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神戸と私〜そして音楽と食文化⑥〜

ある日突然!音楽の道に進むことになった私。

それは簡単なことではありませんでした。

まず、音楽科の夏期講習が終わってからすぐのピアノのレッスン日。ピアノの先生が来られて「今日は僕のレッスンはいいから」と連れて行かれたのは、これから習う声楽の先生の教室でした。
たまたま、というか自宅から徒歩5分のところに神戸の教室を別に持っておられたのです。
そして、そこからが私の「今までこんなに努力した事がない!」という日々が始まるのでした。

声楽の先生に歌は大丈夫だけど・・・
そう言われ、何が?って、私、ピアノは習っていましたが
ソルフェージュや音楽理論なるものを全く勉強していなかったのです。
高校から音楽科を目指している他の受験生のほとんどが
小学生の頃からソルフェージュと音楽理論を学んでおられ、私は皆んなが数年間かけて勉強してきたものを夏休みから始めることになった私。
入学試験の日まで半年間、必死で勉強することになりました。

でもそれは、私にとってはそんなに簡単な事ではありませんでした。音楽理論はなんとか頭に入れていけば大丈夫なのですが、ソルフェージュ!
新曲視唱なるものが大の苦手で、だってそんなの初めて見る楽譜をパッと歌えと言われても!っていう感じで、歌っている途中で音程狂うわ、なんかおかしいと「あれ?」と口に出して言ってしまうわで、先生も毎回ため息。
これでは間に合わないと12月からはソルフェージュだけの先生を別に紹介されて、その先生のところには週2回通い、ピアノの先生のレッスンが週一回、声楽の先生のレッスンが週2回と別に家庭教師の先生も来て、一週間のうち6日がレッスンなど。

そして合唱部が強かった私の中学、最後のコンクールは年末、そして卒業生を送る会まで引退無し。
部活を辞めろという声楽の先生!辞めたくない私。
合唱部での友人との部活での楽しい時間が奪われるのが嫌で、もう音楽科なんて受験しない!と言い出し担任に親共々呼び出されるわ、いろいろな葛藤がある日々でした。

結局、年末のコンクールの参加は諦めレッスンの日々。
年明けからはほぼ毎日ソルフェージュのレッスン。
たまたま中学の担任の先生が美術の先生だったので、実技の大切さをよく理解されてて
「間に合わないなら学校休んででもレッスンを優先しなさい」と早退してレッスンを受けることを認めてくださったのです。

もう一つ有り難かったのは私が3年生の時に新任で来られた合唱部の顧問でもある音楽の先生が声楽の先生で、私のソルフェージュを朝早く学校に来てくださってレッスンしてくださったり、学校から駅までの帰路の途中にある我が家にレッスンの為に立ち寄ってくださったりと、周りに助けられて入学試験を迎える事ができたのです。

そして入学試験当日!
あんなに音楽家を育てたいと思っていた母はというと、なんと二泊三日のカニ旅行へ!
入試初日は午後も試験があったのでお弁当は作ってくれましたが。
まあ、普段東京にいる父が三日間は帰ってきてくれ、不安なく私は試験へと。

そして無事に入試が終わり合格発表。
受験番号掲示ではなく、学校の事務室に封筒を取りに行くのです。
母と一緒に行きました。
声楽の先生から聞いていたのは合格だと入学の申し込み用紙が入っているから封筒が分厚いとのこと。ドキドキしながら受け取った封筒は少し分厚いものでした。
それでも開封するまでわかりません。
開けると合格の文字!無事合格する事が出来た私でした。

そしてその日、どうしても合格を報告したい人がいました。
それは私が中学2年生まで合唱部の顧問だった先生。
17年間我が母校で教鞭をとられた後、転勤されていたのです。
駅でいうと隣の駅にある中学校へ転勤されていたので、その日のうちに報告に行きました。
そしたら喜んで「お祝いに食事に行こう!」とフランス料理へ。

もちろん大喜びされていましたが、最後に私の心に残る言葉を。
「あなたは他の皆んなが高校卒業の時に決める大きな進路を中学卒業で決めた。だから、もうこれしかない!逃げることは出来ない!と思って、この先歩むんだよ。」と。

それはもう、私にとって大きな大きな言葉でした。
何があっても挫けない!そう思って第一歩を踏み出したのです。

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