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2020/05/15 自粛下でミスチルを聴いてみた

いつ頃からなのか忘れてしまったのだが、ミスチルをヘビロテから外した。

と、唐突に始めてみたが、なかには「御簾散る?」「蛇炉手?」と頭にはてなマークが浮かんでいる方もいらっしゃるかもしれないので、一応、知らない方向けの情報を付記しておきます。

ミスチルは正式名称をMr.childrenという。4人編成のバンドでボーカルの桜井和寿が主に作詞作曲をつとめている。ギターは田原健一、ベースは中川敬輔、ドラムは鈴木英哉(愛称JEN)。プロデューサーはサザンオールスターズなども手掛けた小林武史で、92年にメジャーデビュー。94年のアルバム『Atomic Heart』が累計343万枚、96年のアルバム『深海』が274万枚といずれも現在では考えられない記録で社会現象ともなり、現在でもアルバムを出せば1位になるというモンスターバンドだ。音楽的な影響としてはザ・ビートルズやエルヴィス・コステロ、サザンオールスターズがルーツだろうか。軽快なロックサウンドと日本歌謡の交差点を見つけ、そこに桜井の作詞による同時代の若者の内面を掘り下げた思索的な字余り気味の歌詞がのることで独特の佇まいが成立している稀有なバンドである。

そのモンスターバンドに10代の頃に心臓を撃ち抜かれた一人であった自分が、なぜかある時から彼らの楽曲を、積極的に聴かなくなった。ヘビーローテーションしなくなったのだ。

20代の半ばくらいまでは、邦楽だとスガシカオ、山崎まさよし、奥田民生、スピッツ、くるり、GRAPEVINE、キリンジ、イエモン、椎名林檎、宇多田ヒカル、aikoといった「個人的なヘビロテレギュラー陣」がいて、準レギュラーが入れ替わり立ち替わり入り…というのが大体のサイクルで、洋楽はブラー、oasis、レニー・クラヴィッツ、クラウドベリージャム等を中心に少しずつ増やしてはいたけれど25歳くらいまではやはり邦楽中心で聴いていた。

だいたい2000年~2005年くらいのことだったと思う。ミスチルはそのなかでもわりに古くからのヘビロテメンバーであった。高校時代に衝撃を受けて以来、その曲の構成や歌詞に大いに影響を受けた。高校時代にバンドで初めてやったのは「イノセントワールド」だった。

それが、大学院を終えたくらいからだろうか。徐々に聴かなくなっていった。一つには、徐々に洋楽やジャズ、アンビエントに傾倒していったりしたという背景がある。そうなると、J-POPの何ともドメスティックとしか言いようのない匂いが気になりだす。

具体的にいえば、「スロー再生して三味線で演奏すれば演歌になってしまうメロディライン」といったところだろうか。脳内で美空ひばりが歌って違和感なければ、J-POP的には正解だ。

もちろんそれだって立派な音楽だが、そればかり聴いていると、それ以外の音楽の良さがわからなくなるのも確かで、一度外側に出てしまうと、逆に簡単に内側に戻れなくもなる。

しかしそれでも、レギュラー陣の大半は定期的に摂取してきたのだが、会社員になった頃からミスチルだけ聴かなくなった。思うに、理由はミスチルの音楽は自分にとって食器を洗いながら聞いたり、通勤時に聞いたりするには、あまりにも閉塞的で、自己探求的な歌詞が少々胃もたれしたからではないかと思う。

たとえば、「PADDLE」という曲の歌詞に「もしかしたら明日も何も起こんないかも、でも、永遠のPADDLING」というのがある。これは結構、社内でまだ確固たる自分のポジションを持っていない中で聴くと、落ち込む。自分は小説家を高校時代から目指していた。実際、24歳には「黒猫の遊歩」の原型(というかほぼそのもの)を書き上げていたので、気持ち的にはそのまま作家活動に入りたかったのだが、その時はいろいろあってうまくいかず、デビューがお預けとなったのもあり、就職しないといけない状況だった。

デビューに近づいたと思ったら突き落とされるようにして就職へ。しょうじきもう這い上がれないな、と思った。新人賞の最終選考に残るのだって確率からいったら三百分の一くらいなのだ。そういう途方に暮れた気持ちのなかでミスチルの「何も変わらないかもしれないけど明日へ手を伸ばそう」的な希望は、苦しいだけだった。

しかし、今回、長く続く自粛生活のなかで、ほんとうにふと、ミスチルを聴いてみようかな、と思った。恐らくこの閉塞感のある状況が、ミスチルの歌詞に近かったのではないか。そして聴きながら思った。そうか、ミスチルが長らく歌ってきた虚無と希望の綯い交ぜになった何とも言えないどろっとした感触は、日本という国の閉塞感を肌で感じさせるものだったのか、と。

いろんなことを考えながら聞いた。とてもすべては語れないので、今夜はミスチルを、できるだけ「J-POP好き」ではない人に向けても発信できるような曲順のセレクトはできないかと思いながら自分で考えたSpotifyのプレイリスト「ミスチルチルチル」を作ってみたので、そこに収録した曲のことだけ順に語っていきたい。

01 天頂バス
どこかケルアックの小説にでも誘いこんでくれるようなギターの歪んだ音色でスタートするこの楽曲は、たぶんまだひどい目に遭いつつも生きている者が主人公だ。何らかの理想が叶わずそれなりの苦境に立たされてはいるが、「己の直感とかわした約束を果たすまで」終点はないとも思っている。

荒野に立ちながら不屈で駆けろというのは、考えようによっては無責任なエールを送りやがって、とも思える。だが、結局のところこれは真理ではある。パンドラの匣だ。その中身を知ろうとする手を止めれば、二度とその匣の中身を知ることはない。中身を知れる保証はないが、少なくとも手を止めたら、絶対に知ることができない。ここにはニーチェの永劫回帰にも似た人生肯定感があり、これは桜井和寿の歌詞の特徴でもあろう。

サビの部分でファルセット(裏声)を使うのは珍しい。桜井が当時小脳梗塞で入退院を経て今までの歌い方を見直す機会があったからではないかと思っている。同じアルバムの「HERO」もそうだ。

しかし同時にこれは戦うばかりだった20世紀との決別を意味していたのかもしれない。J-POPは90年代は男性ボーカルが声の高さを競い合っているようなところがあった。カラオケで一般人が原キーで歌うのが難しいような曲が多く、むしろその高さこそがプロの証明みたいなところがあった。そしてそのようなきっかけを作ったのがミスチルにもあったことを考えると、もうガムシャラな世紀は終わったぞ、という宣言ともとれる。

02 こんな風にひどく蒸し暑い日は
この曲はジャミロクワイっぽいというかファンクっぽさがあって、ある意味ミスチルらしさからは遠いのだが、その歌詞の奥行きにおいてはかなりの完成度も誇っている。1番の歌詞のエロティックさが2番の歌詞の社会的な恐れとつながりサビでは同じ「忘れたふりしてんだ、あんな光景は」とつながる。

まったく異なるイメージが同じサビのフレーズでつながるところに幻想みもあり、作詞家としての才能の豊かさを垣間見ることもできる。
一方で、「卑猥な映画」を見たあと「エアコンのない君の部屋」で「夢中に」なったあと、汚れたシーツを「君はゴミでも捨てるように洗濯機に入れた」という、本来ならスガシカオが書きそうな変態ぶりが披露されているのだが、その後に出てくる「今夜ホステスさんと遊ぶよ」というところまで含めて、これは主人公はサラリーマンで、90年代的な喧噪と混沌がまだまったく整理のついていないまま日常を送っている、00年代のどこにでもいた20代、30代の歌なのだ、とも思う。

ミスチルの桜井はスガシカオが好きでその歌詞への憧れに近いような感情もよく口にしているのだが、スガシカオにとってのエロティックとは「向き合うべき他者を時に物質的に捉えてしまうことから逃れられない自分」ではないかと思うのだが、対する桜井の場合、「向き合えば非エロティックにならざるを得ず、エロティックは向き合うべき他者の外側にある」という違いがあるような気がする。まあ、私がそう感じるだけなのだが。

うーん、結構ボリュームがいってしまうな…。
よし今夜はあと一曲だけ紹介して終わりにしよう。

03 Monster
中川のベースが臓腑に響くようにして幕を開けるハードロック調の曲。「あだ名はトビウオでもお日さまが嫌いでこの街を潜水して泳いでいく」とか「彼女はカナリアでも人目に触れたがらない、メモ帳の中にだけ存在している」などの歌詞は数年後社会問題化する「ひきこもり」やヴァーチャルの女神を崇拝する現象にもつながっている。寂しさと隣り合わせの「モンスター」は、京アニの事件の犯人が逮捕後、看護されこんなに人に優しくされたのは初めてだと言ったという逸話にもどこか通じるものがある。

この孤独感、疎外感は、90年代に蒔かれた「肥大化した自意識」の種が、00年代になり徐々にリベラル化する社会の流れについていけずに戸惑い孤立していく様子とも重なっているように思う。

やっぱりあと2曲だけ書いてから前半の〆にします。

04 NOT FOUND
この曲はダーツでコード進行を決めたんじゃなかっただろうか。たしか当時のインタビューでそんなことを言っていた記憶がある。
タイトルはインターネット検索で該当ページがなかった時の表示。
2000年の頃はインターネットはすでに多くの人が使用しているツールだった。もっともケータイではまだで、パソコン上だった。自宅にパソコンのなかった自分は、大学にあるPCルームによく行ってはそこで調べ物をしたり、メールをしたりしていた。24時間やっているPCルームというのがあって、そこでは学生が眠ったり遊んだりといろいろしていて、夜中の2時にばったりそこで知り合いに会って飲みに行ったりなんてこともあった。

初めて聞いたとき、ミスチルの楽曲にある程度慣れていた自分にとってもかなり新鮮に響いた記憶があり、久々に聴いてみて、やはり当時のままの新鮮な驚きがあった。
歌詞のシンプルさに対して、とんでもない解放感へ突き進むサビは、時代の閉塞感を突き破るヒントのようなものを感じさせる。
また同時にあまりに無邪気に進んでしまった90年代を振り返ったときに2000年という年の「後悔と苦悩」を表すのにこれほど象徴的な歌詞もない。そして「昨日探し当てた場所」に行くとなぜか「NOT FOUND」な現実は、いまも脈々と続いている。

05 光の射す方へ
豪快でシンプルなギターリフから始まるこの曲は文句なしにかっこいい。この楽曲、スガシカオの詞の世界に憧れて書いたのだという話なのだが、個人的にはやはり前述したようにスガと桜井はどこまでいっても「エロティック」の捉え方が違っている。そして、桜井の「エロティック」はやはり90年代の「影」を根深く持っているように思う。

あの当時にはまったく意識しなかったのだが、「夕食に誘った女の笑顔が下品で酔いばかり回った」とか「ストッキングをとってすっぽんぽんにしちゃえば同じもんがついてんだ」という身も蓋もない歌詞からは、その女性が「向き合うべき他者」ではないとなると、とたんに物質と見做してしまう、という90年代の病がある。

このへんのことは昨日書いた「うちで踊るVSうちで抗う」に書いたのでそちらを参照願いたい。90年代的ミソジニーは00年代に亡霊のように男たちに付きまとい、10年代になってもその亡霊は消えるどころか「嫌韓」を許し、「男女不平等」を許し、「雇用の不平等」を許容する見せかけだけの好景気政権下ではふたたびその勢いを取り戻さんとしているかにみえる。

自分はこの楽曲を、多くの国民が自宅で自粛を強いられている状況で、これから先を見てろ、という気持ちにさせる意味で非常にテーマソング的な曲だなと思った。

だが一方でいまの時代の政権支持層の一部、いわゆるネトウヨと言われる人々のなかに根深く残る歪んだ差別意識の一端が、90年代にはこのように王道ソングのなかに無意識に、とくに何の悪気もなく、昇華されていたことに複雑な感情を抱いてしまったりもした。そういう、まさに光と影を内包した曲なのだ。

そして、恐らくこのような忸怩たる思いをいちばん抱き、自分に反省的であったのは誰よりも桜井和寿であっただろうということを、近年のアルバムを聴きながら考えたりもした。

明日はそんな最近の曲についても紹介しますので、ひとまず今夜はここまで。おやすみなさい。



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