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怪談「すくらっぷ」

20代の終わりの頃の話だ。
中高の同級生の杉本怜太(仮名)と2年ほどの間に5回くらい酒を飲み交わすことになった。最初に連絡してきたのは、杉本だった。mixiで俺のアカウントを発見したとかで、東京にいる仲間は少ないから今度飲まないか、と誘われたのだった。
その当時勤めていた会社が杉本のアパートに近かったというのが、それほど気乗りのしない誘いを受ける消極的な理由となった。

と言っても、会っても明るい気分になる奴ではないので、あくまで一時間程度、「あいつは今何してる」「A子は最近…」などといった同級生たちの近況の情報を持ち寄るだけで、さして盛り上がることもなかった。そもそも、杉本とは一度もクラスや部活が一緒になったことがないのだ。

しかし地元から離れ、東京に出てそのまま就職する仲間はそれほど多くはない。たいして気が合わない存在であっても、お互いに地元が同じで、中学も高校も同じだという共通項にしがみついて、惰性で会っていたのだと思う。

杉本の母親から連絡があったときは驚いた。なんでも、搬送先の主治医が杉本のケータイから母親に連絡し、通話履歴の一番上に俺の名前があったので、それを伝えたところ母親の記憶に引っかかったらしい。

杉本が母親に俺のことを話していたことにも驚いたが、もっと驚いたのは、杉本と最後に会ったのが一カ月以上前だったのに、履歴のいちばん上にあったという事実だ。

たぶん会社とプライベートのケータイを分けていたのだろうが、それにしても、人付き合いがないにもほどがある。

とにかく、母親は電話をかけてくると、一足先に遺体の本人確認をしてほしいと頼んできた。その言い方がなんだか嫌だった。面倒ごとを押し付けるような雰囲気があったのだ。動転していたのかもしれないが、少なくともその時点で母親の声に悲しみの表情は感じられなかった。

ある程度の状況は聞いていたが、実際に杉本の死体を目の当たりにすると、さすがに顔が引きつった。首のあたりの大きな黒子と、手首にある火傷の痕をみて、杉本のものだと確信し、間違いないです、と母親にも連絡した。

ところが、母親が電話の切り際に面倒なことを言ってきた。「申し訳ないんだけど、怜太の通帳に二日前に金を振り込んだばかりなのよ。死亡届を出すとすぐに口座が凍結されちゃうから、すぐ行って今からいう口座に振り込んでもらえない?」

自分の息子が死んだというのに、金の話か。おそらく、杉本は安月給だったのだろう。それで親に仕送りを頼んだのだ。それが、今になって惜しいということか。相続手続きを済ませれば、故人の口座でも金は引き出せるはずだが、それでは間に合わないのだそうだ。不用心にも四桁の暗証番号まで口頭で伝えてきた。よほど焦っているのだろう。

杉本は会社から帰宅途中に搬送されたため、病室には黒い鞄が一つあるきりだった。鞄の中身は書類ばかり。スーツに財布と鍵があったが、クレジットカードのほかに銀行のカードなどは入っていなかった。どうも自宅に置いてあるようだ。

仕方なく、杉本のアパートへ向かった。住所は保険証に載っていた。行くのは初めてだ。もうすっかり日は沈んでいた。二重の意味でいやだった。死んだ人間の部屋に入るのがまずいやだった。さらに、さして親しくもない奴の部屋というのがよけいに嫌だった。これが親友なら、全然心境は違ったはずだ。

アパートの203号室というのが、杉本の部屋だった。廊下に面した窓の格子にいくつもビニール傘がかかっているのは杉本らしいなと思った。ものぐさで、表情に乏しく、会話を膨らませるということがない。趣味はスクラップだとか言っていたが、それ以上詳しく話してくれることもなかった。考えてもみれば、いくら同級生だからといって、よくそんな奴と5回もサシで飲めたものだ。

ドアの鍵を開けた瞬間、嫌な予感がした。食べ物の腐った匂いがしたのだ。開けてみて、明かりをつけたら理由がわかった。部屋は足の踏み場もないくらいぐちゃぐちゃで、かろうじて中央にみえるテーブルには隙間もないくらいコンビニのカップ麺や弁当の類が積まれていた。どれも食べかけばかりで、虫が大量発生している。

顔をしかめながら窓を開け、虫を追い払った。そして、自分がかきわけて進んできた足元を改めてみて、悲鳴を上げかけた。それは、雑誌や新聞の切り抜きだった。そういえばスクラップが趣味だとか言っていたな、と思い出す。

だが、ただの切り抜きではなかった。そのすべてが、人間の頭部ばかりだったのだ。無数の人間の頭部が、床に散らばっていた。

もちろん、紙きれにすぎない。だが、その夥しい量の頭部が、自分を見ている気がして気持ち悪かった。一般人のものも、芸能人のものも、文化人のものも、政治家のものも、そのすべてが頭部だけだった。人間の顔が好きだったのか、それとも子供がバッジを制作するような感覚だったのか、はたまた胴体が嫌いだったのか、あるいは一種の殺人衝動の代償行為なのか──。

いずれにせよ、5度も飲み交わした男が自宅で雑誌や新聞にハサミを入れながら、人間の頭部だけを切り抜いている様子を想像すると寒気が走った。

ドアをノックする音が響いた。やましいところはないが、出るべきか一瞬躊躇していると、ドアノブがゆっくりと動き始めた。その動きから、相手が少しも音をたてぬように気を使っていることがわかった。

とっさにカーテンの裏側に身を隠していると、ドアが開き、何者かが入ってくる。男だったが、悪臭がひどかった。かなりの高身長で、くわえて脂肪がたっぷりと蓄えられていた。そして、左手にはなぜかズボンのベルトをもっていて、それを地雷でも探すみたいにまっすぐに垂らしている。

それ以上覗きみるのは危険と考え、カーテンの中に完全に身を隠し、息を殺した。

「どぉこだぁ? すーぎもーとくん、すーぎもーとくん……人が多くてわからないよぉ……すーぎもーとくん」
男は床に散乱した頭部たちのどれかひとつに杉本がいると信じてでもいるかのように、がさがさと音を立てている。たぶん杉本を探しているのだろうが、なぜ床の紙を執拗に触り続けているのか。

そのうち、男のすすり泣きの音が聞こえてきた。
「すぎもとくぅん……迷子になっちゃったよぉ……こわいよぉ……」
それから、くぐもった音がしたと思ったら「うもうもうも」という妙な声がしはじめた。

恐る恐るカーテンの隙間から覗き見ると、男はチラシや新聞の切り抜きをむしゃむしゃと食べていた。切り抜かれた頭部が、次々と勢いよくその男の口に放り込まれた。

その時、気づいた。かつてのクラスメイトの頭部がその中にあったのだ。どうやら卒業アルバムまで切り刻んでいたようだ。男は口をもぐもぐさせながら、俺の初恋の亜美の頭部を拾い上げた。

たかが紙だと思っているのに、震えが止まらなかった。亜美が男の口内に収まるのを、ただカーテンの隙間から見ていることしかできなかった。部活仲間の武夫も、雄介も食べられた。樋口先生も、竹中校長も。なすすべがなかった。落ち着け。こいつはただ紙を食べてるだけの頭のイカれた奴だ。放っておけばいい。

だが、そう思えなくなっているのは、そいつにとっての現実に飲まれかけている証拠だった。俺の側に現実があるように、あちら側にも現実はあって、あの男の現実世界では、奴は人の頭部を食べていることになっているのだ。

おそらく、それは本物の頭部、杉本の頭部を見つけ出せないことの代償行為として。杉本は男のこうした性質を知っていて、こんなにも大量の頭部を切り抜いていたのか。

このスクラップは、お守りなんだ……頭がおかしいのは杉本ではない。杉本は自分の身を守ろうとしたのだ。

男はまだ泣いている。男が右手に握っているのは、さんざん切り刻まれてしまった卒業アルバムの残骸だった。男はベルトを持った左手でそれをぱらぱらとめくって、あるページで手を止めた。部活動のページ。そこに一つだけ全身が残されている者がいた。

俺だった。

「んぬううううう、んぬううううう!!!」
男は奇声を上げながら、それを壁に向かって投げつけると、突如走って部屋から飛び出していった。何がなんだかわからなかった。ただ、全身が激しく震え、脇の下から大量の汗が流れ出ていた。カーテンの隙間から出て、通帳を探しだし、玄関へ向かった。

部屋を出るとき、振り返ると卒業アルバムのなかの、十代の自分が笑顔でこっちを見ていた。ただ一人、この中で全身があるそいつが、やけに不気味にみえた。

ATMで振り込みの手続きを終え、通帳を杉本の実家に郵送する手続きも整えると、ようやく帰路についた。俺のアパートは杉本のアパートのある駅から5駅ほど離れていた。ようやく帰り着いたときには、夜の十時を過ぎていた。さんざんな一日だった。

五階を指定したエレベータが上昇する間、杉本の死体のことを考えた。彼は行政道路の歩道からはみ出たあたりに頭を突き出して寝ていたらしい。そのため、ほぼ頭部はすり潰されて、頭蓋骨は粉々になり、真っ平な状態だった。

あれは──あの男から自分の頭部を隠そうとしたのではないのか。あの男に、自分の頭部を渡したくなくて。

エレベータのドアが開いた。504号室に向かおうと歩き出してすぐに嫌な予感がした。

部屋のドアの前に、ベルトを垂直にぶら下げたあの男が立っていた。

そいつはインターホンを何度も繰り返し押している。すぐさまエレベータに引き返し、閉まるボタンを押した。

男が、気づいて「ぬめ?」とつぶやいた気がした。

構わず1階を押した。
エレベータが階下につくと、そのまま夜の街へ飛び出した。

結局、そのアパートへは二度と戻らなかった。会社の後輩に頼んで、荷物の大半を処分してもらい、退職届も出して数年にわたり放浪の旅をした。体から恐怖が消えるまで続けてやろう、と思った。

数年後に作家になり、こうして海を渡って四国の地にたどり着いた今では、あの頃の恐怖は夢のなかの出来事のように思える。それでも、今でもベルトを見ると手のひらに汗をかいてしまうし、何より新聞でも雑誌でも、そこに写っている人物の写真というもの自体が怖くなってしまった。

それを切り取る者と、それを食べる者とがこの世にはいて、それはもしかしたらそれだけではないかもしれないのだ。

あの卒業アルバムで意図的に切り抜かれずに残された俺の写真は、何を意味したのだろうか? というか、それほど親しくもない俺と、あいつが定期的に会っていたのは何のためだったのか?

あれは、あの男のための、自分の次の生贄に指定するためじゃないのか?

そうでなければ、なぜあの男はあの時、俺のアパートを知っていたのだ? 

そんなことを思うせいだろうか。今でも執筆しながら、10分きざみで窓の外を覗き見てしまう。庭先に、ベルトを垂直にたらしたあの巨漢の男が立っていやしないか、と。そして、それを考えると、発作的に雑誌の写真を切り抜きたい衝動に駆られる自分と、今日も必死に戦っているのだ。


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