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お粥やの物語 第2章3-2 「 幸せの欠片を見つけても、すぐに砕けてしまいます」

ふと、一つの考えが頭に浮かんだ。
もしかしたら……。
僕は顔の前でダラリと手を垂らし、「出るんですか?」と店主に訊いた。

「幽霊は、出ません」
ピシャリと言い切った店主の笑みが強張ったように見えたのは気のせいだろうか。「幽霊は」の「は」の部分だけ、口調が強くなったような気もする。

幽霊以外の何かが出るとしたら……たとえば、妖怪とか。
どちらも苦手なことに変わりはない。

勇気を振り絞って、質問を続けた。
「妖怪が出るということはありませんよね」
震える僕の声に、店主は顔を前で手をひらひらと振り、「まさか」と口を開けて笑った。
その笑みは妙に硬くて、疑う気になれば、いくらでも疑える。

今日二度目の警報音が頭の中で鳴り響いた。
止めたほうがいいかもしれない……。
でも、こんなチャンス、二度と巡って来ないだろう。

公園に置いてきた段ボールが雨でびしょびしょに濡れている様子を想像しながら、「本当に出ないんですね」と念を押すと、店主は「昔から、うちの二階は幽霊や妖怪とは無縁ですから」と軽く胸を張った。

その一言で、頭の中に鎮座していた疑惑は半分くらいに縮まった。
後は気合で、残っていて疑惑を胸の奥に沈め込む。藁にも縋る思い、いや、臭い物に蓋をするという心境だろうか。
切り替えが早いのは、僕の長所の一つである。昔、付き合っていた彼女に言わせれば短所だそうだが、元カノの言葉に重きを置く、僕ではない。

やっぱり、これは稲荷神社の御利益だ。思い切って、百円玉をお賽銭に入れてよかった。そう心の中で盛大に叫びながら、僕は自分の行いを褒め称え、幽霊と妖怪の文字を頭の中から追い出すことに成功した。

今度こそ、正真正銘の幸せの欠片だ。
祖父に向かって「じいちゃん、ありがとう」と叫びたい気分だった。
ビッグウェーブは言い過ぎでも、中波くらいはあるだろう。
踊り出したくなる衝動をグッと堪え、僕はテーブルの下で拳を握り締めた。

雨が降らなかったら、いま頃、公園で段ボールにくるまっていたはずだ。
スジ太が現れなかったら、お粥やに辿り着けなかっただろう。
何が幸いするかわらかない。

ビールでも注文しようかな……。
脳裏に、昨年の夏、大学時代の友達三人と一緒に行ったビヤガーデンの光景が浮かんだ。
一人は外資系の企業で働き、もう一人は中堅の商社、残る一人は都市銀行に勤めていた。彼らは顔を赤く染めて、将来の夢を熱く語っていたのだ。僕が聞き役に徹したのは当然の流れだった。
三人の目には、いまの僕の姿は滑稽に映るだろう……。
いやいや、人は人。幸せは他人と比較するもではない。

大きく息を吸い、萎んだ胸を膨らませから、僕は息の多い声で言い放った。
「入居させてください」

テーブルに身を乗り出した僕を、店主はやんわりと手で制した。
「部屋を見てから決めたほうがいいです。以前なら問題が起きれば、家内がとりなしてくれましたが……。でも、あなたは女の人の声を聞いたと言うし」
小首を傾げた店主の口許には、意味ありげな深い皺が滲んでいる。

頭の中に、いくつものクエスチョンマークが浮かんでは消えて行く。
奥さんが「とりなしてくれた」とはどういう意味だろう。
僕が女の人の声を耳にしたことに、何か意味があるのだろうか。
もし、女の人の言葉を正直に打ち明けなかったことに問題があるとしたら、何か問題が生じるのだろうか……。

呑み込んだ唾は苦い味がした。もう一度、呑み込むとお粥の味がした。
見つけたと思った、幸せの欠片が二つに割れ、四つに砕けた。そして、風に吹かれるようにして遠ざかって行く。
これでは、いつになっても幸福の欠片は集まらない。

第2章4-1へ続きます。


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