摂食障害だった話

だった、というのは今現在寛解して久しいから。
現在取り組んでいるひとの参考になるかならんか分からないけれど、エールの気持ちで書こうと思う。

拒食症になり30キロを切るまで痩せ
強い風に煽られただけで呼吸が止まるほど弱った
生理が止まるのはもちろん、低体温や徐脈という、冬眠モードになっていて
メンタルはもっとめちゃくちゃで、酷い鬱と過活動、情緒不安定で散々だった
16〜18歳くらいかな。短期間で底まで落ちたと思う。精神科では個室で拘束と施錠がつく最大限のおもてなしを受けた。薬は吐き出すし管は抜くし栄養は流しちゃうし睨むばかりで喋らないし低体重も酷いし、そりゃ拘束されるよね。

もともと痩せ型で、拒食症になる前でも162センチ47キロくらいだった。ダイエットもしていなかったけれど、痩せが正義ではあった。強烈なルッキズム。

18〜20歳までは過食に転じて過食嘔吐、異食などなんか汚い感じで、よく言われることだけれど自己嫌悪がやっぱり強かった。
拒食はいいんだよね、頑張ったら結果が出るし、もうすぐ死ねるなっていう安らかさもあった。
過食は辛い。同情されないし歯は溶けるし太るしコントロール出来なくて食べてしまうし。

なんかいい学びがあってとか、努力してとかで治ったみたいないい話が出来たらいいのだけど
残念ながらそんなことはなくて、
体型よりも夢中になれる=執着する=依存するものを見つけてスライドしていった。

私の場合はまず仕事。
働きはじめた先がとんでもねぇ人手不足で、出勤するだけで有りがたがられ、頑張れば結果が「数字で」出て、数字が出れば褒められた。
端的にブラックだったけれど、そのときは「天職」とか「生きがい」だなんて思っていて。

なにも確かなものがないときに
「数字で出る」「褒められる」というのは強烈な安心感がある。
私がそんな仕事にのめり込んだのは、拒食の原動力と同じだったと思う。
20代でやたら年収や肩書きにこだわる子たちを見ていると、多分同じ不安があるんじゃないかって思う。

それから数年後に入った女性スタッフと飲み歩くようになり、無事?アルコール依存症へシフト。
アルコール依存症は定番なのでいろいろ割愛するけど、あれも破滅的な病気だと思う。恨みもずいぶん買ったし、自分もかなり傷つけた。

治ってからもずいぶんいろんな本を読んだ。
依存症はコントロールの病だっていうのはしっくりくる。それを手放せればいいのだけれど、そうか、っていって出来るわけじゃないから難しいよね。

何でなったのかは今も分からなくて
何で治ったのかも、本当はよく分かっていない。

一時期「自分で自分をやること」を完全に放棄しなくてはいけない乳児育てのときは「自分を手放せると快適やな」と思ったけれど
さすがに子供に依存していくのは子供にとって最悪コースなので 子供の自立度合いに応じて私も私に戻らなきゃいけなかった。

そしてリスタートした今は、ニコチンとカフェインで糠床作って浸かっていたいな〜と思いながら煙草とコーヒーを一日中摂取している。

え、駄目じゃん笑

と思われるかも知れないけれど
これが私なりの現在だ。
つまり、摂食障害とアルコール依存症からは脱却したけれど
今日も元気にアディクションのお友達をしている。

一つに留まらずに済んだことと
ひとつ経るごとに依存の程度が軽くなっていったことが、私がどうにか生き延びた幸運要素だったと思う。
一度でも歪んだ認知のこだわりを捨てられた経験は、次の依存先でもその可能性を繋いでくれる。

回復者の話も10人10色で、もっとちゃんと生き方をあらためている立派なひとも沢山いるし
個人的には自助グループに羨望があったりする。
私はどこにも繋がれないし、アディクションの生き方をやめられていないのは、そりゃ誇れることではないけれど
今日1日。JUST FOR TODAY
今日1日を繋いで生き延びてきた私の人生を、私だけは肯定したいと思う。

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