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舞台 ARTを観劇して

3年前、楽しみで仕方がなかった舞台があった。
それはARTという舞台でイッセー尾形、小日向文世、大泉洋という素晴らしい個性の持ち主たちの3人舞台だ。

私は今まで「海外で●●賞を受賞したあの脚本がついに来日」のような舞台が苦手だった。
それは日本人の私には到底理解することのできない人種差別や宗教への揶揄が各所に散りばめられていて、ある程度勉強してから行くようにしても取りこぼしてしまうし、心の底から共感や納得することができないからだ。

ただ、このARTはキャストが全員大好きな俳優で、しかもタイトルの通りアートを絡めた話、期待しないようにしても、どう足掻いても期待してしまっていた。
そんな中、世の中は感染症により一変、自分のチケットの番が回ってくることはないまま幻の舞台となった。

再演までの間に一度だけ道でイッセー尾形さんを見かけたことがある。
その時に勢いで「ARTずっと楽しみにしてます!」と声をかけたかったが、緊張してしまい心の中で大声で伝えた。
その後も見たい舞台ある?と友人に聞かれたときも必ずARTと答えていた。

ことし3年越しに再演が叶ったこの舞台には並々ならぬ期待をして向かったのだった。

以下舞台内容に触れております。
ネタバレがありますのでご注意ください。

「ある日友人が縦100cm×横130cmの白いキャンパスに白い絵の具が塗ってある絵を500万円で購入した。」

そこから物語は始まり、次第に友人関係が拗れていく。この絵を500万で買うことを笑う人、笑われて激怒する人。友達というものは一体何なのか。
人と関わるということはこうも面倒くさく、厄介で楽しいことなのか。

コメディとして成立させている脚本もすごいけど、やはり俳優陣も素晴らしかった。
イッセーさんは賢さと頑固さを見事に表現していたし、小日向さんもシニカルな演技がとても素敵で、大泉さんはどこか憎めない可哀想なやつだった。

どんどん関係が拗れていくうちにお互いにどう思っていたのか、相手に何を求めていたのかなどが明らかになっていく。
そして収拾がつかなくなり友人関係を解消しそうになった時、絵を買った人が大切な白い絵にフェルトペンで絵を描くことを提案し、笑った人はそこに呑気なスキーヤーを書く。

最後のイッセーさんのセリフに
「不透明なまま」という言葉が出てきて、世の中に起こっている様々なことを考えた。
白い雲から白い雪が降って積もった。
スキーヤーはキャンパスの上を横切って通過して行った。雪はまた降り、白くなった。

スキーヤーを描いたフェルトペンはいとも簡単に落とすことができた。真っ白に復元できたのだ。
そうして友人関係は元に戻った。

ただ、拗れている間に起こった言い争いの中で発した言葉は決して消えない。
白に戻った絵も、スキーヤーがいた過去は残ったままだ。
友達、家族、恋人など大切な人たちとの関係に完璧に溝がないとは言えないし、どっかの知らない誰か、たとえば偶然電車で隣の席になった人、そんな人にもスキーヤーは通り過ぎたのだろう。
時間が経てばなかったように元通り となる気持ちの悪い世の中、それでもなかったことにはならないし、過去は変えることができない。

だからこそ、これから過去になっていくであろう未来は、少しでもいいから考えながら生きていかなくてはならないのではないだろうか。
不透明な存在と隣り合わせで健やかに生きていくために。

この舞台、最後のイッセー尾形さんのセリフで涙が出た。
なぜなのかはわからないけど、再演できたこと、目に見えないものと戦ってきたこの3年間を思い出し、その間に変化があった人間関係のことでも思い出したのかもしれない。

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