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お粥やの物語 第2章5-2 「魔法が使えない僕に、シンデレラを救えるでしょうか」

視線を逸らしても、冷たそうな白い足が網膜に焼き付いている。
「靴が見つからないの」という声は、シンデレラのものと同じだった……。

「もしかして、ガラスの靴をなくしたんですか」
「何度も、そう説明したじゃない」
「右も左もですか」
「同じことを言わせないで」
シンデレラは目尻を吊り上げて言い返した。

頭の中に、次から次へと疑問が沸いてくる。
目の前のシンデレラの格好は薄汚い。
その理由は、魔法が解けたからだろう。
しかし、である。魔法が解けたのなら、ガラスの靴もみすぼらしい靴に戻るのではないか。
いや、待てよ。そう言えば童話の中でも、十二時を過ぎた後、綺麗なドレスはボロボロの服に戻ったのに、王宮で落としたガラスの靴は美しいままだった。そう点は、童話の話と同じになる……。

僕が、靴に関する疑問を口にすると、シンデレラは上目遣いに僕を睨んだ。
「ガラスの靴は魔法で生まれたんじゃない。あなたが持って来たんでしょ」
そんなことを言われても、女性のガラスの靴は、僕にとっては恋人以上に無縁の存在だ。

「もしかしたら、何も覚えていないの?」
すみません、と僕は素直に頭を下げた。
怒鳴られると身構えたが、予想に反して返ってきたのはか細い声だった。
「これじゃ、舞踏会へ行けない……。私は、この家で、いじめ抜かれて死んでいくんだわ」
シンデレラの青い瞳から大粒の涙がポロポロと零れ落ちた。

女の子の涙は苦手だ。いたたまれなくなった僕は、右目が小刻みに痙攣するのを感じながら、シンデレラを優しく慰めた。
「大丈夫ですよ。すぐに魔法の使い方を思い出してみせますから。ちょっと調子が悪いだけです。誰だってあるでしょ。体調が悪くて記憶が飛ぶことが」

「本当に?」
シンデレラは涙で濡れた顔を上げた。
涙のせいで、煤が線になって流れ落ちている。
彼女の隣には、お前に娘はやれん、というように、疑い深そうに睨む馬の顔があった。

「でも……ガラスの靴は魔法では作れないんでしょ」
シンデレラの話が本当なら、僕はどこかで靴を調達したことになる。
それがどこなのか……見当も付かない。

「つかぬことを伺いますが、ガラスの靴はどうしてなくなったんですか」
シンデレラは足をもじもじさせながらか細い声で答えた。
「リハーサルだと言って、私をお姫様の姿に変えてくれたでしょ。嬉しくなって、スキップしながら森の中を散歩したの。そのとき靴が脱げてしまい、遠くへ飛んじゃって、川に落ちたのよ」

その光景を頭に描こうとしたが、うまく絵にならない。
「スキップ程度なら、たとえ脱げたとしても、足元に転がるくらいで遠くへは飛ばないでしょ。それに二つとも一緒に川に落とすなんて、おかしくないですか」
「私が嘘を吐いていると言いたいの」
シンデレラの頬が赤みを増した。
どうやら、嘘を吐いているらしい。

「本当のことを言わないなら、ガラスの靴は用意できませんね」
僕は、好きな女の子に意地悪をする悪ガキのように右の口角を持ち上げた。
たくさん怒鳴られたのだ。少しくらい仕返しをしても罰は当たらないだろう。

「落ち葉を蹴ったのよ。その勢いで靴が脱げてしまったの。その落ち葉が、お母様の顔に見えたから……。夢中になって他の葉も蹴ったの。そっちはお姉様たちの顔に似ていたわ。気が付いたら、ガラスの靴は二つとも川に落ちてしまって……」

我を忘れて、落ち葉を蹴り続ける少女の姿は哀れの一言に尽きる。
俯きながら、唇を噛み締めるシンデレラを見ていると胸が痛んだ。
「つまらないことを訊いて、すみませんでした」
僕は腰を九十度に曲げて頭を下げた。

「謝る暇があったら、靴を見つけて、魔法を思い出してちょうだい。王宮の舞踏会は明日の夜なのよ」
その言葉とは裏腹に、シンデレラの声は消え入るように弱々しい。

継母たちにいじめられ、辛い日々を送ってきたシンデレラの前に魔法使いが現れ、舞踏会へ行けるという希望を与えたのだ。シンデレラが舞い上がるのも無理はない。しかし、その希望は粉々に砕けてしまった。
天まで舞い上がらせて、地の底へ突き落したようなものだ。同じ状況に置かれたら、僕も滅入る。シンデレラの話が事実なら、責任は僕にあるのだ。

絶望に打ちひしがれているシンデレラが、社宅を追い出された僕と重なった。何とかしてやりたい。いや、何とかしなければならない。
シンデレラの力になれたら、少しは僕も救われるのではないか……。

僕はシンデレラに向かって手を差し伸べた。
シンデレラは躊躇いがちに僕の手を掴んだ。しっとりとした冷たい手だった。その感触は、リュックを背負い、キャリーバッグを引いていたときに、誰かに手を握られたときの感じと同じだった。
あのときも、シンデレラは僕に助けを求めていたのだ……。

突然、扉の向こうから、しゃがれた女の怒鳴り声が聞こえてきた。
「シンデレラ、どこにいるの。また、怠けているのね」
シンデレラの細い肩がビクリと上下し、それを見た馬が心配そうに首を垂れた。

柔らかい手の感触が薄れると同時に、視界が白い靄に覆われた。
腕を伸ばしたが、指先は空をかくばかりで、シンデレラの手に届かない。

「お願い。助けて……」
シンデレラの声が遠ざかっていく。
胸の奥が焼けるように熱い。
シンデレラを助けたい。助けてあげたい……。
それなのに、いまの僕には何もできない。

女の怒鳴り声は続いている。
「この、うすのろのグズ女が。頭は空っぽなんだから」
お前の頭は空っぽ……。
僕も同じ言葉を、何度も上司から浴びせられたのだ。

あれ、そう言えば、シンデレラは日本語を話していた……。
シンデレラはヨーロッパの生まれではなかったか。
その疑問を抱えたまま、僕の意識は深淵の底へと沈んで行った。

第3章1-1へ続きます。

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