ゆとり世代のひとりとして思うZ世代のすごいところ

私は社会に出てから15年近くたち、世代的にはゆとり世代に数えられると思いますが、今の20代前半の人たち(いわゆるZ世代)がすごいと思うところを書いていきたいと思います。

人間は環境にあわせて進化しているので、基本的に私より若い世代の人たちの方が生存戦略にたけていると思うし、今は未熟でも結局若い人には勝てないので、最終的には若い人に雇ってもらうことの方が多くなると思います。

そこで彼らの考え方や当たり前に身につけていることを考えるために敢えて世代として一般化して考えてみました。

①セルフプロデュースがうまい
デジタルネイティブという点に関しては、私くらいの世代だとあんまりギャップを感じませんが、SNSになじんだ思春期を過ごしている彼らとは、自己表現と人間関係の作り方は全然違うなと感じます。

彼らは自分が他人にどう見られているかというレベルを超えて、どう見せたいかという観点で自分のキャラ設定、ファッション、言動を緻密に作り込んで、その上でコミュニティに合わせてその人格(ペルソナ)を使い分けているのがほんとにすごいと思います。

私からすると芸能人でもないのにすごい自意識だな、とかすごい作り込んでるな、とかびっくりするんですが、どんな人でもフォロワー数というかたちで影響力が数値化されている世界だとそうしないといけないのかもしれません。

Youtube等の動画配信サービスや地下アイドル産業などで誰もが人気商売でお金を稼げるようになったので、一般人と芸能人の垣根が若い人の中ではなくなってきてるのかなと思います。

一般人とはいえどもフォロワーが増えるような見た目、ファッション、言動ができないと話にならないかもしれません。

②only oneの自分らしさへのこだわりが強い

私が20代前半だった頃は、天然、しっかり者、お調子者、まじめ、マドンナ(この言葉とかもはや死語)とか、

女子のジャンルも清楚系、モード系、ギャル系、地味系、体育会系、ナチュラル系、ゆるふわドリーミィ系、バンドギャル系、、その他みたいな区分けしかなく、かなりざっくりしてたうえ、どれかに自分を当てはめて自己表現することが求められていた気がします。

(かくいう私も時代にあわせて価値観がアップデートされたのか、書いていてアダルトビデオのジャンル分けをみているような気持ち悪さを感じたので、かつて女性誌というツールで世の中を動かしていた「おじさん」の発想なんでしょうね。)

これは自己表現というより、社会的な自分の立ち位置をどこにおいたら人間関係がスムーズかという視点にたったものだったと思うので、社会性の表現が主体だったと思います。

一方、20代前半の人たちは自分らしさの表現が主体なので、誰かが決めた型にはめて自分を表現することはせず、価値観に合うものをひたすら集めている感じで

ファッションが共通項のコミュニティ、趣味が共通項のコミュニティ、学校、家庭みたいは感じで共通項ごとにペルソナを使い分けて、共通項をよりどころにして自分らしさを失わないようにしつつ、そのコミュニティになじむみたいな人間関係の作り方をしているようにみえます。

なので、自分に似合うもの、好きなものというものをよく理解していて、自分の価値観に合うインフルエンサーの発信なども参考にしながらうまく自分らしさを表現しているなと感じます。

そういう彼らを〇〇系とか型に当てはめるような対応をしたり、自分も〇〇系と表現するだけで良しなに付き合ってもらうのはダメだろうなと感じます。

お互いOnly oneな存在だけど、ここは共通しているねみたいなコミュニケーションがとれるようにならないといけないと思います。

③タイムパフォーマンスの意識が強い

私もネタバレだいすきで、映画は早送りするタイプなのでここはギャップをあまり感じませんが、それが多数派というのは彼らの特徴のひとつであると思います。

ここは私と彼らの間にあまりギャップがないので、私がなぜネタバレを好んで映画を早送りするかという理由を考えてみると、

まず、そのコンテンツをみたあとにどんな気分になるかわからないまま時間を使うのが嫌だというのがあります。つまり、せっかくの限られた時間内の気晴らしで嫌な気持ちになりたくないのです。だから、事前に内容と評価を確認してこのコンテンツに時間を使っても後悔しないか判断するのです。

私は1日に気晴らしができる時間が1時間くらいしかありませんが、彼らも学校、バイト、SNS、趣味(もはやこれはコミュニティになじんで人間関係を維持するための道具に過ぎず楽しみではない)で忙しく、気晴らしに当てられる時間の体感があまり変わらないのではないでしょうか。本当に大変だなと思います。

多くのことを同時にこなさないといけないのに24時間しかないので、タイパを意識する生き方が身についているのでしょう。

いつの時代にもエリート(高く評価されて多くの報酬をもらい、一定水準以上の暮らしができるサラリーマン)はいますが、このエリートになる条件が年々厳しくなっているなと感じます。

私の感じるエリートの基準は以下のとおりです。なお、時期は大学卒業時とします。(個人の感想です)

昭和初期:有名大学卒業

昭和後期:有名大学卒業、英語(ビジネスレベルの読み書き)

平成初期:有名大学卒業、英語(ビジネスレベルの読み書き、多少聴こえる話せる)、ITスキル(用語がわかる)

平成中期:有名大学卒業、英語(留学経験+ビジネスレベル)、ITスキル(ブラインドタッチ、新規のシステムをすぐ使えるリテラシー)、清潔感

平成後期: 有名大学卒業、外国語(MBAなどの学位取得留学経験+ビジネスレベル)、ITスキル(使うだけでなくシステム導入できる)、好ましい見た目

※予想※
令和初期: 有名大学卒業、外国語(MBAなどの学位取得留学経験+ビジネスレベル)、ITスキル(システム導入+DXを進められるセンス)、SDGSを意識して周りを巻き込んで社会問題を解決した経験、好ましい見た目

令和中期: 有名大学卒業(もはや国内の学歴意味なし?)、外国語(有名校MBA学位取得留学経験+ビジネスレベル)、ITスキル(AIを使うための最低限のプログラミングスキル)、SDGSを意識して周りを巻き込んで社会問題を解決した経験、好ましい見た目

こう考えてみると若い人が時間がなくなるのはあたりまえという感じがします。

私も彼らに時間をもらうためにはタイパを意識して効率的に結果が出せる人間でいる必要があると思いました。

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