見出し画像

引き出しの鍵

3月も残すところわずか数日となった。

3月といえば、中学3年生のときに教頭先生が亡くなった。交通事故だった。体育の教師から教頭先生になった人だったから、体育祭の練習や授業では時々接点があった。その程度の関係性だった。でも、当時ものすごく泣いたのを覚えている。

人には人を忘れる順番というのがある。最初に声、次に顔、最後に思い出だそうだ。

わたしの場合、先生の声や顔はなぜか鮮明に覚えている。通りのいい声、眉毛が濃い顔のことは今でも忘れられない。

わたしが初めに忘れたのは思い出だった。そのときは絶対に忘れないという気持ちでいるのに、悲しいことに時間が経つとどうしても記憶は薄れていってしまう。思っているよりも案外記憶は脆い。

けど、体育祭の練習が上手くいかず別の先生が怒ったときに「諦めるな、頑張ろう」と熱心に話をしてくれたことや、一緒にバレーボールの試合をしたことをわたしは今も記憶することができている。

当時わたしは日記を書いていた。自分が思いのままに書いた文章にはそのときのわたしが冷凍保存されている。とても正直で、正確で、曖昧な記憶が蘇る。

そこには先生が亡くなったと知ったときの気持ちや、先生との思い出がぽつぽつと綴られていた。

過去に書いたこの日記のおかげで、一度は薄れた先生との「思い出」を今も大事にしていられるのである。そう思うと、こうやって形に残すことの大事さは計り知れない。

この12年の間にわたしの中にはたくさんの引き出しが増えた。大事に仕舞ってあるけど、きっかけがなければ開くことのない引き出しが多く存在している。

ひとつひとつ忘れることがないように、いつまでも大切にできるように。今書いているこの日記がいつかその引き出しを開ける鍵になればと、そう思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?