普通に一人の人間として家庭や社会で生活できる場つくりこそが本来の姿であるべきである、その場つくりができていないから、多くの障害者が施設の中で生活せざるをえないのではないか、という結論を得ました。
その後、この動きは、障害者団体、ボランティアグループ、市民団体等の協力を得てしだいに大きな運動体となり、1971(昭46)年に「福祉のまちづくり市民の集い」を発足させ、車いすでも利用できるトイレ、スロープなどを市に要請しました。この要請を受けた市側は、その意義を十分に理解して、市内のいくつかの場所を障害者が利用しやすいように改造を行ったのです。あとで聞くところによれば、市側はかなり早い段階で障害者団体の活動を知っていたようですが、活動の重要性を十分に認識したいがために、運動体が成熟するのを待ち、そしてそれを受けた形で改造を行ったために運動はさらに盛り上がりをみせた、という側面もあるとのことでした。この方法は、現在では必ずしも正しい選択ではないかもしれませんが、結果から判断すれば、仙台市の行政の判断は当を得ていたといえます。
ともかくも、福祉のまちづくりは障害者自身が最も身近な問題としてとらえたことが大きな運動体になって、これを行政側がうまく受け止めた、という事実があります。
障害保健福祉研究情報システムより

また、福祉のまち、仙台を取り戻せるのか。

そのヒントは、髙橋氏の言葉を引用すれば、

20世紀は、制度や法律に人が合わせてきた。これからほ、人に制度や法律が合わせる時代だ。
『福祉のまちづくり その思想と展開』より

この思想から、すべてが始まると思う。

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