結婚てなんだろう問題

結婚とはなにか
なぜ結婚するのか
ただ一緒にいるのとなにが違うのか
あなたは結婚して良かったと思うか

というようなことを、時折尋ねられませんか既婚者。

最近、年若い子たちに「結婚して幸せっすか?」と聞かれて

「えぇ…?いやぁ…わからん…」となってしまった。

私は幸せな生活をしているし、結婚していているけれど、結婚したから幸せなのかっつったらよく分かんないなと思ったからだ。

結婚相手が夫なのは幸せだ。
婚姻関係じゃなくても、夫と生きていけたら幸せだし
ほかの人と結婚しても幸せだったとは思えん
つまり私の幸せはパートナーが誰かによるもので、パートナーシップの区分に拠るとは考えていない。

…を、ぱっと上手く言えないし、世間話にそこまで正確な返答をする必要はなくて、なんか夫婦関係に誤解を与えそうな言い方になってしまった。口下手不器用選手権や。

でも、
なんか結婚したらちゃんとしなくちゃいけない感じしてさぁ、ちゃんとするのやだから結婚するの躊躇しちゃったとかはあったなぁ

というのには「あーわかる」。
遊び盛りの若者たちにも、これは分かるようだった。家庭をもったらこんなふうには遊べない。その日もお子さんが産まれた仲間は来ていなかったしね。

「ちゃんとする」。
婚姻生活9年、わたくしが思う結婚というのは、世間一般に共有されている「結婚」に含まれる概念を受け入れる、または受け入れたと見做されることだと思う。
親戚付き合いや住まいや生計をセットで考えることとか、毎日家で飯を食うとか、家計やライフプランを考えて行動選択をするとか、夫として妻としてどうとか。

それから外れると変な目で見られたり、批判されたり、矯正しようとされたりする。そういう枠組みを引き受けること。
内縁関係、という言葉が示すように
法的な手続きが必須条件ではないことは明らかなのだし。

そう考えると私には「結婚」はなんつーか窮屈でちょっとやっぱ面倒くさい。相手が夫じゃなかったら完全に詰んでた。なぜなら「ちゃんとする」ことにかけてはかなりアレな人だからだ。

思うのだけれど、この枠組みは存在する。
けれど社会や時代によって大きく変わるし、同時代同地域であっても、個々人の中でちょっとずつ違う。
だけど「結婚した」ということは「引き受けた」ことになるのだから、という理由で何かしらんけど正々堂々と押し付けられるようになる。
「一緒に自分たちの家庭をつくっていこう」
「彼らは彼らの家庭をいちからつくっていく」
そういう意識の薄い、自分が内在化した枠組みを盲信するひとほど強烈に押し付ける。
既婚者なのに。妻なのに。夫なんだから。
職場で、友達から、親戚に、パートナーからさえ。そういう目で見られるようになる。
結婚したら豹変するタイプっていうのも、結婚の枠組みに独特なトリガーがあるのかもしれない。

夫婦でそれが共有されるなら、クラシックスタイルでも新しいかたちでも全く問題ないけれど、
すれ違っていたらかなりキツいし
パートナーとはOKでも親戚は別問題だったり
お前ら関係ねぇだろっていうような職場関係とかにまで口を出されたりする。芸能人なんかまぁほんと大変だなって思う。
なんていうか結婚は「正しい」みたいだ。
「正しい」って暴力装置にもなるものね。

そんなこんなで、結婚生活について「私は」幸せだけれども、一般に結婚が幸せの条件として機能するのかということについては分からん。
若い子に「結婚しなよー!」とか「しないほうがいいよー!」とかはやっぱよう言えん。
私の認識している枠組みと、彼らが認識している枠組みは違うのだから。
大切なことだもの、お相手の方とよくお話しなさってね、としか言えない。

これからまた世間一般の結婚概念も少しずつ変わるんだろうと思う。もっと大らかになっていけばいいなと私は思う、思わない人もおるだろうとも。
彼らが結婚を検討するとき、結婚したとき、どうかあまり面倒なことがありませんように。

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