メンタル原因探しのトレンド感

なんでわしはこうもメンヘラなんや
精神疾患やら病んだり人生詰んだりせないかんのや
原因はなんぞ…

メンヘラ人生を送っていればそんなふうに原因を求めたくなることが、ありませんか。
私もあります。
原因を求めることは自然だと思いもするんですよ。原因がわかれば、解決したり改善したり出来そうじゃないですか。

でもねぇ36歳なんですよ。
だから何だっつー話だよ、って思われるかも知れないんですけど
干支を3周ぐるぐる生きているとですね
トレンドの遷移を体験するんですね。
「平成レトロリバイバル」に慄いたことのある30代、おられませんか。おられますか。びびりますよね。

トレンドはファッションに限らず、さまざまな分野、学説、精神医療にも、メンヘラ原因探しにもあるんです。

母原病ったら今は聞かない言葉ですけど、昭和のブームだったんです。愛情不足とか。その系譜は愛着障害や毒親っていうトレンドへと引き継がれています。
それからトラウマ部門。脳科学部門。社会科学部門。
ここんとこは発達障害の盛り上がりがピークを超えて、若い子の中では毒親も熟しきった感があるので、また新しい波が出てくるのかなと思ったりしています。

ひとつの説が盛り上がると、今まで説明されなかったことたちに言葉が与えられて解像度が上がるので、これぞと思うし、それはそうなんですよね。
そんでもしばらく盛り上がってくると、それでは拾いきれない事柄や、それだけで処理してしまうことの弊害やしわ寄せが明らかにもなってくる。
同じ系譜で次の波がくるときには、それらの反省を踏まえ他の分野での知見も取り入れてグレードアップしている。

それを見守っている、なんて距離じゃないか。
その波に溺れ飲まれ揉まれて振り回されて、いくつかの原因探しに熱中しては推移していく経験をすると
「これぞ!って訳じゃねぇんだな」
「どれも関係はあるし、どれかだけってことじゃない」
原因は複合的でいろんなことが重なったり絡まったりするなかで、まぁ運が悪かったんやな、
まぁぼちぼちやりましょか
となってしまった。

軽んじるわけじゃないけど、期待しすぎないというか。真実が発見されたとして、その真実だけで「私がこうなったことが解明・改善される」わけではない。
原因探しの道中で得た知識や理解は 生きていく役にたつけれど、それ以上でもそれ以下でもない。
それでいいんだと思う。

原因が見つかれば、解決・改善できそうじゃないですか。
苦しんだら困ったりしてるんですよね。
「なんで」じゃなくて。
「今困っている」ことをケアする。
まずは生活や心身の手当てをしてから、気長にやっていくしかないんじゃないでしょうか。
原因がわからなくても、穏やかな気持ちで落ち着いて生きられるようになったら、それで良いのだし。

え?それはケア論ブームの受け売りだって?
それはそうなんですけどね。

干支3周トレンドに振り回されて、引き出しが増えたのはいいことだと思います。
ケア論も12ステップグループもフェミニズムも自助グループ文化もナラティブセラピーもトラウマケアも発達障害からのアプローチも全部使って生きていく。

全部本当でどれかだけが事実じゃない。
世界も社会も個人も複合的で多面的なのだから、
「これだ!」と思う、目の覚めるような解決をもう期待しなくても、
より良く生きられるようになるなら、それでいいんじゃないかなと思っています。


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