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絵本が読めるこども食堂るるごはん

#創作大賞2024
#ファンタジー小説部門

第一話 みるく紅茶色のうさぎ
第二話 あじさい色のカエル
第三話 なつぞら色の羽 

あらすじ

絵本が読めるこども食堂るるごはん

桜が美しい「さくらみる町」の川沿いに建つ『絵本が読めるこども食堂るるごはん』は、古い町屋を改装した絵本カフェ併設のこども食堂。店長さんは養護施設から引き取った小学一年のまめちゃんと店の二階に住んでいて、店員は迷子のこぐま。さまざまなお客様が通う食堂で展開する少しだけやさしい気持ちになる連作物語。

第一話  みるく紅茶色のうさぎ

作 Sumiyo

さくらみる町のまんなかを
大きな「さくらみる川」が流れております。

川沿いの道には
お蕎麦屋さん、竹細工屋さん、漬物屋さんなど
人気の老舗が軒を連ねており、

昼間はたくさんの観光客が来てにぎやかですが、

上流へ向かって歩くほどに
お店は減っていって

山と山の間をただ川が流れる
落ち着いた眺めに変わります。

雨上がりの朝などは、
山の頂(いただき)付近のくぼみから
白い霧が湧き上がって、

水墨画のように
美しい風景になりました。

この辺りまで来ると観光客も車も少なく、
春の盛りでもひんやりとした空気に包まれて、
川沿いの道は、
お店が立ち並ぶあの一画とおんなじ
さくらみる町とは思えない
おだやかさに満ちています。

聴こえてくるのは

川の音。

風の音。

鳥の声。

川に面したお店といえば、
古い町屋を改装した
『絵本が読めるこども食堂るるごはん』
一軒しかありません。
町屋というのは、
お店と住居が一緒になった
昔ながらの建物のこと。

外観は建てられた当時そのままで、
時間がそこだけゆっくり進んでいるかのようです。

『絵本が読めるこども食堂るるごはん』
の入口は木の引き戸になっており、
お店の前には黒板ボードが立っていました。

黒板には

絵本が読めるこども食堂るるごはん

というお店の名前と「本日のメニュー」が
白墨の粉っぽい字で書いてあります。

黒板の後ろの壁には、
大きな画用紙に黒マジックで書かれた
張り紙がありました。

絵本が読めるこども食堂るるごはん
おこさまひとり100円。
メニューはまいにちかわります。
ペットといっしょはだいかんげい。
ほんじつ100円がないコは
あしたもってきてもよろしい。
あしたももってこれないコは、
おとなになってからでもかまいません。

戸口の横は大きな窓で、
町屋の特長である格子で覆われています。
縦横に細く並んだ木材は
長い年月を経て焦茶色になっていました。
この窓を背にして立ちますと
目の前を流れるさくらみる川の
しゃらしゃらしゃらと奏でる音が
耳に心地よく、山々からは植物の甘い香りが
風に寄り添い漂ってきます。

川の途中に土が溜ってできた中州には
細長い白鷺がするりと立ち、
流れに逆らうように凛としたまなざしで
風に吹かれながら
上流を見つめておりました。

『絵本が読めるこども食堂るるごはん』
入口の引き戸をごろごろ開けると
広い床があり、
そこは絵本喫茶室になっています。
壁一面、天井まで絵本の本棚で、
丸テーブルと丸い椅子が置いてあり、
ここでは大人でも子供でも
好きな絵本を読みながら
ランチやケーキや紅茶を注文できます。

この絵本喫茶室の売り上げと、
さくらみる町の農家のみなさんが
持ってきてくださる野菜などで
るるごはんのこども食堂は
運営されているのです。

絵本喫茶室の奥は、
靴を脱いで上がる六畳の和室です。

中央にこどもたちが並んで食事ができる
長いちゃぶ台があり、
この部屋が「こども食堂」となっています。

和室のガラス窓越しに
坪庭がありました。
坪庭とは日本風の小さな庭で、
地面は抹茶色の苔に覆われており、
季節ごとに鮮やかに色を変える
紅葉(もみじ)の木が枝を広げています。

やがて川面が薄桃色に染まりました。

さくらみる町に夕焼けが始まったのです。
『絵本が読めるこども食堂るるごはん』は
この時間から急に忙しくなります。

放課後、学童クラブで宿題をしたり
遊んだ小学生が
たくさんやってくるからです。

【本日の夕食メニュー】は
店長さんの特製オムライスとオニオンスープ。

銀色のトレイにのせたスープを
こぼさないよう運ぶのがむずかしく、
こぐまのウォルナッツが奮闘中です。

ウォルナッツは、山から下りてきた
迷子のこぐまで、
いまは「るるごはん」でお仕事させて
もらっています。
エプロン姿がよく似合う
赤茶色のこぐまの店員さんです。

「ウォルナッツ、スープをこぼさないようにね!」

『絵本が読めるこども食堂るるごはん』の
店長さんが、厨房から言いました。

店長さんは五年前まで
小学校の給食センターで働いていましたが、
一日のうち給食しか食べない児童がいることに
気づいて、
それがきっかけでこども食堂を始めたのです。
たったひとりで調理のすべてを担当しています。

オムライスとスープとスプーンを
銀色のトレイに乗せて運ぶと
スプーンがかちかち鳴りました。

エプロン姿のこぐまは
(もっと集中しなければ・・・)
と一生懸命、肩に力を入れますが、
さっきから
こども食堂のすみっこに座っている
女の子が気になってなかなか上手に運べません。

保育園を卒園したばかりで、
この春から小学一年生になる
柚葉(ゆずは)ちゃんです。

夕方こども食堂に来てから、
ずっとうつむいてしょんぼりしており、
膝の上にはいつものようにペットの
みるく紅茶色のうさぎが座っていますが、
うさぎもまた、うなだれて
元気がありませんでした。

(どうなさったのでしょう・・・)

こぐまはうさぎに声をかけたいのですが、
夕方はとくにお店が忙しくて
そんな余裕はありません。

「ただいまあ」

お店の戸がごろごろごろと勢いよく開きました。

ゆずはちゃんと同じ保育園を
卒園したばかりの男の子、
豆斗(まめと)くんです。

まめちゃんは、スイミングスクールから
バスで帰ってきたところでした。

『絵本が読めるこども食堂るるごはん』
の二階に住んでいます。

「おかえりい、まめちゃん」

厨房から店長さんが明るい声で言いました。

「ただいまあ店長さん。きょうのごはん、なに?」
「オムライス」
「やったあ!」
「まめちゃん、泳げるようになった?」
「ううん。まだ」
まめちゃんが
スイミングスクールの水着やタオルが入った
四角いビニール製の
ショルダーバッグを振り回しながら
階段をリズミカルに上ると、
後ろからウォルナッツが
追いかけて上ってきました。
ふたりが乗ると古い階段は、
ぎいぐう鳴ります。

「おかえりなさい、ぼっちゃま」

「ただいま、ウォルナッツ」
まめちゃんが明るくこぐまに振り向きました。
まめちゃんはまだ小さくて、
手足は細いけれど
頬は赤ちゃんみたいにふっくらしています。

「わたくしウォルナッツ、
たいへん気になることがございまして。
ぼっちゃまの帰りをお待ちしておりました」

「なに?」

エプロン姿のこぐまは、
「こども食堂に、ゆずは様が来ておられるのですが、
ずっと元気がなく。
ペットのうさぎ殿もしょんぼりしておられます」
と、言いました。

まめちゃんが階段を二段下りて
こども食堂をのぞき込むと、
たしかに、ゆずはちゃんが膝を抱えて座っています。

うさぎはゆらり立ち上がると、
縁側の手前まで
ふらふら歩いてうずくまり、
窓ガラス越しに橙色の夕空を
悲しそうに見上げました。

「ほんとだ。どうしたんだろ?
こないだまであんなに
元気いっぱいだったのに」

小さなお客様たちが帰って
るるごはん店内がすっかり静かになってからも
まだ動こうとしないゆずはちゃんのところへ
まめちゃんが話を聞きに行きました。
ゆずはちゃんの前に置かれたオムライスが
すっかり冷めています。

「食べないの?ゆずはちゃん。
いつも大好きなのに、オムライス」

「おなかすかない・・・。だってね、
ラッテがちっとも食べないから」
ゆずはちゃんはそう言うと、
青く暮れていく空をじっと眺めている
うさぎの背中を見つめました。
ゆずはちゃんは、
飼っているうさぎのラッテがここ何日も
ごはんを食べないので心配していたら
自分も食欲がなくなってきて・・・。
と小さな声で言いました。

「うさぎ、なんかへんなものでも食べたんじゃない?」

おかあさんに相談してみれば・・・?
と、言いかけて、
まめちゃんは言葉を飲み込みました。

ゆずはちゃんはおかあさんと二人暮らしです。
おかあさんは早朝から近所の畑で働き、
昼間はお土産屋の店員さん。
夜はこの町特製「さくらみるせんべい」の工場で
包装のお仕事をしています。
忙しくてゆっくり話をする時間はありません。

それなのに相談なんてしたら、
「もう、うさぎなんて飼うのをやめなさい!」
って言われそう。
それがこわくて何も言えずにいるんだろうなあ
ということは、まめちゃんにもよくわかりました。
「直接、うさぎに聞くしかないか・・・」
「え? 直接って? どうやって?」
ゆずはちゃんが不思議そうな顔で聞くと
まめちゃんは自信たっぷりにうなずきました。

「大丈夫。ぼくらにまかせて。
ウォルナッツがちゃんと
うさぎに話を聞いてくれるから」

「くまが?」

こぐまのウォルナッツは、うさぎでも犬でもカメでも、
動物たちとはなんでも話せるのです。
もちろん人間の言葉もわかります。

でも人間と会話することはできません。
ウォルナッツはちゃんと話しているつもりなのですが
人間の耳には
みーあ。ねーあ。ぶー。
という、くまの赤ちゃんの鳴き声にしか
聞こえないのです。

ただし。
たぶん世界でたったひとりだと思いますが、
まめちゃんだけは、ウォルナッツが
何をしゃべっているのか
なぜだかわかるのです。

つまり、
動物の気持ちをウォルナッツが聞いて、
それをまめちゃんに伝えることができました。
店長さんはこのことを知っていますが、
ほかのひとには信じてもらえそうにないので、
お客様にもおともだちにも秘密にしていたのです。

「きょう、うさぎはぼくとウォルナッツが預かるよ。
好きな物を聞いて食べさせてみる。
にんじんだったら食べるかなあ・・・?」

ゆずはちゃんはそれを聞くと、少しだけ安心したようで
オムライスをきれいに食べました。

そして帰り際ウォルナッツに、
「ラッテはふわふわで
おいしそうなうさぎだけれど
食べないでよね、ウォルナッツ!」
と言いました。
ウォルナッツは耳をぴんと立てて
フーと鼻息を吐きました。

「えっ、こぐまって・・・うさぎを食べるの?」

まめちゃんが聞くとウォルナッツは
またまたフーと鼻息。

「誤解でございますよっ。わたくしは食べません!
いや、もしかすると食べるくまもいらっしゃるかも
しれませんが、ともかくわたくし、ウォルナッツは、
かわいらしいうさぎなど・・・。た、たしかにおいしそうな
みるく紅茶色のうさぎ殿ではありますけれどもっ」

耳をとがらせて怒りだしました。
まめちゃんは笑いをこらえながら、

「ウォルナッツの好物はね、
はちみつドーナツなんだよ。
うさぎは食べないってさ」

そう言うとゆずはちゃんはようやく微笑んで、
それじゃあまたあしたねと戸を開けました。

ゆずはちゃんが使った食器を洗ってから
ウォルナッツとまめちゃんが二階に上がると、
青色のビーズクッションに沈むように
うさぎがぐったり寝ていました。
「ほんと元気がないね。とにかくどうしたのか
聞いてみてよウォルナッツ。ぼくはお店であまった
にんじんがないか聞いてくるから」

こども食堂は午後7時で閉店しますが、
絵本喫茶室は午後9時まで営業中なので、
店長さんは近くの商店街で仕事を終えて
立ち寄った大人のお客様の
コーヒーを淹れるのに忙しそうです。
それでも、あまったにんじんときゅうりの切れ端を
細かく刻んで、うさぎ用のサラダを作ってくれました。

サラダを持って二階へ戻ると
ラッテの目がきらりと光りました。

そしてものすごいスピードで走ってきて、
お皿ごとまる飲みするのではないか
という勢いでばりばり食べ始めたのです。
さっきまでの元気のなかったうさぎとは
まったく別人、いえ、別うさぎのようです。

「どうなってるの?!ウォルナッツ」
まめちゃんが驚いて聞きました。

「うさぎ殿は、食欲がなくて
ごはんが食べられないのではなく、
我慢して食べなかったのでございますね。
だからおなかがすいて元気が出なかった、
ということのようです、ぼっちゃま」

「なんで我慢を?ダイエット?」

「まさか。食べることが大好きな
うさぎ殿がダイエットなど
するはずがございません」

「じゃあどうして・・・?」

「そろそろ桜の季節でございますね。
来月は小学校の入学式。
ゆずは様もぼっちゃまも出席される
あの入学式がございます。
学校からいただいた『入学式のしおり』の
持ち物リストの中に
ランドセルがございましたよね?」

「うん」

「ゆずは様は、ランドセルが買えないそうなのでございます」

「え?」

まめちゃんは来週、
店長さんと商店街のかばん屋さんに
ランドセルを買いに行くことになっています。

去年の秋頃から早く買いに行こうと
店長さんにせかされていたのですが

保育園の先生たちが、
「ランドセルって値段が高いよねえ」
と話しているのを聞いて、
「また今度でいいよ・・・」
と、遠慮しているうち、
結局、入学式直前になってしまったのです。

「うさぎ殿は、自分の餌代を節約すれば
ゆずは様がランドセルを買ってもらえるのでは
ないかと考え、
ごはんを食べるの我慢している
というわけでございます」

「そんなあ・・・」

自分のごはん代を節約すれば、
飼い主がランドセルを買ってもらえるかも
しれないと考えて食べなくなったうさぎ。
ごはんを食べないうさぎが
心配で食欲が出ない飼い主。

ふたりのやさしい想いが複雑にねじれて、
飼い主もペットも気持ちが
しぼんでいったのでした。

(とにかくランドセルのこと、聞いてみなきゃ)

次の日の夕方のメニューは、
和風ハンバーグ定食です。

刻んだ蓮根と大葉、鶏肉と豆腐と卵をこねて
小判型に形を整え、
フライパンでじっくり焼き上げたら、
大根おろしを乗せて
甘辛い醤油だれをとろーり。
こどもたちに好評のメニューです。

まめちゃんは、ゆずはちゃんの膝に
うさぎを乗せて、
「きのうときょうね、たくさんサラダを食べたよ」
そう言うと、ゆずはちゃんは、
ほんと?と笑顔になりました。
うさぎは自分がごはんを食べないことが
飼い主を心配させていたのだとようやくわかり、
きょうからちゃんと食べることにしたそうです。

「もうすぐ入学式だね」
まめちゃんがさりげなく言ってみました。
「うん、そうだね」
うさぎの食欲が出たと聞き、
気分が晴れたゆずはちゃんは
和風ハンバーグをもりもり食べながら、
にこやかにうなずきました。

「あのね、ラ・・・」
「ラ?」
「うん。ラ、ラ・・・」
「ララ?」
「えーと。ラララ~♪」
「ラララ・・・?」

いきなり「ランドセルもう買った?」なんて
聞いたら嫌な思いをさせてしまうかもしれない・・・。
まめちゃんはなかなか言い出せません。

コーンスープを運んできたウォルナッツは、
はあ、とため息をつきました。

(ぼっちゃまはよいこなのですけれども、
いまひとつ勇気がなくて困りますなあ・・・)

うさぎは、くるくるした愛らしい目で
飼い主の顔を見あげながらも、
ちゃぶ台の下で、まめちゃんの膝に
バンバンうさぎパンチを繰り出しています。
(さっさと質問しろよっ) と、言うように。
「いててっ」
まめちゃんが思わず動いた勢いで、
コーンスープが畳の上に置いてあった
ゆずはちゃんの布製の保育園カバンに
こぼれました。
「あっ」
何回も使って色あせてはいますが
いちご模様がかわいらしい
淡いピンクのキルティングバッグです。

「あ。ごめん」

「わーん、どうしよう」
ゆずはちゃんは急いでハンカチを出し、
スープを拭き取りながら、
「汚しちゃだめだよ、まめちゃん。
このカバンで小学校に行くんだから!」
と、ほっぺをふくらませて怒りました。

「・・・ラララ、ララ、ランドセルは?」
ついに、まめちゃんが聞きました。

聞いた!

うさぎとこぐまは同時に目を閉じ、
ふううと深呼吸。

「ランドセルなんていらない。
このカバンで学校に通うの。
入学式もこれで行くもん!」
ゆずはちゃんが怒った声のまま言いました。
「ぼぼぼぼぼぼくが、おかあさんに
買ってくれるようおねがいしてあげる!」
まめちゃんの提案に、
「いらないの!」
ゆずはちゃんはうさぎをぎゅっと抱きしめて
泣きそうな顔になりました。
「ランドセルが欲しいなんて言ったら、
ラッテのごはんを買ってもらえなくなるかも
しれないよ?
もしかしたらラッテをどこかよそへ
やっちゃうかもわかんない。
そんなことになるなら、ランドセルくらい
我慢できる」

ふわふわうさぎのアーモンドの形をした
茶色の瞳から涙があふれてきました。
ゆずはちゃんの目にも大粒の涙がぷっくり。

ウォルナッツはテーブルを拭きながら、
どうなぐさめようか考えています。

まめちゃんはそれ以上、
何も言うことができません。

新一年生はみんな、新品のランドセルを
背負って小学校へ通うのに、
その中をひとりだけ保育園カバンで通うなんて・・・。

その夜まめちゃんはなかなか眠れず、
パジャマのままタンスを開きました。

まめちゃんは二段ベッドの上に寝ています。
ベッドの下の段にはウォルナッツが
眠っているので、
動くとウォルナッツも目が覚めます。
まめちゃんが、
タンスの奥からスイミングスクールに
持っていく四角いビニール製の
ショルダーバッグを引っ張り出すと
ウォルナッツはベッドから体を起こして、
「どうなさいました? こんな夜中に」
と、ねむそうな声で聞きました。

「ぼく、決めたよウォルナッツ!
ぼくもランドセルは買わない。
プールのカバンで入学式に行く!」

ウォルナッツはあわててベッドから降りて
立ち上がりました。

「えっ、スイミングスクールのビニールバッグで?!
いや・・・それはお待ちくださいませ。
店長さんはぼっちゃまと商店街のカバン屋さんに
ランドセルを一緒に買いに行くのを
それはそれは楽しみになさってらっしゃいますよ?」

「だって。ゆずはちゃんひとりだけ
入学式でランドセルがないなんて、
そんなのダメだ」

(・・・なんて、やさしいぼっちゃま)

ウォルナッツは泣きそうになりました。
「けれども、ぼっちゃま。店長さんはですね・・・」

「そりゃあ、ぼくだって店長さんにランドセルを
買ってもらえるのはうれしいよ。
今度の日曜に一緒に買いにいくのだって
楽しみにしてた。けどやっぱりランドセルって
値段が高いの。
もしぼくがランドセルはいらない、って決めたら
店長さん、そのぶんのお金で前から欲しいって
言ってた自転車、買えるんじゃない?」

「いいえ! まめとぼっちゃま、店長さんは
ランドセルのお値段はどうあれ・・・」
ウォルナッツは店長さんが心からまめちゃんに
ランドセルを買ってあげたいと思っている
気持ちを何とか伝えようとしましたが
まめちゃんは聞きません。、

「ぼくが三歳のとき、園からるるごはんに
きたことは知ってるでしょ?
店長さんが園に迎えに来てね、
一緒に電車に乗って、それから
ここまで手をつないで歩いてきた。
よく覚えてるんだ。
桜の咲いてる道を歩きながら、
ぼく、決めたの。
ぜったい店長さんには迷惑かけないって。
いいこでいようって」

まめちゃんは、
児童養護施設「あおぞら園」から、
るるごはんに来た日の話をしました。
その日から、店長さんが保護者に
なったのです。
まめちゃんに家族ができた日でした。

「ぼっちゃま・・・」
ウォルナッツはパジャマで涙を拭いました。

この国には、特別やさしい「こころの種」を
持って生まれてくる人間のこどもがいるそうです。
種は花や実となり、
しんせつで思いやりのある人間に育つのだと、
山に住んでいたとき
くまのともだちから聞いたことがあります。

(ぼっちゃまはきっとその「こころの種」を持って
生まれた赤ちゃんだったに違いない)

ウォルナッツはやさしいまめちゃんと暮らして
ずっとそう思っていたのでした。

「ねえウォルナッツ、いい考えだと思わない?
ぼくがプールのカバンで小学校へ行く。
そしたら店長さんはランドセルを買わずに
欲しかった自転車が買える。
ゆずはちゃんはランドセルなしでも恥ずかしくない。
みんながしあわせになる方法って、
考えればどこかにかならずあるんだね」

週末になり、

「ぼく、ランドセルを買いに行かない」
まめちゃんがきっぱり言うと店長さんは
「なんでーーーー?」 と、驚きました。

「プールのカバンで小学校に通う」

理由はいくら尋ねても答えません。
あまりに意志が固いので、
店長さんはとうとう、
わかった、わかった・・・と諦めたのですが
ひそかに悩みはじめました。

「なぜ? ランドセルがいらないなんて・・・。
もうすぐ入学式なのに・・・
どういうことなんだろ?
一緒に買いに行くのを
あんなに楽しみにしてたのに」

いくら考えてもわからなくて、
厨房で調理しながらも
ブツブツひとりごとを言っています。
悩む店長さんを見てウォルナッツは、
(もしもわたくし、このウォルナッツが
店長さんともおしゃべりできるなら、
ぜんぶお話ししてしまいたい・・・)
と、何度も思いました。
また、
(ひらがなでなら、なんとかお手紙が書けるかも・・・)
とも考えましたが、
理由を知れば店長さんのことですから、
「よーし、わかった。まかせなさい!
ふたりぶんのランドセルを店長さんが買うよ!」
と、威勢よく言うに違いありません。
そのあとで
(でも、それは彼女のママに失礼かなあ・・)
などという感じで考え込むことに。
つまり、理由を言えば
店長さんをよけいに悩ませそうです。

まめちゃんは店長さんの性格を
よく知っているのです。

(理由を言わないぼっちゃまは、
かしこいこどもさんでございますね)

ウォルナッツは結局よけいなことはせず、
大人しく入学式を待つことに決めました。

土手の桜が満開になりました。
いよいよ明日は入学式です。

まめちゃんのカバンは、ランドセルではなく
スイミングスクールのビニールバッグですが、
洋服は、ウール地の紺色ジャケットとハーフパンツ、
グリーンチェックのニットベスト、
オレンジ色の蝶ネクタイ、そして新しい運動靴。
上等な新品ばかりです。
すべて店長さんに商店街の洋服屋さんで
買ってもらいました。
新しい洋服たちは自慢げに
部屋の壁に並んでいます。

ウォルナッツはそれをしみじみ眺めながら、
「まことに素敵な入学式のお洋服でございますね。
ぼっちゃま」
と、言いました。
「うん。試着したらね、すごいカッコよかった」
まめちゃんは満足そうに、
鼻をぷくっとふくらませました。

ただ、店長さんだけは、
「ランドセルはいらない!」
と、いまだに言い張るまめちゃんの気持ちが
理解できずに、
気持ちがもやもやしていました。

本日のこども食堂の夕方のメニューは
るるごはん特製エビフライカレーです。
朱色のしっぽがぴんとした
ぷりぷりエビフライが
甘めのカレーライスに添えられています。

ゆずはちゃんはきれいに食べ終えると
うさぎを抱いて立ち上がり、
「おいしかったあ、ごちそうさまでした!」
と、店長さんのいる厨房に向かって言いました。
ラッテはごはんをまたたくさん食べるようになり、
みるく紅茶色のふわふわクッションみたいな
元のまんまるうさぎに戻っています。

ゆずはちゃんがピンク色のサンダルを
履きながら、うさぎに明るく話す声が店内に響き、
厨房の店長さんにも聞こえてきました。

「明日は自分だけランドセルがなくて
ほんとは嫌だったけど、まめちゃんも、
ぼくだってランドセルないから一緒だよって
言ってたから、ああよかったあ。
入学式、楽しみだね、ラッテ。
あ、でも動物は体育館に入れないから、
学校の飼育小屋でおとなしく待っててよね。
学校で飼っているうさぎさんたちの
にんじんを横取りしたらダメなんだから」

え?!!

店長さんはこの話を聞いて、はっとしました。
そして一瞬で、すべてのことを理解しました。

(ゆずはちゃんだけランドセルがないと
恥ずかしいだろうから自分も)
そう考えたんだわ。
「まめちゃんたら・・・」
なんて思いやりのあるこどもなのでしょう。
ミルクココアを飲んだときみたいに
店長さんの胸の底は
ふくふくとあたたかくなりました。

絵本が読めるこども食堂るるごはん

入学式の朝はよく晴れて、川の土手に
等間隔で並んだ桜が満開になりました。
春風に誘われ枝を離れた花びらは川面に浮かび、
桜色の帯となって流れております。
さすがは「さくらみる町」の「さくらみる川」
というだけのことはあり、感動的な美しさです。

お休みの日をはっきり決めていない
「るるごはん」ですが、本日ばかりは
こども食堂も絵本喫茶室もお休みです。
普段は食堂の調理師さんらしい
白いコックコートを着ている店長さんは、
新品のベージュ色のスーツ。
ショートカットによく似合っています。
そして大きなリュックを背負いました。
おしゃれなスーツにはとうてい合わない
いつも仕入れに行くときに使う
厚地の布製リュックです。

店長さんは、まめちゃんと同じ気持ちで
いるために、
入学式用にわざわざ買ったツヤツヤの
エナメル製ハンドバッグは
今朝、押し入れにしまいました。
店長さんはまめちゃんに
新しいジャケットを着せて
スイミングスクールのビニールバッグを
肩にかけてあげました。
それから、おもちみたいなふっくらした
かわいいほっぺを両手で包んで言いました。

「今日から一年生だね。おめでとう。
店長さんは、まめちゃんがよいこに育って
うれしいです。
たとえまわりのひとと違っても、
みんながどう言おうと、
ひとに流されないで
自分の考えをしっかり持ったこはえらいこです。
堂々と胸をはって一緒に入学式に出ようね」

「うん!」

まめちゃんは力強くうなずきました。

小学校の体育館に新一年生が集まり、
おとなのみなさんは上品な紺色のスーツを着て
緊張しています。
一年生の背中にはまだ少し大きいランドセルが
光っていて華やかです。
ビニール製のショルダーバッグを斜めがけした
まめちゃんと古びたキルティングの保育園カバンを
抱えたゆずはちゃんを、
一瞬不思議な顔で見るひとはいましたが、
ふたりともずっとにこにこしていました。
校長先生が名前を呼ぶと、はい、と大きな声で
お返事しました。
いまはちょうどえんどう豆の収穫期で
ゆずはちゃんのおかあさんは
畑のお仕事が休めず来れませんでしたが。

ウォルナッツは「こぐま=動物」という理由で
入学式会場となっている体育館の入口で
先生たちに止められ入れなくて残念そう。

(せっかくお気に入りのキャスケット帽を
かぶってきましたのに・・・)

『絵本が読めるこども食堂るるごはん』に
通うこどもたちは、ウォルナッツはこぐまだけれど
よく働く店員さんであることを知っていますが、
町じゅうの人たちに知られているわけでは
ありません。学校の体育館に赤茶色のこぐまがいたら
びっくりする親子もいるはずです。

ウォルナッツは仕方なく、校庭の隅に建っている
飼育小屋のカメに会いに行くことにしました。
カメはこぐまに気づくと金網のほうへ、
ぺたるぺたる近づいてきて、
「山の家に帰る道がまだ思い出せねえのかい? ウォルナッツ」
と聞きました。
「はい。森の奥に木苺がたくさん実る場所がございまして、
そのすぐ近くの太い木の洞(うろ)がわたくしのお部屋である
ということはわかっておるのですが、
そこまでの道がどうも思い出せず・・・」
ウォルナッツが迷子のこぐまだということは、
この町の動物なら誰もが知っているのです。

「でも、しんせつな店長さんと
やさしいぼっちゃまと出会えたので
ありがたいことでございます。
日々、感謝の心で、
帰り道を思い出すまでがんばって
働くつもりでおります」
と、答えました。

「しかしまあ、くまの言葉が理解できる
人間のこどもにたまたま出会えるなんて、
よかったよなあ」
「本当に。ありがたいことでございます」
カメと話をしながらも、ウォルナッツは
教科書やノートや筆箱が、あのビニールバッグに
全部入るだろうか・・・と心配でなりません。
このことをカメに相談すると、
「プールのカバンに入らない教科書は、
ウォルナッツが風呂敷に包んで毎日学校に
運んでやるべきだな。それがお世話になっている
人間への恩返しだとおいらは思うぞ」
と、アドバイスしました。

「たしかに! そうでございますね!」
ウォルナッツは胸に風呂敷包みを抱えて
通学している自分の姿を想像して、
どきどきしました。
学校へ通うなんて生まれて初めてです。

「ま、それがめんどうなら、
おいらがこの飼育小屋で教科書やドリルを
どっさり預かってやってもいいけどよ」

飼育小屋にはうさぎのお部屋、あひるのお部屋、
カメのお部屋と三つのお部屋がありますが、
カメのお部屋はいつも水でびしょびしょに濡れていて
教科書の保管場所には向きません。
それでもウォルナッツはカメの申し出がうれしくて、
おこころづかいありがとうございますと
丁寧に頭を下げました。

そうそう、うさぎのラッテは入学式のあいだ、
飼育小屋のうさぎのお部屋にいるわけですが、
どうも小学校のうさぎとはなじめないようで
他のうさぎに背を向けて
金網につかまり立ち上がったまま、
飼い主のいる体育館を見つめています。
飼育小屋のうさぎのリーダーは、
「おい無視すんなよ~。新入り。これだから
飼い主に甘やかされたうさぎはよおっ。
ちっ、お高くとまりやがって」
と何度も嫌味を言いました。

入学式を終えたまめちゃんとゆずはちゃんは
晴れ晴れとした表情で、こども食堂に座っています。

ふたりがランドセルを持ってないことを
ひやかしたりするひとはいませんでした。

多くのおとなやこどもは、
自分がまわりからどう見られているか、
どう思われているか気にしてばかりいますが、
じつは自分が思っているほど、
誰も自分のことをじっくり見ていません。

しあわせに暮らしているひとのほとんどは、
他人に対してそれほど興味がないものなのです。

「おひるごはんにお寿司を作ったよ」

今日は朝早くから、
二階まで甘酸っぱい匂いに満ちていました。
それは店長さんが入学祝いのお寿司を
作っておいてくれたからなんですね。
木製の半切(はんぎり)に入った酢飯には
鮭と薄切りきゅうりと白ごまが混ぜ込んであり、
上には錦糸卵(きんしたまご)、エビ、きぬさや、
ピンク色のでんぶ、きざみのりが
彩りよく飾られています。
色鮮やかなちらし寿司です。

ラッテにはにんじんのサラダ。
ウォルナッツにははちみつドーナツ。

窓からこぼれた春の陽射しが
お客様のいない絵本喫茶室の床に
暖かい格子模様を作っています。

「やっぱり午後は、絵本喫茶室だけでも
開けようかなあ?」
お店がお休みなんて、本当にめずらしいのに
店長さんは気分がよくてお客さんたちに
会いたくなっているのです。
店長さんは外へ出ると、戸に貼っておいた
『絵本が読めるこども食堂るるごはんは本日お休みです』
と書いた張り紙をはがして店内に戻り、
黒板ボードに白墨でこう書きました。

「絵本が読めるこども食堂るるごはん」
絵本喫茶室きょうのおやつは
いちごのミルフィーユと冷たい紅茶

るるごはんの「いちごのミルフィーユ」は、
薄焼きパイと山吹色のカスタードクリーム、
朝摘み苺を何層にも積み上げたみずみずしいケーキです。
たくさん作って冷蔵庫に冷やしてあります。
(さて、黒板をお店の外へ出そう)
店長さんがそう思ったとき、戸が勢いよく開いて
桜の花びらが店内に吸い込まれるように入ってきました。

桜が舞う戸口に立っていたのは、
商店街のかばん屋のおじさんでした。
深緑色のウールのチョッキを着ています。
絵本喫茶室では常連のお客様です。
「いらっしゃいませ、かばん屋さん。ちょうどよかった。
これから絵本喫茶室を開けようと思ってたところなんです」

店長さんが笑顔で立ち上がると、かばん屋のおじさんは
まっすぐゆずはちゃんを見て、
「ここにいたのか!ごめんなあ」
と、言うと頭の後ろをかきました。
あちこち探して走ったようで汗をかいています。

「どうしたの? おじさん」
ゆずはちゃんが聞くと、
「おかあさんに頼まれてたピンクのランドセルが、
さっきやっとお店に届いたんだ。
『いちごミルクみたいなピンクのランドセル』なんて、
注文されてもさ、うちみたいな小さい店には
なかったもんでね。
急いで取り寄せたんだけれど遅くなってしまって。
でもまさか、入学式の朝に間に合わないなんて。
本当にごめんなあ。
直接あやまりたいと思って探してたんだ」
と、何度も頭を下げました。

ランドセルというものは、
入学式より何か月も前、だいたい
夏頃から買い始めるものなのだそうで、
春が近づいてからだとメーカーでも
人気色は売り切れていることが多いのです。

「あとでおかあさんと一緒に、店に取りにきてくれるかね?」

ゆずはちゃんのおかあさんは、
娘の好きな淡いピンク色のランドセルを
少し前にかばん屋さんにこっそり注文していたのです。
入学式の朝に見せてびっくりさせようと
計画していたのですが入学式には間に合わず、
「注文するのが遅すぎたのね・・・」
と、がっかりしていたということでした。

「いちごミルクみたいなランドセルっ!」
ゆずはちゃんの瞳がキラキラしました。

(よかった・・・)

そこにいた全員がすーっと
軽やかな気分になりましたが、
中でもいちばんほっとしたのは
うさぎのラッテかもしれませんね。
ごはんを再び食べ始めるようになってからも、
(自分だけドッヂボールみたいにまるまる太って
申し訳ないっす)
と、ずっと肩身の狭い思いをしていましたから。

「あとで取りに行くね!おじさん」
ゆずはちゃんはラッテを抱きしめると
スキップしながら家に帰りました。

「・・・あのう、かばん屋さん、
お店にまだ男の子用のランドセルってあります?」
店長さんが聞きました。

「あるよお、もちろん。
だってうちはかばん屋だもの。
黒いの青いの赤いのはまだまだあるんだ。
いちごミルクピンクのランドセル、
そういう珍しいのがなかっただけだから」

店長さんは冷蔵庫からいちごのミルフィーユを出して
冷たい紅茶を急いで作るとテーブルに置きました。
かばん屋さんが汗を拭きながら食べている間に
さっきはがした
『絵本が読めるこども食堂るるごはんは本日お休みです』
と書いた紙のしわを伸ばしてもう一度貼りに外へ出ました。
桜の花びらはあたたかい風と踊るように
くるくる渦を巻きながら川面を飛んでいて、
桜のよい香りを放っています。
店長さんは春の匂いを胸いっぱいに吸い込みました。

やっぱり本日『絵本が読めるこども食堂るるごはん』は
まる一日お休みになりました。

だってこれから、商店街のかばん屋さんに
まめちゃんとふたりで
ランドセルを買いにいくのですから。

「ぼくね、ほんとはやっぱり欲しかったんだ。ランドセル」
まめちゃんがふっくらしたほっぺを桃色にして
ウォルナッツの耳元でささやきました。

「あと片づけよろしくね、ウォルナッツ」
店長さんはそう言うと、
押し入れから
新しいハンドバックを出しました。
きょうのスーツにはやっぱり
このバッグがぴったりです。

(おるすばんは、このウォルナッツに
どうぞおまかせくださいませ)

こぐまのウォルナッツは、にこやかに
エプロンのひもをきゅっとリボン結びにしました。

第一話おわり

第一話 みるく紅茶色のうさぎ
第二話 あじさい色のカエル
第三話 なつぞら色の羽