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朝活ドキュメンタリー③

この続き

さて、朝活も1週間が過ぎた。朝活といっても、何時に起きる!とかは決めていない。一緒に「朝活ドキュメンタリー」をしているひとたち、きっとそれぞれに違ったルールがあるのだと思う。私の場合は、二度寝せずに起きる!というゆるい決まり。

が、今朝は3度寝してしまった。8時前。ゴミ出しさえ諦めようかと思うくらい眠かったが頑張った。(ね、ハードル低いでしょう?)

私には、この二度寝せずに起きるという決まり以外にもルールがある。それは「どんなにぐうたらでも自分を否定しないこと」。これは結構難しいルール。今日も「あ、昨日あの1本(アルコール)控えておけばよかった」と思った。自分を否定しないタイプの人の頭の中ってどうなっているんだろうと思う。

さて、朝活をしていて気づいたことがあった。これは、結構早い段階で気づいた。それは「朝起きて、何かをしなければいけないと思っている」ということだ。これまではぐうたらしていたのだし、二度寝せずに起きることが出来る、これ自体凄いことじゃないか!!!なのに私は「朝起きたら、何か特別なことをしなくては」と思っている。

例えば「散歩に行く」こと。これは気持ちいいから続けたい。でも、それが「そうしなくてはいけない」という気持ちになったら一気に辛いものになっていく。「縛り付ける」という感じが、辛さに変えてしまうのだ。他には「瞑想」「読書」「ストレッチ」どれも朝に行うと良さそう。実際、どれも「やってみたいこと」だし、続けて苦にはなっていない。けれど、どうしても頭の隅っこに「何かしたほうがいいんじゃないか?」という観念がひっかかっている。

朝起きた!本当は、これだけで私にはすっごいことなんだーーー!!!それを素直に讃えて、素直に喜べよ!それで100点なんだよーーーーっていう声が心の中で響いている。

「何かをしなくてはいけない」って、誰に言われた訳でもないのに。誰に何を言われると思っているんだろう?誰の視線を気にしているんだろう?他の人?他の人って誰?きっと誰も「朝起きただけじゃん」なんて言わない。それなら誰?

それは間違いなく自分自身なんだ。そんなこと分かっているんだ。自分自身ってなんだ?自分が自分の目を気にしているってなんだんだ?


私、子どもの頃から朝が苦手だった。そんな娘とは違い、母は超がつくほど早起きで、毎朝4時半くらいに起きていた。(・・・はず。だって私はそんな時間に起きたことはないから知らないし)そして、朝早くから洗濯し、家事をしていた。洗濯物を干す時は、わざわざ私の部屋を通ってベランダに出ていた。「起きなくちゃ・・でも眠い」ぼーっとしながら私は同時に「なんでここ通ってベランダ行くねん!」って思っていた。いや、朝から怒っていた。そんなこと口に出して言おうものなら、朝から大きな声を出されるのは目に見えていたから、心の中で怒っていた。

わざわざ私の部屋を通ってベランダに出る母の行動は、私への当てつけだと思っていた。「お母さんはこんなに早くに起きて、朝からあんたたちの為に働いているのに、あんたはいつまでも寝ている!」こんな母の心の声を感じていた。(起こそうとしてくれている、とは全然思っていないという・・・)

階段を上がってくる母の足音が怖かった。恐怖に近いほどの怖さだった。起きなくてはいけない。でも、眠りを妨げられることが、自分のテリトリーを侵されているとさえ感じていた。

だけど・・。これって「無理やり起こされる」ことへの嫌な思いではない、よね本当は。

続く


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