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一日は24時間でいい

このあいだ会社で菅田将暉と加藤茶が似ているという話から『8時だョ!全員集合』の話になった。普段からこういうわけのわからない話を同期と繰り広げている。

すると、その場にいた同期の一人が「昔はみんな8時にテレビの前に集合してたんかなぁ」と言った。言われてみれば確かに。当時は録画をして後から見るなんて行為はあまり主流ではなかっただろうし、今みたいに見逃し配信なんて便利なものももちろんない。みんながその時間に、オンタイムでテレビの前に集まって見ていたのだろう。

わたしの子ども時代は、地元や住んでいる地域が違っていても流行っているものはみんな大体同じだった。音楽はモーニング娘。が流行ったし、100円で撮れるプリクラは毎日のように撮った。シール交換が当たり前で、よくわからないスティックのりみたいなパッケージの海外の飴を頻繁に食べていた。(PUSH POPというらしい)別に幼少期を共に過ごしていなくても、これらの話は同年代であれば大体盛り上がれる。これって今考えるとわりとすごいことである。

なぜかと考えてみたけれど、おそらく情報を得るための入り口が絞られていたからだろう。わたしたちの主な情報源といえば、漫画雑誌のカラーページやトイザラスの広告、アニメの合間に流れるCMくらいだろうか。当時はそれらの情報が大袈裟だけど本当にキラキラしていて、新しいものを買ってもらうということがワクワクして仕方がなかった。今思えば、作られた流行りに乗せられていたような気がするけど。

今はSNSが発達していて情報が溢れかえっているので、取捨選択がかなり難しい。一日の時間は当たり前に有限で、その中で自分にとって必要なものをその都度取っていかなければならない。かなりメディアリテラシーも試される。とても便利な時代にはなったけれど、一つ一つの流行りの賞味期限が短くなったことで時代の流れがとてつもなく速い。目まぐるしく変わり、アップデートされていくコンテンツに最近は少し疲れてしまった。
あれもこれもと選択していくと全く時間が足りない。

だからか、会話の中で今の流行を話すときに結構偏りが生じていると感じることが多い。「◯◯の新作コスメが〜」とか「◯◯のドラマの俳優が〜」とか、大体のことについていけなくて「今の流行りはそれなんだ」ってその場で調べることがほとんどである。悲しいけど、こうやって時代に取り残されていくのかな?それに、各々の流行を得る手段が分散されてしまったこの時代って、他人と仲良くなるの難しいんじゃないかとも思う。

わたしは早く一日が終わって欲しいと思っているタイプの人間なので、「一日の時間が28時間だったらいいのに」とか言ってる人がいたら、「なんてことを言うんだ!」と思っていたけれど、今の時代ってそのくらいないとついていけないくらい情報過多なんだろうなぁ。

それでもやっぱり、一日は24時間でいい。



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