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お粥やの物語 第4章2-2 「記憶が飛んでいた時間、僕は、何処で何をしていたのでしょうか」

僕は六畳の和室の中央に座らされ、四人にぐるりと取り囲まれた。
石のように固まった僕の目の前で、仁王立ちしているのはワンピース姿の女性だ。スカートの裾から白い脚が覗いている。
右側には禿げ頭の老人、左側には白髪の老人が畳の上で胡坐をかき、示し合わせたように胸の前で腕を組んでいる。
背後にいる少女は、僕の背中にボールをぶつけることに夢中で、ボールを投げては拾い、またボールをぶつける。そんな遊びを飽きることなく繰り返していた。

「あなた、私との約束を破ったわね」
女の人の剣幕に僕は身を縮めながら、か細い声で弁明した。
「言われたとおり、会社には行きました」
「そんなのわかっているわよ。みんなに完全無視されたんでしょ」
「それは部長や課長が命令したからで、先輩たちは仕方なく従ったんです」
「あなたの同僚がそう言ったの?」
僕は黙り込むしかなかった。

「まあいいわ。いま私が言いたいのは会社の件じゃないから」
他にどんな約束をしただろう……。
そうだ、絶対に幸せになると誓わされたのだ。
「思い出したみたいね。あなたはその誓いを破ったのよ」
「僕は幸せになりますよ」
「嘘を吐くと、地獄行きが早まるわよ」
僕は、再び口を結んで固まった。

言われてみれば、その通りだ。いや、言われなくともその通りなのだ。
社員たちの完全無視に、山際課長と貝原部長の姿を見て、怒りで頭が爆発しそうになった。それでも、休憩室での先輩たちの温かい言葉を立ち聞きして、救われた気がしたのだ。

そのとき、確かに幸せを感じた……。
でも、それは与えられた幸せで、僕が努力して手に入れたものではない。
僕は自らの力で幸せになろうと頑張ったわけではないのだ。

「すみませんでした」僕は素直に頭を下げた。
返事は帰ってこない。背中では、繰り返しボールがぶつかっている。
そっと顔を上げると、目の前に女の顔があった。
ドキリとした僕は、畳の上で尻を滑らせ後ずさりした。
そうわさせまいと、背中にぶつかるボールの勢いが強くなる。
いい加減にしなさい、と振り向いて怒鳴りたいところだが、いまの僕にそれが許されるはずもない。

「幸せになりたいの。それとも、幸せにならなくてもいいの?」
女の人の息が僕の汗ばんだ頬を掠める。
「幸せになりたいです……」
「それなのに、あなたは幸せになることを放棄した」
「放棄なんてしていません」
「だって諦めたじゃない。会社から戻って来るとき、死のうとしたでしょ」
「そんなことは絶対にしていません」
「そう言い切れるのかしら」
そう迫られたら返答に窮する。記憶が飛んでいるのだ。

「ビルの屋上に上がったのは何のため? 横断歩道で、トラックが来るのを待っていたのは誰かしら。首にロープの痕が残っているんじゃないの」
僕は慌てて、自分の首を手で摩った。痛みはない。
「僕は……そんなことをしたんですか」
自ら命を絶つ気はない。でも、正常な思考ができなくなれば、何をするかわからない。人間とはそういうものだろう。

「そのへんで許してあげませんか」
白髪の老人が、哀れむような口調で言った。
「そうだな。こんな男でも、見ていると気の毒になる」
禿げ頭の老人の声には涙が混じっている。
背中にぶつかるボールも心なしか勢いを失っていた。

「みんながそう言うなら……いいわよ」
女の人はすっと後ろに下がった。その動きは幽霊のように滑らかだ。
「お前さんは、自殺をしようとしなかった。そこだけは褒めてやる」
禿げ頭の老人の言葉に、白髪の老人が頷いた。
「でも、会社を出てからの記憶が曖昧なんです」
「たまには、そんなこともあるだろう」
禿げ頭の老人は言葉を濁した。

「その時間、僕が何をしていたのか、知っているんですよね」
「それはいずれわかるとして、今やるべきことは別のことです」
白髪の老人が諭すように言った。
「そうだ、そうだ。お前はシンデレラを助けなければならないんだからな」
禿げた老人の言葉に、僕は畳の上で姿勢を正した。
「そうです。僕はシンデレラと約束したんです」

「簡単に言うけれど、シンデレラを救うのは命懸けよ」
女の人の声は冷たいままだ。
「それでも、僕はシンデレラのために頑張ります。僕が幸せになっても、シンデレラが不幸になったら意味がないんです」
「その考えは正解。もし、シンデレラを見捨てるなんて言ったら、即地獄に落としていたわ」

やはり、シンデレラ救出作戦と僕の幸せは密接に関係しているのだ。
「シンデレラを救うように仕向けたのは、みなさんですよね。どうしてそんなことをしたんですか」
頭の中で、ずっと引っ掛かっていた疑問を口にした。
「あなたの試練……それは、あなたが生き返るために必要なことなのよ」

その言葉の意味がわからず、僕は三度目のフリーズをした。
「生き返る」とはどういう意味だろう。
それでは、まるで僕が死んだみたいじゃないか……。

第4章3-1へ続きます。

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