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おっさんだけど、仕事辞めてアジアでブラブラするよ\(^o^)/ Vol,27 生業

インド コルカタ 4日目
2023.0701 Sat 

30代に入り少し経った頃、わたしはいわゆる“ひきこもり”になりました。
そのことを人に言う度に、こう問い掛けられます。
「なにしてたの?」
わたしは答えます。
「なにもしてなかった」
本当になにもしていなかったのです。厳密に言うとなにかしていたかもしれません。でも、繰り返しになりますが、本当になにもしていなかったのです。アニメを見ていた記憶もありますし、漫画を読んでいた記憶もあります。でも、本当にその時のことはほとんど覚えていないのです。従って、結局のところ、本当にわたしはなにもしていなかったのです。

朝5時25分のアラームで目を覚まし、20分で支度を整え、朝の散歩に出かける。この旅に出て身に着いた、毎日の習慣です。

路地が1本違うだけで表情がガラリと変わる、そんな印象があります。

ホステルを出て、脚は自然と北東に向かいました。そう、ムスリムの犠牲祭を目撃した、あの地域です。
情報を整理すると、やはり犠牲祭自体は2日前に終わったようです。でも、昨日の朝も屠殺の儀式はありましたし、昨日昼前の時点で路地ごとの横綱牛は生存していました。普通に考えれば、横綱牛の屠殺は今朝から行われるはずです。
3日目ともなれば、さすがにある程度の土地勘が出てきます。その土地勘を頼りにわたしは狭い路地を進みました。姿勢は自然に、ダラダラとは歩かないが、歩みはゆっくりと。あからさまにキョロキョロはせず、そのうえで視たいものはしっかりと視る。ニヤニヤはせずに、目が合えば会釈をする。これが、わたしなりの路地を歩く時の基本姿勢です。要は部外者の分を心得て歩くってことですね。

はたして、犠牲祭は終わっていました。あれだけいた牛はほとんどその姿を消し、路地の人たちの生活も日常そのもの。3日前に感じたある種の興奮は跡形もなく消え去っていました。
しかし、幾つ目かの路地で、青年たちが行う屠殺現場に遭遇しました。路地の一角に人込みを見つけたので近寄って行ったのですが、その人垣の中にタイル張りの壇上があり、そこでは首にレイをかけられた一際大きな牛が後ろ足を縛られようとする、まさにその時でした。腰が抜けたのか本能的な防御姿勢なのか、牛は腰を地面につけたまま動こうとはしません。仕方がないので、青年たちは無理やり牛の後ろ脚を引っ張り、ロープで縛り上げようとしていました。素人眼に見ても、それは下手くそな遣り方でした。

どうやら路地ごとに横綱的な牛がいるようで、
そのなかでもこの牛は飛び抜けて大きく迫力がありました。


それもそのはずです。いまわたしの目の前でその路地の横綱牛を縛り上げようとしているのは、たぶん儀式に助手としてしか参加したことのない新人の青年たちなのです。それは監督者としての壮年の兄さん方の雰囲気からも明らかでした。兄さん方からの叱咤激励のもと、青年たちは必死で牛を縛り上げようと頑張ります。そして、いよいよの場面になったとき、壇上にはカーテンが掛けられ、わたしたち観衆の目からは儀式が見えなくなりました。

あきらかにタフガイ志向な兄さん方。カメラを向けてもこの表情です。
「男は強く!」的な文化があるのでしょうね。

路地を出ていきながら、わたしは考えました。
これはあきらかに、日本式のお祭りとは違います。
日本の例祭ならば、メインどころは必ず村一番の熟達者がやるはずです。ところが、この地域のムスリムは、メインの横綱牛を未熟な青年たちに託しました。そして儀式であり祭りのメインである屠殺の場面を隠しました。これは、それが本番ではないことを意味します。日本ならば練習を繰り返して本番となるところですが、この地域のムスリムは本番のあとに練習が来るのです。どちらがどうとかではないのですが、なんとなくわたしはそれをポジティブなものとしてとらえました。

その帰り道、わたしはナンケルダンガと地図上に表記される地区を通りました。
そこは、文字通りのスラムです。河沿いに並ぶバラックはどれもみな傾き薄汚れ、通りにはゴミがあふれていました。あきらかに外国人であるわたしに目もくれず、スラムの住人たちは黙々と朝のルーティンをこなしていました。
コルカタの街のこのあたりの地区がそんなに早起きでない理由、それは仕事がないからでしょう。スラムの住人たちは、朝が来ても起きださずに眠っている人たちがたくさんいました。そんな通りを歩いているうち、なぜ自分がここを歩いているのだろうと考えました。
知らない世界を体験したい。それはもちろん本音です。でも、それと朝のスラムを歩いて住民の様子を盗み見するのは少し違うような気もします。

機会があるならば体験してみるのもいいかもしれません。ただ、わたしは日本人旅行者で、
この人たちはいつもの生活を送っているだけです。

いたたまれなくなって、わたしはその路地をあとにしました。路地を1本違えると、そこはまた違う世界が広がっていました。たぶん、部外者にはわからない壁があるのでしょう。そこには路面店がズラリと並ぶ市場があり、わたしはそこでベリーに似た果物を買いました。
見慣れぬ紙幣を財布から出し、身振り手振りで果物を買いました。礼を言うわたしに、市場のおじさんは身振りでこちらこそと伝えてきました。

部外者であり外国人であるわたしを受け入れも拒否もせず、黙殺したスラム。
声を掛けてきたのは、ハシシの売人だけでした。


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