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阪神大震災29年目に思うこと

 私は現在28歳で、阪神大震災は私の生まれるほんの少し前に起こった。そのため私はこの震災について何も知らないでいる。テレビの映像で得た情報により、あまりにも甚大な被害を受け、たくさんの命が失われたという事実しかわからない。東日本大震災の被害の様子は、この目で報道を見て、知っているつもりでいる。だが、それでもまだ知り得ないことがある。今までの当たり前の暮らし、家族や仲間を失うことがどれほどつらいことか。ふるさとの変わり果てた姿を見て、どんな気持ちになるのか。実際に経験しなければわからないこともある。それでも、想像することはできる。見ず知らずの人の大きな喪失や惜別を、もし自分だったらと置き換えて鑑みることは難しくないはずだ。

 大切なのは、このとき想像と同情を履き違えないことだと思う。「もし自分の身に起こったら」と想像するのはいい。「もし家が津波で流されたら?」「もし家族がいなくなってしまったら?」一度は考えてみるべきでもあろう。しかし、そこでの「犠牲者を思うと心が痛む」「何かしてやりたい」、そういう単なる同情からは、何も生まれることがない。実際私たち被災者でない身の者は、その時は気の毒に思っても、ぱちっとテレビを消せばまた元の日常に戻れるのだから。

 では、私たちは被災地のために何の力にもなれないのだろうか?私は二点、できることがあると考えている。一つは上述した、想像すること。もし自分の地域が被災したら。特に、震災を知らない人たちに、知らないからこそ、想像をしてほしいと思う。風化とはやがて忘れ去られていくことではなく、無知の世代がやってくることである。知らない、経験していないからこそ、震災経験者の話を聞いて、想像し、未来に繋げてほしいと思う。
 二つ目は、今の当たり前の暮らしに感謝すること。震災報道を見て、ぱちっとテレビを消しておしまいではなく、あたたかい家で家族や仲間と共に過ごせる幸せを噛み締めて日々生きること。

 私の住む街にもふるさとにも、いつの日か震災が待ち構えている。きっともうそろそろだろう。そのときまで、私は以上の二点を意識しながら、日々過ごしたいと思う。

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