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おっさんだけど、仕事辞めて北海道でチャリ旅するよ\(^o^)/ Vol. 03 資質

2024. 0618 (Tue)

顔といわず腕といわず、肌を露出している部分は日焼けで真っ黒。明らかに数か月は散髪していない髪に、伸び放題の髭。一見ワイルドに見えそうなものですが、おそらく生来のものであろう痩躯と、穏やかな、もっと有り体に言うと呟くように話す小さな声、それよりなにより伏目がちな眼差しは、彼の極端な外見の印象を覆してなお余るほどです。
なんか線の細い人やな…。
それが、コバヤシさんの第一印象でした。
 
軽く一回り以上は年下であろう彼は、わたしにひとまずの挨拶を済ませると、控えめにこう続けました。
「なにもできないものですから、いろいろ教えていただけたらと思います」
「いえいえ、わたしのほうこそホントにこういうの初めてなんで…」
極端な謙遜や自虐は、ともすれば嫌味や卑屈につながりそうなものですが、コバヤシさんの場合そんな感じはしませんでした。彼の眼差しや物腰、そして初対面のわたしとの距離感。感じたこと、思ったことを率直に話している、そういう印象を受けました。
こうして書いてみると改めてわかるのですが、なんのことはない、会った瞬間からコバヤシさんのことを気に入っていたのですね、わたしは。

こういうノリをする人とは対極にいる人。…そうとも言い切れない人。コバヤシさんの人となりを写真で紹介しようと思ったのですが、なかなか難しいですね。だってほら、人にはいろんな側面がありますから…。ちなみに写真の彼は、インドで出会った八百屋のアニキです。市場を歩いているといきなり「写真撮ってよ」と声を掛けてきたのが彼。異常にフォトジェニックですが…。


 昨秋に5か月間のアジア周遊旅行を終え、そこから夏前までの7か月ちょい、工場での住み込み労働でカネを稼ぐ。そして始まる7月からの北海道チャリ旅! この青写真をさらに補強すべく、工場の年末年始休みを利用して伊勢志摩の旅館でリゾートバイトをしていたわたしは、明けた2024年の1月1日、中抜け休憩が終わりにさしかかる夕方に、異様な揺れを感じました。
能登半島地震です。
阪神淡路大震災を神戸で、東日本大震災を東京で体験しているわたしは、すぐにこの揺れが尋常でないことに気付きました。すぐにテレビをつけ、そして…。

バイト先の旅館にはネパールやベトナムなど、外国から来た従業員もいました。仲良くなってから「おいおい、どんな時でもおおらかなのがあなたたちの魅力なのに、なぜ忙しい時はダメな日本人みたいにピリピリしてるの?」と聞くと、ちょっと気まずそうに苦笑いしていました。



旅館でのバイトを終え、工場での労働が再開しました。なにがしかのカネを寄付し、自分への言い訳を終えたわたしは、日々のライン作業で身体を酷使し、自分を奮い立たせるためにボクシングジムに通い、そして酒を呑んで眠るというルーティンを黙々とこなし始めました。
 
そんななか、ふとアジア旅で知り合った人のインスタグラムを見ていると、なんと彼女は能登半島に出向き、現地でボランティア活動をしているではありませんか! おそらく以前からこういう活動も行っていたであろう彼女は、ボランティア団体とつながりがあり、震災発生後から10日余りで能登に出発したのでした。
“スゲエ…”
素直にそう思いました。1か月後か2か月後か、どれくらいなのかわかりませんが、ボランティアは震災発生からある程度経ってから現場で活動するものだとばかり考えていました。思慮深く、言葉を選んで発信する彼女が行動するからには、諸々をふくめてそれが良いと判断したからに違いありません。
“オレには無理やな。…働かなアカンし”
そうも思いました、正直に言うと…。

仕事ってなんでしょうか? 働くってどういうことなんでしょうか? 
これだけ働くのが嫌いなわたしでも、100% “手段” と割り切るのは、
これが意外となかなかに難しい。ちなみに工場での仕事は、想像を超えて大変でした。


 
2月になり、3月が過ぎると、わたしはソワソワし始めました。夏前にはチャリ旅が始まるので、それに備えてゴールデンウイークはプレチャリ旅として紀伊半島を縦断しようと予定していたのです。計画を立てるのが極端に苦手な自分を奮い立たせ、自分のチャリをGT仕様にすべくwebで検索し、必要な物をアマゾンで注文する日々。
この頃になると、
“北海道に行く前に、もしできたら、能登でボランティアに参加したいな”
そういう希望が出てきました。
以前テレビで観た、スーパーボランティアこと尾畠春夫さんの言葉を思い出したのです。氏は、現地では特に、態度や言動に気を付けているとおっしゃっていました。
「…ボランティアをさせていただいているんだから」
ボランティアをさせていただく。こういう表現は、このとき初めて聞きました。テレビ用の誇張でなく、氏が本心からこう言っているのは明らかでした。尾畠さんが感じている気持ち、それを少しでも体験し感じてみたい。わたしはそう思ったのです。

今回、縁あってわたしはボランティアに参加しましたが、“被災者を助けることができた” とはこれっぽっちも思っていません。なんというか、誰かを助けるとかそんな大それたことができるなんて、ボランティアをしている人は誰一人考えていないんじゃないでしょうか。


GWのプレチャリ旅を終え、能登半島でテント生活をしながらボランティアに参加すべく、情報収集を始めたわたし。検索にヒットするのは七尾のボランティアキャンプばかりで、しかも七尾は5月末で終了とのこと。もう少し深く検索を進めていくと、そのうち珠洲にもボランティアキャンプがあることを見つけました。
チャリで行く、などと言うと普通の人は引くことをもちろん知っていますので、それをボカして珠洲のボランティアキャンプにメールを送りました。その日の夜中に返信があり、そしてそれに返信し…。すぐに気付きました。
“あ、これ、この人メチャクチャ忙しいんやな”
要領を得ないとかそういう類ではなく、大量のメール問い合わせに対応しているから、わたし1人にかまっていられない。行間を読み取るのが得意なわたしは、返信メールからそういう雰囲気をビシバシに感じ取りました。

・珠洲市にキャンプ場があり、そこに行けばボランティアに参加できる。
・震災発生から半年近く経つ6月の中旬でも、毎日ボランティアに参加できる。
・運転免許しかないボランティア初心者のわたしでも、参加することができる。
5月31日で工場労働を終え、即日に退寮し、6月から有休休暇の消化に入ったわたし。この情報だけを頼りに、6月1日、能登半島の先端、珠洲市に向けてチャリを漕ぎ出しました。もちろん頭の中では、“地雷を踏んだらサヨウナラ” のテーマ曲を爆音でかけながら…。

東南アジアでチャリを漕ぐってのが、わたしの夢の1つでした。諸々あって、変速ギアすらないオンボロチャリを駆り、1日で約120km走る羽目になりました。現地の方々にとって、そのときのわたしはもちろん一ノ瀬泰造などではなく、単なる奇特な外国人でした。ちなみに、ケツの内出血など、無理をしたダメージは1週間ほど残りましたよ。



四日市市から4日かけて、金沢市のちょい北にある羽咋市にまで到着したわたし。次の1日をかけて輪島市に到着したのですが、輪島に到着する頃にはまわりのすべてが変わってしまっていました。観光都市でもある輪島のバリバリ中心地にある銭湯を目指したのですが、少なくない建物が崩壊したそのままの状態で残っています。
「全然! 落ち着いてなんて全然ないですよ。復興なんてまだまだこれからですから…」
復興関係のダンプなどの運転手に向け、支援のために震災後から弁当を販売しているご夫婦の言葉を思い出しました。まだ能登の現状を知る前のわたしは、
「もうボチボチ落ち着いてきてるんですか?」
そんな不用意な発言をしてしまったのです。

西側の海岸沿いに能登半島を北上していったのですが、金沢を過ぎてしばらくすると、屋根にブルーシートを張った家を見かけるようになりました。初めはわからなかったのですが、あれは地震で落ちてしまった瓦をカバーするためのものだったのですね。


輪島で1泊。そこから半日チャリを漕いで、ボランティアの拠点である珠洲のキャンプ場に着くころには、能登半島地震から約半年後のおおよそを肌で感じていました。
これから10日余りを過ごす珠洲は、全然、まったく復興が進んでいないのです。
阪神大震災を現地で経験したわたしは、震災直後の様子、そしてそこから年単位での復興の様子などもある程度覚えているという、ある種の経験済みのような感覚がありました。しかし…。少なくとも、過去の記憶からのイメージと、珠洲の現状は、全然、まったく、違っていました。
海にほど近いある通り。建て並んでいた民家のほとんどが崩壊しています。真昼間だというのに、人気はありません。もちろん人が住める状態ではないのですが、それにしても…。わたしは一礼し、スマホで写真を撮りました。

珠洲まで来て初めて撮った震災被害の写真。はっきりと覚えています。
ショックが大きく、輪島では写真を撮ることができませんでした。


 
そして、ボランティア参加の日々が始まりました。
初日は、コバヤシさんと2人で、キャンプ場から程近いあるお宅にお邪魔するとのこと。作業内容は、倒木の撤去。能登町など隣町に行く先発隊を見送った後、わたしたちはそれぞれが運転しながら軽トラ2台で出発しました。
少し驚いたのは、コバヤシさんが何度も思い切り道を間違えたこと。もっと驚いたのは、到着後に謝ってきたコバヤシさんに笑顔でどうでもよいことを告げると、
「そう言っていただけると、本当に助かります」
と言われたこと。
じゃあ他の人はどんな対応すんねん? 注意するってこと? 怒るってこと?
ご主人に挨拶するコバヤシさんの細い背中を見ながら、わたしは少し笑ってしまいました。
 
作業は意外と重労働。というか、以前に頼んだ業者(36万円の自腹!)がクレーンを使いつつカットしているものの、男手二人じゃないとどうしようもない太さの切り株が幾つもあり、“ボランティアやってる感”はバリバリに感じられるものでした。
「全部まかしてください」
そう伝えていたものの、独りで出来る作業は事前にかなりやってくれていたご主人。当日の作業にも参加してくれ、いろいろとおしゃべりしながら身体を動かしました。
「これ、アレですね。デカい切り株は全部移動できそうやし、あっちの木とかも我々やっちゃいますよ。そいでここの枝を全部そっちに移動して乾燥させて…。もし燃やすんやったらそこに持っていけるし…。優先順位とかあるんやったら教えてもらえれば」
「う~ん、今日は風が強いから、燃やすのはまた今度だわ」
白髪の坊主頭を振り振り、頑丈な体つきのご主人は柔和な笑顔でそう言いました。

ボランティアに参加した写真って、実はあんまり撮っていないんですよね。なんというか、初めはやはりいろいろ思うところがあって…。いま考えると、そんな深く重く考えずに写真を撮ってもよかったんじゃないか、なんて思います。   ※画像は本文と関係ありません。

休憩中、いただいたアイスクリームを食べながら、ふとコバヤシさんは言いました。
「優先順位とか…。北山さん自身もわかってないと思うんですよね…」
呟くような、静かなトーン。快晴の空のもと、汗だくの男が2人。
震災から半年が過ぎようとする現在、珠洲の海沿いはもちろん、山間の集落でも倒壊したそのままの家屋がいくらでもあります。倒壊しないまでも、[危険]の張り紙を張っていない家屋が少数派の地区もいくらでもあるでしょう。港も崩壊、道路もデコボコ。珠洲の大きな産業である観光業も、再開の目途はたっていません。
「わしの生きとるうちに、港は直らんだろう」
そう言って白髪頭を撫でたご主人。コバヤシさんは下を向いたまま、なにも言いませんでした。

この写真の港も、かなり震災にやられていました。


 
2日目の作業は、倒壊した家屋型大型倉庫の瓦降ろし。再利用できるものはしたい、との意向ですから、瓦は投げおろすのではなく、壊さないように運びます。土曜日ということもあり、7人で作業することになりました。というよりも、人数が見込める土曜日にこの作業を予定したという方が正しいでしょう。
働き始めて四半世紀以上、この手の力仕事と相性の良いわたしは、ひとまず皆の意見が出終わるのを待ってから、得意のハッタリでこう切り出しました。
「これ、アレですね。安全性さえ確保できれば瓦を降ろすこと自体は簡単なんで。まず建物の安全性を確認して、それから瓦を置く場所を確保して、んでもって導線を整理して…」

能登半島でよく見かける屋根瓦って、黒く塗装されてて格好良いんですよね。なんでも積もる雪を滑りやすくするためだとか。ちなみに、石川県ではもう生産されていないらしいです。へー。

昨日のお宅とは違い、今日の現場は効率的な作業が肝要です。バケツリレー方式に瓦を屋根から降ろしていったのですが、ここでわたしは驚きました。自ら志願して来ているだけあって皆やる気充分なのですが、なかでも社会人山岳会仲間だという女性3人組が凄いのです。なにが凄いって、おそらくわたしと同年代であろうその女性たちが、本当に楽しそうに作業するのです。ひとまずそこらに散らばった瓦をバケツリレー方式で移動&整理し始めたのですが、なぜかそれだけでニコニコの和気あいあい。しかも、山岳会だけあって体力も充分。次に、屋根に上っての瓦降ろし。危険を伴う作業ですが、やはり山岳会だけあって身が軽いし疲れ知らず。昼休憩時、男性陣は食事をとった後すぐに横になり、なんならいびきをかくほど眠っている人までいましたが、彼女たちはずっとおしゃべり。そのうちのお1人がこう言ったのを耳にし、わたしは目を見開きました。
「昨日の夜、楽しみすぎて眠れなかったんですよ、わたし」
スゲエ!
これこそがボランティアだと思いました。平日は働いて、休日にはできる限りボランティアに参加するという3人。今月は用事が立て込み、もう来れないと嘆くカワサキさん。炎天下の力仕事にも決して弱音を吐かないが、日焼けだけは気にする3人。バケツリレー時にはワーキャー言いながら2ステップで横移動する3人。
彼女らの大活躍もあり、その日の作業は依頼者が「次回は有料でもいいからお願いしたい」というほどの成果を挙げることができました。
ちなみに、わたしが出しゃばったのもあり、今回コバヤシさんは1プレイヤー。危険性のない地上でのバケツリレー方式の際は、リクエストを聞きつつスマホで音楽を流すなど、盛り上げ役に徹していました。

楽しく作業するのって、ボランティアにとっていろんな意味で重要です。だって楽しくないと続きませんから。楽しくないと、依頼者まで辛くなっちゃいますから。


3日目は、被害を受けたあるお宅の家具移動や家屋修繕の手元、そして私道の拡張でした。ご主人であるノボルさんは、元々は農家ながらも手先が器用で、大工を始めいろいろなことが出来る集落のなんでも屋さん的存在。お話をいろいろと聞きつつ、ボチボチと作業を片付けていく我々。後半は、つるはしとスコップで縁石を掘り起こして道路を拡張するという、これまでに一番の力仕事をしました。ここで別格の働きを示したのが、沖縄在住のニシさん。在りし日は小学校の先生で「バリバリの左翼活動家だ」と笑うニシさんのスコップ捌きはなかなか堂に入っており、力任せですぐにバテるわたしを尻目に、ガンガン縁石を掘り返していったのでした。
休憩時にはノボルさんと奥さんが冷たい飲み物やアイスをくれ、それを全員で食べるというほのぼのスタイル。ノボルさんがぽつぽつと話し、コバヤシさんがそれにぽつぽつと応える。物おじせず、自分の知らないことに興味があるわたしも、どんどんいろんなことを聞いたりしました。なぜ田んぼは水平である必要があるのか? 蛍の生息に清流は必須なのか? なぜ能登の瓦は黒いのか? 

素晴らしいロケーションにあるこの旅館も、震災のダメージで休館中でした。観光業が復活したら、近隣県のみならず皆ガンガン能登に行ってほしいですよね。景色は素晴らしいし、温泉もあるし、たぶん魚介類も超絶に旨いだろうし。

「そうですね、明日は休みましょう」
キャンプ場に戻り、明日の相談をしていたとき、わたしのほうからコバヤシさんにそう言いました。初日からの懸念事項である「コバヤシさんは休んでるの?」問題を話しつつ、明日4日目の労働内容を聞いたとき、わたしはピンときました。
“そっか、もともと明日、コバヤシさんは休みの予定やったんやな”
明日の内容は、キャンプ場の整備/(キャンプ場に山のようにある)珠洲焼など陶器の梱包、などなどです。これらをコバヤシさんとわたしで行う。さらに言うと、
「Milltzさんはお休み要らないんですか?」
というコバヤシさんの問いかけに、わたしは「要りません」と断りを入れていたのです。『コバヤシ組』の右腕として頭角を現し始めたわたしですが、もちろん組長の健康を気遣う配慮も持ち合わせています。
3日間の労働で行動を共にし、わたしはすっかりコバヤシさんを信用するようになっていました。地元の方々への接し方、ボランティアスタッフへの接し方。賃金の発生する労働しかしたことのないわたしにとって、ボランティアでする労働はとても新鮮でした。
“効率なんて二の次三の次”
コバヤシさんが行っているボランティア活動、コバヤシさんが属しているボランティア団体の考え方は、わたし流に解釈するとそうなります。初日、北山さん宅でご主人が考え込まれたとき、コバヤシさんは一緒に「う~ん…」と考え込んでいました。2日目、ボランティア同士で作業の仕方について相談しているとき、コバヤシさんは口を挟みませんでした。3日目、そのあたりの集落の中心人物であるノボルさんが言い出すまで、次なるボランティア要請の話をコバヤシさんはを切り出しませんでした。
なにより、彼が本当にカネを持ってなさそうなこと…! 先人から引き継いだという驚くほどボロいハイエースを駆り、おそらく3食とも自炊。昼食時、節約派のわたしが1個98円の菓子パンを喰っている隣で、公共テントで炊いているご飯をラップで包んだ代物を“おにぎり”と称して喰っているのです。
そんなコバヤシさんが「休みませんか?」と言っているのです。休んだほうが良いに決まっているんですな、これは。

こんな感じのキャンプ場で10日余りを過ごしました。ボランティアといえども休みは必要。というか、疲れ切ったボランティアスタッフなんて、現地の人たちも引くし遠慮しちゃいますから。


5日目はノボルさん宅の作業の続き。
6日目は、放置された小さなビニールハウスの撤去。一目見て、撤去よりもその中や周辺のゴミ撤去が面倒だと判断しました。まず大量のごみを片付けるトン袋を用意すべくキャンプ場に戻り、それからニシさんと二人で片づけを始め、昼過ぎには新たな応援2人も駆けつけてくれました。
在りし日はユンボのオペレーターだったという熊本出身のセダカさんは、テキパキと作業しつつも、ぼそりとこう言いました。
「ばってんこれは震災と関係ない。…便乗ですね」
まあまあまあまあ…。まあアレですわ…。
ごみ捨てに軽トラで走りつつ、わたしたちは話しました。セダカさんも、熊本地震など幾つもの現場で作業してきたツワモノボランティア。車中泊を繰り返して北海道まで墓参りに行き、その足でこのボランティア。この後は山梨までリニアモーターカーの公開実験を見学しに行くと言います。娘さんとお孫さんがライン経由でリニア情報を教えてくれるとのこと。セダカさんもニシさんもそうですが、わざわざ遠方からボランティアに参加されるだけあって、わたしの2回りくらい年上の彼らはヤバいくらいにアクティブなんですな。

作業内容について、わたしは一切口出ししないし、する気もありませんでした。それはボランティアビギナーの自分が言うことではないし、なによりコバヤシさんに共感し信用していたからです。
※画像は本文と関係ありません。


7日目、8日目は、海岸沿いの個宅で、床下に入り込んだ泥出しです。珠洲の海岸沿いの地域は、津波で床下浸水した家庭も多くあり、なかには床上浸水した家屋もあります。この泥を掻き出さなければ、家屋の傷み、悪臭のもとになる恐れがあるそうです。作業としては、床の一部を引っぺがし、そこから床下に潜ります。そこに積もった泥だけを掻き出して、それから消毒。幾日か後に乾燥用の竹炭を設置してひとまず終わりとなります。
この作業は、わざわざ岡山から専門のボランティアの方が来られ、2日間限定で指導してもらいました。そのイシハラさんが岡山から能登まで移動するなか、縁あってイスラエル出身のカップルをボランティア要員として連れてきたのです。アディとタニアをくわえた計7名のスタッフに作業内容をイシハラさんが説明していると、コバヤシさんがなにやら彼らの隣でブツブツ話し始めました。聞くと、なんとコバヤシさんはイシハラさんの説明を同時通訳しているとのこと。髪と髭ボウボウはまだ良いとして、それに便乗して鼻毛までボウボウに出しまくっているコバヤシさんの意外にインテリな一面を垣間見たのでした。
作業の進行自体は非常にスムース。1日1件のペースで見積もっていたのですが、2日で3.5件ものハイペースで進めることができました。床下の狭いスペースに潜るので、小柄なセダカさんと細身のニシさんが大活躍。長身のアディとタニアもバリバリと床下に潜って働くガッツを見せてくれました。わたしも得意のハッタリで現場を切り盛りし、『コバヤシ組の若頭』という地位を不動のものにしました。

本当に頑張って働いてくれたアディとタニア。イスラエルっていまアレですけど、それはあくまで国の話ですから。このカップルはヒッチハイクで日本を旅しているのですが、彼らのインスタを見ていると、行く先々で彼らが歓迎されているのがわかります。実際スゲー良い奴らだったし!


8日目の作業が終わり、キャンプに戻ると、炊事場でコバヤシさんに会いました。軽く世間話をしていると、いつもののんびりとした口調で衝撃的な事実を告げられました。
「明日の土曜日、計17名で作業するんですよね」
待て待て待て待て…。
わたしが『コバヤシ組』で学んだこと。それは、ボランティア作業員としての心得です。
1. 依頼主と楽しく話す
2. 楽しく作業をする
この2つが重要なのであり、作業効率なんて二の次三の次なのです。しかし、17名もの大所帯での作業となれば、話は大きく変わってきます。大前提としてボランティア作業員は、わざわざ時間とカネをかけて、自らの意思で労働をしに来ています。故に、ボランティア作業員のもっとも嫌うこと、それはやることがない状況なのです。コバヤシさんを除く16名が現場でぼーっとしている。それは、充分に起こり得る最悪の状況です。
幸い、9日目の作業もここ2日間と同じ床下の泥出し、それに少しだけですが現場自体も視察しています。わたしはその場で緊急ミーティングを実施し、うっかり炊事場に近づいてきた主要メンバーにも意見を求めました。

キャンプ場の近くに仮設住宅の集合エリアがあり、それに伴いいわゆる “自衛隊風呂” がありました。毎日16時から21時半まで。これは本当に有難かったし、気持ち良かったです。


 
そして迎えた9日目。専門家であるイシハラさんは別の現場で不在。コバヤシさんがリーダーとなり、計17名を率いての、ゲストハウスの床下泥出しプロジェクトが始まりました。朝礼でのコバヤシさんも、心なしか普段より大きな声で話しているように感じます。若頭のわたしは、すかさずアディとタニアにインチキ通訳を開始。
現場まではクルマに分乗していくのですが、この日はあいにく軽トラが他の現場で使われており、わたしはコバヤシさんのマジボロハイエースの助手席に乗り込みました。
「まあアレやで…。落ち着いて最初に全部確認してやな…」
基本的に態度がデカいわたしは、この頃にはもうすっかりタメ口です。
いざ、現場。コバヤシさんの号令のもと、家具その他の移動/開口部準備/泥出し準備/泥出しの4部隊に16名を分け、さっそく作業開始です。始まってしまえば、あとはスムーズ。なんてったって、時間とカネを使ってわざわざ作業しに来てくれている人たちです。意識が違う、自主性が違う。くわえて、なんやかんやでそれぞれ得意分野があったりするのです。なんかやたらと建物の構造に詳しいなと思っていたら日本家屋の設計士だったりとか、大工じゃないと言い張っていた人がDIY系のYOUTUBERだったりとか、自前の軽トラで参加してくれたりだとか…。それに、わたし以外の多くの方々は、ボランティア経験がホントに豊富なんですよね。
終わってみれば、皆が皆それぞれ個性と力を発揮してくれて、予定を大きく超えて作業ははかどりました。これは私見ですが、ボランティアスタッフ皆、気分良く作業してくれていたようにも思います。もちろんわたしも満足してその日の作業を終えました。どれくらい満足していたかというと、スーパーボランティア尾畠さんにあやかって(東日本大震災以降、酒を辞めたそうです)ボランティア中は人前で酒を呑まなかったのですが、この日に限って、現場帰りのコバヤシさんのハイエースの助手席でビールを飲んだのでした。

珠洲のあたりって、本当に海がきれいなんですよね。海といえば瀬戸内海。そういう土地で育ったわたしには、この日本海の美しさと豊かさはかなりの魅力ですね。


ラストの10日目はコバヤシさんがお休み。故に『コバヤシ組』ではなく、隣町の能登町での作業となりました。この日はこの日で、なかなかに忘れ難い日となったのですが、それはまた別のお話です。

能登半島は大きい。地盤などの条件によって、被害もさまざまです。
できるときに、できる人が、できることを。
これがボランティアの基本らしいですな。全面的に同意します。


 
こうして9日間のボランティア、11泊の珠洲キャンプ生活が終わることとなりました。
最後の朝、わたしは朝8時に受け付けに向かいました。そこでいつもその時間、朝礼をしているのです。見知った仲間に挨拶をし、そして…。
「お疲れちゃん!」
コバヤシさんとがっちり握手しました。わたしの欧米式の固い握手に呼応して、コバヤシさんはハグをしてきました。
「おお~、熱いですな」
DIY系YOUTUBERのキクチさんが冷やかしてきました。コバヤシさんとわたしはニヤリと笑いました。

こういう感じの家、能登半島ではよく見かけます。黒い瓦が抜群に格好良い! あたりの景色とかとも調和してます。これ、機能面だけじゃなく、絶対にビジュアルもバリバリ意識してますよ。


そしてテントに戻り、荷造りを再開。11日間もパッキングしていなかったので、完全に仕舞い方を忘れてしまっています。いい加減に面倒臭くなったのでテキトーに荷物をバッグに投げ込んでいると、エンジン音が近づいてきました。低いギア比で唸るエンジン。軽トラです。振り返ると、コバヤシさんが運転席で笑っていました。わたしも笑いながら、立ち上がりました。そして、話しました。なんだか、格好つけたことを喋ったようにも思いますし、そうじゃなかったような気もします。1つだけ、伝えたかったことはちゃんと伝えました。
「コバヤシさんはリーダーの資質、ちゃんとあるで。“こいつを盛り立てていこう” とか “こいつのミスやったら仕方ないわ” とか…。人徳っつったら大袈裟やけど、そういうことを思ってもらえるのが、ええリーダーの資質やとオレは思うからさ」
コバヤシさんは言いました。
「最後にもう一度握手しましょう」
自分の感情をコントロールできる自信がなかったので、コバヤシさんの目をじっと見つめることができませんでした。この歳になっても、わたしの年代の男性は人前で泣くことに抵抗があるのです。

10日間も一緒にいれば、センチメンタルな気分にもなりますよ。だって、おっさんだもの…。


 
10日間。わたしの見てきた範囲でもわかります。能登はまだまだ大変です。
家屋の解体ひとつとっても、いろいろあります。解体するにはカネがかかる。解体するには承認がいる。解体する前に損壊の程度を検査しなければならない。検査もいろいろあるだろうし、検査結果を受け入れるのに時間が必要な場合もあるでしょう。
だいたいが、生活の基本となる家が、そして町が、ボロボロの状態なのです。部外者のわたしが言ってよいことではないかもしれませんが、「もとどおり」なんて無理ですね。
土建、土木など専門業者も足りてないでしょうが、ボランティアにだってやることはいっぱいあります。もっと言うと、ボランティアだからこそ出来ることもいっぱいあります。
すべきことが明確で、それを達成するカネを持っている。被災者の中でそんな人、どう考えても多数派とは思えないです。頑張ってどうにかこうにか、ボチボチの日々を取り戻せるよう暮らしている。そんな人も多い中で、ボランティアだからこそできることって、いろいろありそうな気がします。
 
珠洲でのボランティア。本当に、得難い経験となりました。
一言で言うと、イイですよ、ボランティアって。
みなさんも、機会があれば、ぜひ!

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