Op.5 幼少期にだけ得られるもの

Donnerstag 18, Oktober

【プーさんと大人になった僕】をようやく観れた。

「くまのプーさん」って戦前のお話のイメージがなくて、クリストファー・ロビンの生い立ちを辿っていくうちに、ただただ“かわいい” “癒される” 表面だけを汲んでゆるゆる捉えていたことを悔いた。

みーんなもっけもけでかわいかった、予想以上に色褪せてたけれど。円らな瞳でまっすぐに見られるもんだから、いちいち彼らの話に引き込まれてしまう。

大事なものを見誤ったり見過ごしてしまった時に、常に自分を気にかけて信じてくれるプーさんたちのような存在が側にあったら、どんなに心強くて温かいだろうと思った。


そして何より、この映画は終始、家族愛と友情で溢れていた。

家族愛、特に父と子を描く作品は個人的に想う事がありすぎる。父親という立場の人が自分の非を認める瞬間に、私は未だかつて遭遇したことがないからだ。きっと外でも、仕事で仕方なく頭を下げることはあっても、心から「悪かった」と反省したり改心したりすることはないだろう。

そういう父親を見て育った私からしたら、我が子を抱きしめながら「自分が間違っていた」と言葉にできる父親って、正義のヒーローだ。そんなヒーローが世間の当たり前みたいに描かれていて、(私は今スクリーンの向こうで父親の腕の中にいるあの子の気持ちに出逢ったことがないんだ。そして、これからも体感することはないんだ)なんて自身を哀れんでしまうのだった。

だからってやさぐれる訳ではなく、間接的でもいいからこうやって何かを通して知らない感情を自分の内に取り込むことが、私にとっての糧になるのだ。そういう面でも、今作は私にそれぞれの“かけがえのない繋がり”を教えてくれた。


もうひとつ、この映画のキーワード。“何もしないこと”。

「“何もしないこと”をしたい」とこれまで何度思っただろうか。

けど実際、それは就学前の子供にしか許されないのかなあ。一度社会のどこかに属してしまったら、もう自分を自分の言いなりにはできないのかなあ。いや、できる。けれど、そうすると“周りの目”ってやつが自分の存在を社会的に貶めるんだ。生きづらくさせるんだ。何が正解なのか分からないな。正解なんてないのかもしれないし。

頭の中でぐるぐる巡らせるいつもの癖。


それと、忘れたくないのでメモ。

カメラアングルとエンドロールのバカンスのムービーがとってもよかった。

被写体を観る角度で受け手が感じ取るものも変わるんだ。これが伝えたいことをベストな状況で伝える技術なのか。ディズニーのこういうところが人を惹きつけるんだなあ、なんて。

子供の頃の冒険は、あの頃を忘れた大人のどこかにも必ず潜在している。

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