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まちづくりは、思っているよりも、綺麗な顔をしてない。

未満建築にとって、少し良いことがあったので、冷静さを取り戻すために、戒める。

まちづくりが一過性のイベントのときは、良くも悪くもオブラートに包まれていたり、まぁ仕方ないかと目を瞑ってもらえることがある。

それが継続して行われて、いつも目にするようになったとき、風景として定着したことが嬉しい反面、目につく機会が増えて、その取り組み自体の粗探しも同時に始まる。

批判的な意見がどこからともなく出たり、何かとクレームが寄せられたり、目の前の良かった出来事さえ、忘れたくなるほどに。

それでも改善も忍耐で乗り越えたときに、少しだけおさまる瞬間がある。

この時にあぐらをかけば、足元をすくわれる。
ここで手を抜かず、また新しいことに手を伸ばさず、淡々とやりきること。

それでも、試練のように不運がけしかけてるけれど、それでもその時できる些細なことでも続けてみる。

継続性の名の下に、事業が回りさえすればエリアマネジメントは、成功なのか。
再生可能エネルギー由来の電力会社から電気を購入する意思決定のように、
まちづくりにおいても、その事業費の得方、出資者(出資先)までクリーンに公表できて初めて公共貢献なのではないか。

そんな真面目すぎるまちづくりの理想をまだまだ追い求めている。

まちづくりは、その連続だと常々思うし、それは反面教師でもあると心しておきたい。

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