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【連載小説】 オレンジロード10

「おじゃましました」
廊下から女の子の可愛らしい声が聞こえてきた。
一人、いや二人の声だ。
もちろん、声の主は僕の知り合いのはずもなく、弟のガールフレンドだ。
それに続いて玄関のドアが閉まる音が響き、コツンコツンと階段を駆け上がる小気味よい足音と共に、健太が部屋に入って来た。

「ノックぐらいしろよ」
「ごめん。電車の事件で何かわかった?」
言葉とは裏腹に、健太の表情には申し訳なさの欠片もない。
健太は好奇心で目を輝かせながら、僕の顔を覗き込むようにして見ている。

「わからないよ」思いっ切り、ぶっきら棒な口調で答えた。
「そっか――彼女に告白した?」
予想していなかったその一言に、驚いた僕は椅子から転げ落ちそうになった。椅子の背にしがみ付いて、どうにか体勢を立て直す。

健太の思考は、地球から月へワープするくらいぶっ飛ぶときがある。おまけに勘の良さは、母さんを抜いて高見沢家で一番だ。
それに、なかなかの情報網を持っている。弟とは言え、手強い相手である。
やはり、健太にはバレていたのか……。

「お前には関係ないだろ」
「兄ちゃんは奥手だからな。もっと積極的にやらなきゃ彼女なんてできないよ。頭も悪くないんだし、顔だってまあまあじゃない。もっと自信を持たなきゃダメだよ」

どこの世界に、中学一年の弟に恋愛のことで、説教され、慰められる兄がいるだろう。可笑しいやら悲しいやら、複雑な気持つになる。

「僕も結構、苦労しているんだ。さっきの、エミちゃんとレイちゃん、二人とも僕のことが好きみたいなんだけれど、僕には選べなくて。一人を選んだら、もう一人を捨てることになるでしょ」

ここまで来ると、尊敬の念を抱いてしまう。もしかしたら、弟はすごい奴なのかもしれない。さもなければ、ただの大馬鹿野郎だ。

「男女の関係は難しいね……」
健太は、ぽつりと呟いてから廊下へ出た。
弟を見ていると同じ両親から生まれたとは思えないときがある。野球も中学の部活で有望視されていて、実力は兄より数段上だ。

不意に扉が開き、健太が戻って来た。手には小さな箱を持っている。
ノックしなかったことに文句を浴びせる隙を与えず、健太は「兄ちゃん、これ見てよ」と言って、床に座り込んだ。
箱の蓋を開け、その中に手を突っ込んで、円い形の盤とたくさんの玉を取り出した。自慢話の始まりらしい。

健太は「ソリティア」に夢中だ。
ソリティアは中世のフランスで考案された由緒正しいパズルで、三十三箇所の穴があいた円状の盤の上に、中央を除いた三十二箇所に玉を置く。そして、玉を一つずつ飛び越して、飛び越された玉を盤上から除いていき、最後に一つの玉が残ればクリアになる。
ちなみに、ソリティアは、父が大掃除のときに物置から見つけ出した。

健太の興味は、パズルの攻略より玉にある。
付属の三十二個の綺麗な玉だけでは飽きたらず、自分で作ったり、拾ってきたりして楽しんでいる。
時間さえあれば、地面を見つめたまま近所中を探し回る姿は、落とし物を探す、気の毒な少年にしか見えない。

集めた玉の中には、球状とはいえないものもあったが、穴に収まるサイズなら形のことはどうでも良いと、本人は考えている。
関心があるのは色と模様で、それを自慢するのが健太の至福の時間だ。
兄としても、無邪気に喜ぶ弟の姿を見るのは嫌ではないから、暇なときには自慢話に付き合ってやる。

僕は椅子から立つと、健太の隣に座り込み、宝物を覗き込んだ。
青や水色のビー玉、青味がかった石を磨いたものや、光沢を帯びた貝殻も交じっている。青系統が多いのは、健太の好みの表れだ。

「昨日の夕方、新しいものを見つけたんだ。食器か何かの欠片みたいなんだけど、すごくいい青なんだよ」
健太は、箱の中に手を突っ込み、ゴソゴソとかき回し始めた。
「あれ、どこかな。他のものとは別にしておいたんだけど」
そう言い残して、健太はすっと立ち上がると隣の部屋へ姿を消した。

円い盤の上には、数個の球と歪な球状ものが散らばっている。
人差し指と親指で摘まみ、一つずつ穴の中に入れていく。
同じ青色でも、いろんな色があるものだ。深い海の青色もあれば、真っ青な空色もある。やさしい青もあれば、くすんだ青色もあった。

重そうな足取りで戻って来た健太の顔は曇っていた。
「どこにしまったんだろう。昨日の夜、時間をかけて丸くしたのに……」

オレンジロード11へ続きます。


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