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絶望日記5 絶望の中にいるひとへ

今、絶望を感じているひとがもしいるなら。
伝えたいことがある。


「絶望しているなら、その絶望感をしっかり感じたらいい。
 絶望を怖がらなくてもいい。」

これは、わたしの経験を通して感じていること。


死を選ぶとき、そのひとは「絶望」している、と聞いたことがある。
だから、わたし、絶望を感じ始めたら、もうそれは「おわり」ってことなんじゃないのかな?と思った。

でも、違った。

暗闇の中にいたとき、目に留まった文中の一節には、こんなことが書いてあったのだ。


「希望は、絶望の先にしかない」


このひとこと自体、わたしには希望に思えた。だからといって、そこから人生が好転した、状況が変わった・・・ということはなかったのだけど。

けれど、よく考えてみれば、そうなんだよね。

「希望」という言葉を調べてみると、こう書いてある。


こうなればよい、なってほしいと願うこと。また、その事柄の内容。
望みどおりになるだろうというよい見通し。

Oxford Languages and Google

「希望」という言葉は、「絶望」と違って、明るく軽い。だから、割と口に出していいやすいし、感じやすい。感じやすいのは、言葉にしてみたときに気分よく感じられるからだ。

だけど、普通に生きていて、<本当の・心の底からの・切実な>希望はなかなか感じることがないのだと思う。


理由は、そこに「絶望」がないから。


だからね、絶望を感じているなら、そこには「これまでたどり着いたことがないような希望」があるのだ。


それが感じられないのは、まだ道の途中であるからで、その道の(距離)の長さは、ひとによって違う。

あるひとは、東京から名古屋まで行く途中かもしれないし、あるひとは、東京から沖縄かもしれない、そして、また違うひとは、地球から宇宙へ向かう途中なのかもしれない。
あ、たとえですよ(笑)


でも、ここで「目的地まで、あとどれくらいあるのだろう?」なんて考え始めると、ちょっとしんどくなる。

だから、気楽に「きっと大丈夫」だと思えればいいんだけど、、、。そう思うことが出来ないから絶望中なのである、ということも忘れないように!



と、長くなりましたが、これって実は、わたし自身へのメッセージでもあるんだ^^


つづく






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